ここをクリック→[BBS] 殆ど毎日書きこみあり。どうぞ参加して下さい。[BBS]←ここをクリック
    このページは2002/08/02/09:00頃 作成  09/20最終更新
「二行日記」を表紙から移したものです
02年6月30日迄の分は【1】をご覧下さい。
02年7月の分は【2】をご覧下さい。
02年9月の分は【4】をご覧下さい。
8 1 「TVに出る!」の挨拶葉書をもって旧職場に。教育研究所にはA氏がいた。金城哲夫を中心に話したら、小原國芳が成城学園高校に講演に来た時の様子を話してくれた。A氏は当時高校生、60年代半ば。私の想像している小原の像と重なる。二人で話しているうちに彼(薩摩人)の持つ琉球への「愛憎」が見えてきた。
8 2 雷雨の中、相模原の盆踊り会場へ。踊りの後ろで太鼓を担当。ちょうど雨もあがって涼しい感じ。演奏直前になって人がどんどんやってくる。「東京音頭」やご当地の音頭の後で、四つ竹から。5m四方の舞台はいかにも盆踊り用で、面白い図だ。アンガマの面には子供が喜んでいた。こういう客層もいいんだなあ、実に。
8 3 狛江市で行われた「住民基本台帳ネットワーク化反対」の催しを見に行く。韓国のドキュメント映画と講演、質疑応答。韓国の制度は30年代の満州に発していて、朴チョンヒ時代に開始。韓国の人ともっと連帯の機会を作らねば。かつての竹中労達の「在韓被爆者」映画や昨年見た「メヒャンニ」を思い出す。
8 4 夕方を刺身にしてから慌てて自転車で吉祥寺へ。めざしたのがどんとの誕生日記念ライブ、下北沢。ベテランのあじを満喫。さちほさんも永井君もベースの音がいいったらないぜ。また自分も弾きたいぞ。最前列で踊る。ビギン生初めて、良かった。戻って飲むさけも旨い。これで今日のさかなごっこ終わります
8 5 FM世田谷に「ぱにぱに」がゲストと聞いて駆けつける。その時間は「休憩」のKアナウンサーと一緒に、ブース外から応援。周りに集まっていた人達も生演奏始まるとリズムを取ったり手拍子したり、雰囲気が一変する。思わず「唄は力ですねえ」「であるわけさ」と話す。三軒茶屋から下北沢まで気持ちよく歩いた。
8 6 朝、犬の散歩からの帰り、市の放送が入る。8・6だった。「廣島」と「帝國海軍」の文字が浮かんで来る。峠三吉、原民喜、「産ましめんかな」、「黒い雨」、なども浮かぶ。いつか行こうと思って何十年も経った。夜、府中の方で花火、保育園の保護者(だった)仲間が友人宅に集合。幼児が皆青年になっている。頼もしい。
8 7 伊波普猷「沖縄女性誌」を読み始める。「うちはれ」とは「(女性が)着物を取り払って本来の姿で(祭りに)参加する」の意らしい、と知人から聞いたことがきっかけ。「嘉例ゆしの遊びうちはりてぃからや夜明きてぃ太陽の上がる迄ん」(りんけんバンド)ずっと前から好きだったが、その話初耳だった。勉強するぞ!
8 8 TVに映るよ、の連絡を大勢に送ったのでここのところ嬉しい返事が続々(この日記を小文字でなくしたのも「声」があったので)。「ぼくの好きなうた」の参考文献を図書館で取り寄せて読んでいる方もある。数年ぶりに葉書をやりとりした方々もあるし久々の電話もある。愛蔵さんのいつも言っている「行動行為」のおかげだ。
8 9 夕べは久しぶりに、中野の山原船「三線愛好会」へ。相変わらず、H会長筆頭に、元気なみんなが集まっている。常連もいるし今日が初めてといった風情の方もいる。これが愛好会の良いところだな。老若男女。私が初めて行った日には子連れ(赤ん坊連れ)の客もいて「こんなして人が育つのは良いな」と実感した覚えがある。
8 10 「調布飛行場の掩体(えんたい)壕を保存する会」の集いに参加。飛行機を空爆から守る構造物である。私は十年以上前から興味を持ってきた。甲州街道(新道)が西武多摩川線を跨ぐ所のすぐ南東に一基。その北方、白糸台小学校の北側に一基。さらに滑走路の北東側、「(都立)調布苗圃(びょうほ)」内に2基が現存している。
8 11 TVに出ちゃうぞ!の一大事のおかげで、暑中見舞いも数十通。返事も多くて嬉しい。電話、葉書、封書、、に感謝!支えられている気がする。近頃読んでいる「老子」は大きな救いであり、戒めでもある。同様に声援は暖かさと同時に批評も含んでいる、と考えてる。ああ、そのエネルギーの渦から力ある文章が書けるといい。
8 12 沢山の知合いと会う!恒例、寿町の祭。渋サ知らずの演奏中に着く。舞台に知っている顔。白熱の演奏後、声を掛けると皆いい顔だ。今まで見たことのない表情。その後十人以上と次々に会う。数年ぶりの顔もある。既に酔ってる顔もある。「やっと渡せた、良かった」と今無き店の開店祝いで演奏した時の写真を手渡されたり。
8 13 夕べは寿町から早々に帰宅、晩飯を作って娘と食べすぐに國仲勝男ソロライブを高円寺に聞きに行く。演奏後抱瓶へ。今日は合奏練習後、また抱瓶へ。楽しく飲み話し歌ったり踊ったり。嬉しい電話が入る。明日の演奏に加わってくれと、知念良吉さんから。三線と唄で谷藤律子さんも加わるのだという。面白い組み合わせだ。楽しみ。
8 14 午前、少人数での"調布飛行場周辺の戦跡見学"会。私は運転、「保存する会」事務局のU氏が案内。見学の主体は三鷹に住む中学生、そこに朝日タウンズの記者も。掩体(えんたい)壕4基や高射砲の台座などにて回る。別れ際にT記者は春から六本木「島唄楽園」で続いている唄三線の会で練習を始めたという。二人でびっくり。
8 15 昨晩の知念良吉ライブ、楽しかった。新曲では、ブルースギターにわざと民謡の太鼓の打ち方で合わせる、という課題。面白い。良く知られた曲に合わせる時、細い撥(ドラムスティック)の尻で打つと乾いた感じの革の音が得られると発見。明けて今日は【大日本帝国の敗戦】=【植民地の反帝勢力、反戦闘争の勝利】から57周年。
8 16 西荻窪の馴染みの店に。店主のお父さんは寺田勲とK大学で同級生。43年のいわゆる学徒出陣の年代である。そのことを知ったのは数年前の四月、戸井昌造さんの葬式の帰りに寄った時、「昌造さんは亥年、寺田勲と同年生だったと今日知った。彼はW大学だが」というと主人の妻Fさん「お義父さんも同い年、でK大」。死が産むもの。
8 17 寿の手伝いで葉山森戸海岸。西向きの海岸で江ノ島の灯台が正面。小中学生の頃いとこの家からあの光をぼーっと眺めていたっけ。高2の時は芝居で使う波音を録りにデンスケ担いで初めて島の向こう側に行った。数年前同じ所で見事な満月を眺めた。日暮れて、ライブ好調。数年ぶりに合う顔も。歌に集まる人がいるという喜び。
8 18 先月下旬収録の「題名のない音楽会」放映、ドキドキしながら見る。楽屋のモニターを個人的に録音してたから自分の演奏の音的評価は既に済んでいたんだ。で、今日は絵的に鑑賞。はっはっはっはー黄色の風呂敷頭にかぶり眼鏡に髭、藍の作務衣に草履。妙に楽しげな身のこなし。怪しいおっさんだぁ。確かにオレだって味がした。
8 19 昨日のTVを観た知人からメールが届いている。10名以上から。返事を書くのも楽しいもの。遠方からの電話も嬉しい。同時に「テレビうっかり見逃した」「ビデオ取り損ねた」という声もあり、急遽「誰かビデオ譲って」「貸して」という内容のメールをめぼしい人々に送る。早速貸し出しの申し出も届く。嬉しいことだ。
8 20 台風が海上を東に去って、いっぺんに季節が変わった感じがする。部屋の寒暖計を見ると依然30度近いが、都市の濁った空気が一掃されたからか大変に爽やかだ。空の色も変わった。先週土曜に潮風に当たった太鼓のカバーを洗濯する。愛蔵さんがくれた、米軍放出品のでかいバッグを洗濯するのは10年以上使っていて初めての事。
8 21 nachi-booの抱瓶ライブ。 総計2時間に近い演奏。自分としてはほどほどの出来だったが割と好評。この前のTV収録とは正反対の、熱い観客(抱瓶の従業員を筆頭に)と近接する共演者(座って打っていたため左の耳のすぐ左に井上氏のギター、右耳のすぐ右に中内氏の鍵盤-私の頭が楽器の左端を掠る位置関係)のおかげだろう。
8 22 八王子の、母の墓へ行く。母は歌が好きだった。「夢で会いましょう」六八九なんかを楽しんでいた(と思う)。黛敏郎の「題名のない音楽会」を毎週見ていた(と思う)。大泉第二小のPTAの合唱同好会で「僕らはみんな生きている、生きているから歌うんだ」と歌っていた。'65年12月、クリスマスのちょっと前に亡くなった。
8 23 寿のウークイ演奏会を新大久保に聴きに行く。旧正月にここで「鷲の鳥」の太鼓を打ったのだった。聴くたびに寿は良くなっていると感じる。ずっと前は音程とか、リズムとか、テンポとか何かしら気になっていたんだが、最近は完全に安心している。自分にとって、また寿にとってそれが良いことなのか良くないことなのか気になった。
8 24 「ウルトラステーション」という円谷関係品の店に行く。8月10日、武蔵野台「玉の湯」で汗を流してから飛田給「天ふじ」まで歩いたとき見つけた店。「ウルトラQ」がDVD全集になっていること確認。のどから手がでるほどだったが「定収があるようになったら中古でも探して買おう」と決心。金城哲夫の文字をじっと見ておいた。
8 25 従妹から「題名のない音楽会21」をHDに録ってDVDに焼いたものが届く。デジタルの時代だ。が残念、右chが無音。機材の接続が良くなかったのかも。しかもHDは既に消去!そういうこともあるさ。そこで「ビデオあったら提供して」の声にいち早く郵送してくださったAさんのテープ(数日前に届いた)が役立つ時が来た。
8 26 にわかに自転車野郎。調布市、三鷹市、杉並区、世田谷区。三軒茶屋まで小一時間。帰路は古本、古CDなどを辿って帰る。下高井戸か桜上水かにあったはずの中古打楽器屋が見つからなかった。十年以上前に一回言ったきりの店の記憶だから仕方な い。まるで震災と浸水被害にあった直後のような古書店があった。それでも営業中。
8 27 中島飛行機(武蔵工場)に関する講演会を聴きに行く。ノートPCからスクリーンに映し出す手法が効果的。高高度爆撃(10km)では工場への命中率は数%だったとか。「誤爆」とは言わない「誤爆」だらけだったわけだ。動員されていた学徒 の犠牲者は既に明らかであるが、一般工場労働者の犠牲者の特定はなされていないと言う。
8 28 伊波普猷「沖縄女性史」読了。最後に収録されている「琉球新報社の美人投票について」(『沖縄毎日新聞』明治45年2月) が大変気に入った。社会教育に理解の深い(はずの)新聞たるものが、そういう企画をすることは許せぬ!という趣旨をたっ た150字に柔らかな文体でまとめている。しめくくりの「さようなら」が効いている。
8 29 日吉の海軍司令部壕跡を見学。慶應義塾の日吉校舎が、このように海軍に使われていたという事実に打たれる。松代大本営は知っていたのだが。小禄の海軍壕と似ている要素と異なっている要素がある。戦争遂行のための海軍。実に立派な壕を使っていたものだ。が、その事実をどう評価するのか。今生き残っている私たちに問うている。
8 30 藤沢市の従妹の家に行く。古いアルバムをめくり、めぼしい写真をスキャンするために。ひさゑ、そしてイサヲらしき写真。アルバムには平和しか写っていない。不幸や戦争は写真の間にこそ潜んでいる。ついでに自分の若い頃の「りりしい写真」もあった。幼時の己に格別の「意思」を感ずる。時間を超えた自己愛。その快感を愛おしむ。
8 31 来月半ばに渋谷でやる「三線愛好会関係のライブ」手伝いの稽古。中野あしびなーの三階で。「愛好会」と言いつつ腕前は相当のもの。最近の若い人々の実力向上には目を見張るものがある。都市で生息する(幾千万の)人間達よ、求めているものは何なのか。あしびなーは金城吉春氏の店、 「東京(!)エイサーシンカ」の拠点。
02年6月30日迄の分を見る(【1】へ)
02年7月分を見る(【2】へ)
続きを見る(【4】へ)
[BBS] 話そう、語ろう【ここから、今から】何かが 始まる
00 表紙のページに戻る 


← 感じたこと 考えたこと お伝え下さい