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「三行日記」   2005年11月
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11 01 9時36分のバスに乗る。大太鼓とギターを持ち大きなザックを背負っているので安定が悪い。下車時に一段踏み外して痛い思いをする(痛さだけで済んでよかった)。伊是名の会のKさんから電話、今日午後イ大使館に行ってみるとのこと。自分が無理して行かなくてもよくなった。羽田から池袋への直行バスが一時間に一本あると確認できたので宅配は止めた。帰路のANA便の発券もしたのでギリギリで搭乗。池袋の事務所に着いたあと伊是名の会のKさんと近くの喫茶店で落ち合う。午前中にインドネシア大使館に行ってくれた後だったので、二人でこれまでの反省をしつつ今後の対策を練る。少しはグチも言い合う。とにかく査証の発行がうまくいくかどうか日程的に危うい。これが懸案。夜は事務所で練習。11時前吉祥寺、ちょうどバイト終えた娘と歩いて行くことにする(自転車を引いて)。一時間以上、たっぷり話す。
11 02 今日は霞ヶ関の地裁へ。知人の裁判支援だ。「"ここから"裁判」=養護学校での性教育を心と体の教育、と称して。資料集は先日送られてきていた。人数も多いし天気も良いしみんなやる気があって、未来は明るい、と感じさせる裁判闘争。励ますつもりが、大いに励まされた気分。午後S学園文化祭へ。駅でA先生に会う。娘が車で来る。駐車場探して入れ、一緒に職員室へ。I、K、N、さん、元校長のNさんやTさんにも会う。演劇部を少し見たところで出たが日曜に沖縄で会ったばかりの大学生四人やその他。大勢に会えた。これからディズニーランドへ行くという娘に便乗して都内を東へ進行。
九段が近づき「ヤスクニ!」と気付き下りる。娘が先にトイレ借りに下車。交代で私が下車。遊就館、一時間弱だがみられた。こりゃ百聞は一見に如かずだ。来て良かった。800円はシャクだったが、何倍にもして返すからイイヤ。暗くなった道を飯田橋へ。地下鉄で東池袋。するとちょうどドコモの看板が見えてすぐ入り、プレミニに決めた。閉店は7時。初めての機種変更なんなく完了。先代七年間ご苦労様。「想い」など練習して深夜まで。娘が車で三鷹へ迎えに来てくれた。何と盛りだくさんで充実した一日。
11 03 11/6のリハ、高円寺から歩いて啓明小学校体育館へ。16時まで。高円寺駅へSさんYさんと歩いて行き、「清香」や「抱瓶」、「ショウボート」など紹介。西荻「馬小」へ。娘とMさんも合流。その後、タクシー二台に乗って高井戸「ちゃんぷる亭」へ。先代「横笛太郎」さんは沖縄音楽研究家のS氏の知人とか。今度お目にかかったらそのこと話すと約束。若い人たちは家族の迎えの車で帰る。自分は結局徒歩。持参の泡盛(例のソウルで買った真露のポケットボトルに入れてるやつ)飲みながら。
11 04 メール、洗濯などしていて三時頃に調布へ。中古8mmデッキを探すべく新宿。中古屋のユニオンにあったが高級機で四〜五万円。やれやれ。秋葉原へ。ソフマップを探しネットで目を付けていた中古デジカメを買う。故障した機種の後継機でバッテリーや充電器が使えるのだ。少し安くなっていてラッキー。歩き回っていて神田明神方面に抜ける辺りで古い感じの中古屋に行き当たり、入ると一万円台で8mmデッキが二台も置いてある。これが慣れ親しんだのと同じ機種なのだ。これまたラッキー。購入。暗い夜道、重いデッキを下げて歩くのも快感。丸の内線で池袋へ。練習。三鷹から娘の車で帰った。荷物重かったのでこれまたラッキー。三鷹駅は上水側(東より)のロータリーを工事中。
11 05 秋晴れ。9時半頃車で出て三鷹のDさん宅へ。娘が英語の勉強の間、パソコンにHさんの夏の写真データをコピー。車で国立へ、一人下りて天下一祭りの焼きそばやを探す。八重山人のSさんが近々富士見台団地内の店舗で琉球物産の店を開くとのことで「石垣焼きそば」の出店をしている。先週、那覇の舞踊公演で会ったMさんが誘ってくれて来たわけだ。大学通りが懐かしい。二時間ぐらい店の前の植え込みで唄三線。人通りが多い。横浜の三線教室に教えに行くMさんと一緒に国立駅へ歩く。新宿からの湘南ラインの時刻を確認し東京行きに乗る。吉祥寺で下りて楽器屋を探すが馴染みの店は一つも残っていない。買おうと思ったカポタストは結局手に入らなかった。CD屋で流れていたニールヤングのDVDを観る。嬉しくなる。一枚目のLP(特にB面のはじめ)を思い出す。虹の会で知り合ったKさんと花火の所で待ち合わせ。Kさんが旨い酒と料理の店に連れて行ってくれるというのだ。ありがたい。久々に日本酒を堪能。話しているうちに同じ大学に通っていたとわかる。彼の方が数年先輩だが。寮のこと、また思い出す。10時前に店を出るとちょうど調布行きのバスが止まっていたので乗る。
11 06 中野サンプラザでの演奏会、当日だ。11時頃入る。午後の部の出演者も多いので懐かしい顔も。みな笑顔。チャランケ祭りも覗く。三鷹のIさんにも会う。リハの時間もあるので長話しは出来なかった。5時から7時が本番。うまくいく。特に「想い」、唄のノリを引き出すアンサンブルを引き出せた感覚。終演後「ちゃんぷる亭」のIさんが差し入れなど届けてくれた。演奏楽しめたとのことでこちらこそ恐縮。級友のP+Y一家やUさんにも会えた。打ち上げは14階で。これまた沢山の顔、顔、顔。そのあと町中の居酒屋に行く。同じフロアーにN氏(師匠)もいた。YさんSさんそしてTさんとも話す。帰路三鷹の居酒屋で三線愛好会で知り合ったSさんと飲んで締めくくり。昔懐かしく二人タクシーで帰る。
11 07 メール整理と荷物作り。大きな段ボールに詰め込んで転がせるようにして出発。Iさんがぜひ会おうというので娘の運転で、と出た所にKさんから電話。戻って査証関係の書類を清書して航空券や旅券を同封しエクスパックでKさん宅へ送ることにする。出直した車、三鷹郵便局でエクスパック封筒を買ってからIさん宅付近へ。一時間ほど話したあと1kmほど荷物転がして三鷹駅まで。時間に余裕が無くなった。すでに電話で空港行きのバスを予約してあって池袋プリンス受付に荷物預け、郵便局でエクスパックを投函し、事務所へ。楽器など大荷物だがスタッフが大勢見送りに来てくれた。昨日見つからなかった作務衣もあった。40分で空港に着く。速い。コンビニの焼きそばでビール、泡盛。誕生日割引で同行のHさん来る。午前中に聞いていた評判、とくにUさんの批評など話題にする。
11 08 一週間の東京滞在中にアイヌ関係で二つの話が進行している。一つはイタリアの学生がアイヌ過程にホームステイしたいという話し。これは埼玉のYさんから相談をうけ、昨日会ったIさんのアドバイスを私が伝える形で進行中。もう一つは首里に住んでいる(今春からだそうだ)Mさんの企画を那覇に住んでいるNさんが一緒に計画しているもので、【たまたま庵】で唄や踊りの会をしようというもの。今日はその話を詰めにMさん、Nさんがやって来た。実はもう一つ話題はある。先月末に南風原の染織関係の展示を見に来ていた喜如嘉のYさんが二風谷の知人の送ってくれたシケレペニの皮(キハダ、干したもの)を送ってくれたことだ。Iさんの体調改善にこのシケレペニが良いのではということで送られてきたのだが、この「二風谷の知人」こそが【たまたま庵】で交流会をしようか、という話なのだ。
11 09 台所の排水が沁みだしてくる。前にビニールテープで二度も直したのだがまただ。見てみると相当破れている。具志頭金物店に電話、部材ありとのことで言ってみるとキットのようになって売っている。しかも廉価。560円。容易に取り替えて修理完了。夕方、コザのKさん友人を連れて三人で立ち寄る。嬉しい。夜、嘉数公民館で11/4の稽古。京子さんのお弟子さんたち和気藹々としていて暖かい。
11 10 ジャカルタ公演に付随するワークショップを任されている。三板の実習を入れようとも考え、知人に貸して欲しい旨メールを送る。十組は揃えたい。二人組で二十人の対応になる。知人のRさん、公的に"学力"を認定する試験が近いので数学の勉強に付き合う。二次関数や三角関数。面白い。夜H、K、Uさんが来る。飲み食い。
11 11 午前、Kさんに三板(二組)を借りるべく佐敷の農場へ。良い天気だ。譜面台も借りた。助かる。佐敷に来たついでに琉銀、郵便局。携帯電話を忘れているIさんに届ける(南風原の工房)。今日もRさんと勉強。夜、シュガーホールに星の話を聞く会に行く。ここでKさんに三板四組、Nさんに一組を借りた。Kさんにも借りるのでこれで八組調達。自分の所に三組あるので間に合った。
11 12 地謡の練習。太鼓の梱包。締太鼓を締め直す。ジャカルタ行きも間近だ。午後、Rさんと勉強。その後通院のためタクシーで病院へ。彼は一週間ほど前に南風原の交差点で交通事故にあっているのだ。自転車で学校から帰る途中、右折車にはねられた。不幸中の幸い、怪我の回復も早い。Iさん、明日の久高などのガイドの打合せでRさん宅へ。
11 13 Iさんは一日ガイド仕事で出掛けた。私は旅の準備と練習。ジャカルタは赤道の少し南なのでこれから夏に向かう。とにかく常夏なのだろうからTシャツ、そして肌を曝さない文化だから半ズボンは一つだけにした。DVも準備。夕方、門で打合せ。またまた美味しい夕食をいただいた。南風原の百円ショップで買い物。スーツケースのベルトなど。
11 14 昨夜は作文でほぼ徹夜。虹の会の原稿、数日前に完成していたのだが字数を勘違いしていたと気付いたのだ。半分に縮めた。ネットで旅行保険の手続したり荷物の確認などで寝たのは6時。八時に起きて花野果村で土産を買う。Hさんに会う。9時15分のバスで那覇へ。モノレール下りてからはカート二台に満載した荷物を転がして国際線ターミナルへ。途中で土産のどなんを購入。1155発。1230台北、ここで三年半前に使った温水シャワーを浴びる。幸せ。1355発1545香港。山の手前に立っているのはなんと高層ビル。びっくり。1620発2030ジャカルタ。この間にiBookで空中作文。ワークショップの台本を書き殴った。空港ではIさんが観光用査証を取る、私が社会文化査証なのだが難なく通過。ホッとする。Oさん迎え有難う。彼の家について一安心。予想通りちょっとした御殿だった。
11 15 7時半朝食。9時デイアナさんアリさんが来て打合せ。空中作文した原稿の誤字訂正をし、Oさんのパソコンで印刷。通訳のアリさんが明後日までに翻訳原稿を作る、というのだ。
【写真はこの催しのちらし】 10時に出発、11時ベネツィアカフェ(TIM=の敷地内にある)で記者会見。通訳はアリさん。落ち着いた感じで良い。唄三線の場面ではカメラが沢山寄ってくるのが嬉しい。
会見後に歩み寄ってきた一人の記者が40年代の戦争のことに触れたので、沖縄は「加害(他国への)・被害(日米の地上戦、そして米軍の支配)」の両面を背負ってきたことを説明。朝鮮戦争、ベトナム戦、湾岸戦争、イアフガン、イラク戦、という話題も出す。全体の記者会見でも日本と琉球の関わりを簡単に説明はしたが、20世紀のことはほとんど話さなかったことを反省。
ケーブルTV局からその場での撮影依頼がありインタビューと演奏。キャスタが綺麗な顔をしていた(男性です)。TV向きだな。昼ご飯を食べ損ないそうになるが、ナシゴレンをかきこんで一息。
公演会場の舞台へ。監督のソニさんと話す。良い感じの人。やや横に広がった感じの800人収容のホール。開放的でよい雰囲気。私の太鼓、三線をならしTさんが唄う。スタッフに音を聞いてもらうため。控え室の広さや備品、舞台への動線を確認。伊是名の会の五名は明日の夕刻に到着だから、今日の私の責任は重い。
TIM事務所に挨拶。その後ワークショップ会場下見、踊り手の着替え場所を確認。
Oさん宅(小御殿なのだが便宜上「宿舎」と呼ぶことにしよう)でワークショップ関連の打合わせ。アリさんは敬虔な(だと思う)回教徒なので、時間が来るとお祈り部屋に入っていく。
夕食は宿舎から徒歩圏内のマナド料理の店。Oさんは職場へ行く。食事後、車はインドネシア大学へ向かう。途中アリさんを下ろしHさんを拾う。彼は大学卒一年目で日本語の講師をしている青年。神奈川出身。唄三線で参加する。
大学のR棟を探す。Oさんが紹介してくれた打楽器ユニットのリハーサルが行われているのだ。20人ほどの合奏。迫力と即興の音楽。ちょっとしたストーリーもあるらしく語りの男声と女声がまた良い味。ぼくらと同じTIMの劇場で来週本番があるとのこと。集中した練習の様子に学ばされる。ガムラン+現代打楽器アンサンブルという感じ。
練習見学、一時間ほどで失礼して帰路につく。Hさんを下ろしOさんを職場で拾い宿舎へ。高速のLAN接続がない(ジャカルタはだいたいそうらしい)のでダイヤルアップ接続の設定をiBookに仕込む。割と短時間で繋がった。明日の到着時の注意を娘にメール。Oさんがまた空港に迎えに行ってくれる。娘は踊り手五人の付き人役なのだ。

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