このページは2003/07/03/11:00頃 作成  03/08/05/12:00頃 最終更新

「三行日記」   2003年7月
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07 01 その貸家に申し込んだ人はすでに複数名いると不動産屋。その上、広告の看板はバス通りを中心に増えていく。競争相手は増えるなあ。だがどんな「競争」なんだか、見当が付かない。ただ待つのみか。大潮。干潮時の海の景色が素晴らしい。梅雨明けの空気が澄んでいる。丘の上から佐敷湾を見る。眼下の畑地を雲の影が流れていく!
07 02 初めてモーウイ(=畑の芋)を料理する。中華炒め煮にしてみたが旨い。331号で知念半島を左回りに走行。梅雨明け一二週間は安定した風が吹き、晴れの日が多いと聞いたがその通り。知念村から佐敷町にかけてがいい感じ。ちょうど、昨日山の上から見た場所なので、記憶にある「眼下の景色」の中に今の私を重ねて面白い感覚に浸っていた。
07 03 佐敷町に2DKで2万円台のアパートがあると知る。手頃な物件が出るまで腰を落ちつける場所を作った方がいい、とも思っているので、こういう安価な部屋も探している。問題は階段や廊下や入口の広さ。長さ2mの本棚が入らない場所は、残念ながら意味がない。一階の部屋でも数段の階段があったり入口までの経路が真っ直ぐでない所も多い。
07 04 既に月曜日に申し込んだ貸家が「売却可」であると知り驚く。道に並んだ看板には「貸」の文字しかないが、当の物件の門に掲げられた看板にはその文字があったのだ。迂闊だった。早速電話して、事情を聞く。「借」で申し込む場合と「買」で申し込む場合とどちらが優先かと問うも返事は要領を得ない。やきもきさせされる。
07 05 「梅雨明け十日」が山の天気が安定していて登山に適しているとは兼ねてから聞いていた。この琉球の梅雨明けはさらに安定している。「台風が来るまで雨は無い、畑が大変」とも聞く。与那原に手頃な広さの貸家が出ているので参考に見に行く。とても良い。一番座、二番座、裏座の構成を踏まえた作り。光ケーブル100Mの地域とも。
07 06 例の貸家は「売り」の話も絡んで妙な方向に変化していったが、どうも私との縁はなかったのだ。神奈川からの知人が来た。那覇に行く。那覇は街で、暑い。冷房の喫茶店から出られない。斎場御嶽の話になる。真剣な顔になる。佐敷に住む知人に久しぶりに電話。「そういえば以前学童保育所だったプレハブが空いている」と教えてくれた。
07 07 東京を発ち八重山へ行く途中のKさんのことをメールで知り、早速予定を聞くと、朝一番の飛行機で那覇に来ているという。夕方会って安謝港まで送っていく事にする。午前、プレハブのことを不動産屋に尋ねる。思ったより高い。絵本を某書店に置くための仲介になる業者を那覇に尋ね、その足で首里のアルテに寄りカレーを食べた。旨い。
07 08 昨晩遅くネットカフェで貸家三軒をメモ、さっそく不動産屋に電話し一軒を見に行く。大里村であるところが一番のネック。私の探しているのは玉城、具志頭、知念…譲りに譲って佐敷なので、それ以外はあくまでも参考なのだ。が、これまた魅力のある貸家だ。午後、一昨日斎場御嶽の話したMさん、「風の里」に来る。たっぷり話が出来た。
07 09 朝から絵本の関連で動き回る。宜野湾で二か所、コザ、等々。新しい出会いも有意義だし、長い付き合いの人に会うのも良いものだ。夕方、愛車ストリートを車検に出す。これで14年が過ぎたことになる。夜、同じく14年前から付き合いのある民宿のYさんに呼ばれ、三線抱えて出かけていく。東京の大学生のゼミ合宿。Yさん踊ってくれた。
07 10 那覇の書店に絵本を運んでから空港へ。夕方には羽田。梅雨寒。池袋へはバスで。明日の公演の打ち合わせ、音合わせ。ビールで乾杯。久しぶりの東京は人が多くて何となく腹が立ってくる。今月末にもまた東京に来ることになっている。琉球の拠点が定まっていないことが忌々しく感じられる。とにかく東京は人が多すぎる。
07 11 久々のADSLでネットを楽しむ、という間もなく、入間市にすむ芸術家を訪ねて出発。三鷹から乗ったタクシーの運転手が宮古の人。話弾む。芸術家Fさんと話してから公演会場へ。小学校時代を過ごした町だ。いい感じのホールで楽しい時間を過ごした。知人友人も多く聴きに来てくれた。打ち上げ、二次会も気心知れた面々。
07 12 午前中は娘と過ごす、といっても英語の勉強を見てもらっている脇でネット。午後、人に会いに新宿へ。この人混みがまた大変。紅茶一杯が\600というのも新宿らしさか。Yさんと話した後、模索舎へ行き、西荻窪のUに行く。本当に東京では土を見ることが少ないと気づく。風も建物の隙間からやってきて建物の隙間へ抜けていく。
07 13 早朝の直行バスで羽田へ。十時には糸満を走っている。玉城で「貸」の看板を発見。幾つかの欠点はあるものの、ここには申し込みを出すだろう、縁がある気がする、と直感。だが、電話ではどうもよく説明が分からなかった。こういう場合は会って話すに限る、と再び那覇へ行く事になる。夜は絵本の会計処理などで「職場」へ。
07 14 貸家の中を見せてもらう。良い。収納が多い。家事スペースがある。ベランダの作りがやや半端だが…「個性的」といえばいいのか、ピントくる要素が幾つかって安心を誘う。昼、最近出来た小さな食堂で野菜そばを食べる。薄味、とポスターにあったとおりさっぱり味で旨い。三間四方くらいのプレハブだ。小さいことの良さ。海を眺める。
07 15 昨日は午後もう一軒「貸家」を見た。不動産屋の仲介では無く、知人の知人の知人の家であった。その集落を散歩して自分を土地に馴染ませてみた。静かで良い空気の場所だ。だが夜に家主に会って話してみると「貸すより売りたい」とのこと。その意向も良くわかった。縁を結ぶのは難しいものだ。月を愛でながら酒を飲んだ。
07 16 昨日は「盆」だった。思いがけず、久し振りの人達にあった。不思議な巡り合わせの日だった。今日もやや不思議な日。何かが新しく動いている感じ。根拠があって言っているのではないのだが…。朝、車検に出していた愛車が戻る。夕方、例のプレハブを見る、夜、月末の羽田行きのチケットを受け取りに那覇まで行く。忙しい日。
07 17 サイト更新--こういうことが話題になるのは携帯電話で接続しているからだ。メールチェックと掲示板の確認がやっと。早く高速常時接続にしたい。玉城村の知人が「いい貸家がないねぇ、僕の土地に瓦屋根の家を建てて借りてもらうのも良いな。キチンとした建物なら目的は変えていっても長く使えるよな」と言っている。
07 18 これまた不思議な巡り合わせの日。不思議。午前中、東京から来た知人と西表から神奈川に帰る途中の知人に会えた。一昨日Faxで送った賃貸の申込書が「審査」され通った。次回の東京行きの帰路のチケット (キャンセル待ちしていた)がとれたと連絡入りさっそく購入。不動産屋で家主と短い時間だが会えた。そして午後にはさらに〜
07 19 〜午前中に会った東京からの知人の仕事に付いていく形で、ある本屋(兼教育関係の本の流通をしている会社)の「企画会議」ごときものに参加して、絵本を紹介することが出来た。嬉しいことに反応が良い。展開の大きかった一日だった。今日はこれまたその東京から来た知人の引き合わせで大工哲弘氏の演奏の手伝い。瀬嵩で。
07 20 昨日のことの追加を書く--前日に仕上げた賃貸契約書を保証人の印鑑証明などと共に提出。会計して鍵を預かる。午後、民宿の荷物を引き上げおばさんに感謝の挨拶をする。唄三線で新居を鎮め、また愛でてから荷物搬入。さて瀬嵩では演奏後深夜まで、呼んでくれた団体と交流(飲み会)。朝食時に絵本が10冊売れた。南部に戻り〜
07 21 〜新居で初の入浴。足が伸ばせる。昼、日輪を虹が囲んでいるのが見えた。以前深夜の満月で見たことがあるものだ。名を知りたく思う。午後、私を沢山のものと繋いでくれた東京の知人を「職場」に紹介。彼は夕方の便で帰京。夜カラオケ(「職場」の慰労会)。楽しかった。今日はゆったりと荷物の運び入れ。ガス屋、畳屋が来る。
07 22 昨日は浜川御嶽にも行く。風に吹かれる。この三日間で運び込んだ荷物はまだ全体の1/10程。日没直後、水タンクに登ってみる。水平線がサチバルから摩文仁まで見渡せる!これには感動。「職場」は月曜定休なので今日からまた一週間の始まり。「引っ越し先が見つかるまで」といって始めた仕事だ、今後を話し合わなくては。
07 23 朝、知人の作業場の軒下に置かせてもらっていた本棚二台を搬入。一月間預かってもらっていたことになる。梅雨明け直後から。殆ど雨のない一月だった。長さ2mはさすがに大きい。三階まで上がる階段の折れ曲がる部分では、縦にしてやっと通った。つまり、高さ2mの状態で運んだのだ。その後35kg強の洗濯機は一人で持ち上げた。ああ、しんど。
07 24 ダイニング用の椅子と、パイプ椅子合わせて六脚を、中古屋で見つけて買う。加えて、小さな冷蔵庫。これで来てくれた友人にビールを振る舞えるというわけだ。夜は洗濯物を干すための綱と洗濯ばさみを買った。昨日、洗濯機の電源周波数対応を終えて「試運転」も何回かこなしてあるから。帰宅する時刻、南天低くに蠍座がよく見える。
07 25 首里の飲み屋で三線会の飲み会。参加者7名中の最年長で、唯一の男。太鼓打ったり、話をしたり、なんとも楽しい時間を過ごした。タクシーででも帰るつもりが佐敷まで送ってくれる車に便乗。その後丁度佐敷から玉城に行く知人を捕まえることが出来た。これで上手く乗り継いで帰れたというわけだ。幸運な一日のように思った。
07 26 夕方、久々に雨らしい雨が降った。南風原の福祉施設の夏祭り(納涼祭)に参加。唄、三線、太鼓、楽しむ。その後一日橋近くの民謡酒場で十人近くで飲む。飛び入りで「なりやまあやぐ」。民謡酒場のマイクで唄うのは久しぶりだ。新居に住み始めて一週間。夜風が涼しい。一雨降ったせいか、草木も虫もホッとしたようだ。
07 27 昨夜国頭から演奏に来ていて、あいにく車が故障したMさんが泊まっていった。午前、家の北方にある公民館や知人の家から私の借りている家を撮影。遠景が海、緑の中の家で、いい感じだ。午後、知人の知人に冷蔵庫を戴く。運搬用に車を貸して戴いたり、また、積み卸しに手を貸して戴いたり、多くの人の協力で我が家まで辿り着く。
07 28 昨日の冷蔵庫運びには、東京から来ていたSさんの手も借りた。映画の配給関連の仕事を一人でしているのだが、冷蔵庫を紹介してくれたIさんが島での映写会を願っていて、その繋がりも出来たようだ。人が繋がって動くと言うことの面白さ。調理道具、皿などが別の知人から届く。皆私を励ましてくれている。ありがたや、ありがたや。
07 29 埼玉のおばさん、静岡のおばさん、練馬の先生にマンゴーを送る。近くの共同売店から直送できるのだ。昼には二人、夜に6、7人の来客あり、楽しく話し唄って踊る。この三日間は沢山の来客があった。書きたいことも沢山だが、ここでは省略。明日からは東京だ。郵便局に移転の話をしたり、公民館に挨拶したり。それにしてもいい天気だ。
07 30 昼の便で東京に、待ち時間は長かったがバスで調布に行った。と言うのも荷物が多くてとても階段での移動が出来ないからだ。太鼓二つ、三線、PCに加えて、段ボール箱。聞いていたとおり東京は梅雨明け前。涼しい。飛行機もバスもいつの間にか寝入ってしまい、気づいたときには到着していた。人が多く土が見えない、毎度同じ感想。
07 31 「障害児教育と音楽」という講習会の「ワークショップ」で沖縄の音楽に合わせて踊る教室を担当したUさんの手伝いの仕事。午前午後2時間。唄三線を続ける訳だ。楽しかった。受講生の多くは養護学校の先生達。こういう仕事は充実していて楽しい。交流会では主催した学校の先生達、音楽療法の学者、と言った人達と意見を交わした。

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