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    このページは2002/11/18/15:00頃 作成  02/12/11/最終更新  04/11/05誤字一字訂正
「二行日記」を表紙から移したものです
02年10月の分は【5】をご覧下さい。
11 1 11/16の為の勉強の一日。「琉球・沖縄史」(新城俊昭)を中心にして国境の変遷、踊りや唄の歴史を学ぶ。関連して数冊机上に開きつつ。ああ、勉強は楽しい。と同時に、ああそうだった忘れていた、とか、えっそうだったっけ、が沢山。相当時間かけて読んだ後、一休憩してからもう一度おさらいしつつメモをまとめる。ああ楽しい。
11 2 11/16の準備会に参加しにH高校へ。空が広くて良い。ゆったりとした作りの学校で大きな池があったりそこに太鼓橋がかかっていたり、高い建物を排していたりで実にいい気持ちだ。帰りは最寄りの駅まで1時間以上歩いた。紅く石榴が割れていた。濃緑の畝を為している茶畑。だが、せっかくの大空を銀色の奴らが飛び回るのには閉口する。
11 3 チャランケ祭。久しぶりにアイヌの踊りを満喫。狐、鶴、バッタ、雀、など聞き慣れた唄が心に響く。ああ、二風谷の光や風を思い出す。オハウは味が薄くて今一だったが、鹿の筋の煮込みは旨かった。初めて食べた。祭の締めくくりの祈りの儀式がぐっと来た。今日もまた沢山の知人に会う。が愛蔵さんは居ない。山原船の無い中野。
11 4 春日に「沖縄"本土"復帰30年、奄美"本土"復帰50年を考える」シンポを聴きに行く。四人の発表者、興味深い話。中でも私に新鮮だったのは、奄美の歴史。「排薩興島」に400年の重さを感じた。「独立」についても幾つかの論調がある。自分の「論」を鍛えたいと感じる。そして"復帰"という概念こそを問いたい。会場の平均年齢が高い。
11 5 「廃藩の士」「軍人節」「屋嘉節」「艦砲の喰え残さー」「時代の流れ」という「琉球処分曲集」を考えてみた。もしかしたら11/16のH高の催しで使えるかも。どれも久しぶりで唄ってみた。関広延「誰も書かなかった沖縄」も再読。さて、最後の一曲が欲しいんだが、相応しいのは何だろう。「どぅちゅいむにー」かな。
11 6 一昨夜、神憑りを考えてて野本三吉「いのちの群れ」を思い出す。Nさんに貸してたはず、と昨日メールすると「御免御免すぐ郵送で返す」と返事。ホッとしたが私は7日から沖縄旅行、自分で取りに行ったのにぃ、と言っても後の祭。で付近の図書館をネット検索。72年刊、85年新装版出ているがなかなか無い。やっと杉並に見つけて〜
11 7 〜電話予約。「クイパラ通信」原稿をヤッと仕上げて(前回の「節」の続き、もう一回は続くな)夕暮れ時に自転車で荻窪に。思ったよりも時間がかからない。つくづく自転車は優れものだ。野本三吉最新刊も借りてその場でぱらぱら読み持ち帰る。とにかく日暮れが早い。4時半に富士山の脇に沈むのだ、というのが昨日の記録。今日は機上の人になる。
11 8 飛行機を降りるとあの湿気と暖かさ、沖縄の空気だ。玉城付近に行くとああ、あの匂いだ、と気づく。草?土?それともカビなどの菌類の匂い?とにかく嬉しい懐かしさだ。H御嶽も掃除されていて実に自然になっている。村の遊歩道が造られ始めた。受水走水へ上の方から降りていく道の入り口に行くと、コンクリートの階段を作っていた。少し残念。
11 9 夕べは奥武島の海産物食堂で刺身、あばさー汁、酢味噌和えなどをたらふく。従姉二人と玉城の友人の四人で。民宿に従姉を届けて私はその友人宅で又飲む。別の友人も呼ぶ。焼き物、織物、御嶽、神々、唄、話は尽きない。昨日夕方に空港で迎えた従姉達をはじめに連れて行った場所が糸数城だったが、そこからの展望の中に納まっている世界。
11 10 一週間後の日曜に行われる「満月まつり」の会場、知念岬を見に行く。素晴らしい眺望。人工的な芝生については賛成しかねるが、それにしても気持ちのいいところだ。海に突き出しているのに風がない。昨日訪れた本部の備瀬は風が強かった。風よけ、日よけの福木並木が素晴らしい景色を作っていた。沖縄も色々だ。斎場御嶽は夕暮れの黒いシルエット。
11 11 珊瑚舎スコーレを見学。従姉二人はいたく感動。こういう学校に行きたかった、こういう授業を受けたかった、としきり。そのあと玉泉洞の北側の遊歩道に巨大榕樹を見に行ったが整備中で立入禁止。拝みに来る人が多い場所なのに柵をして良いものなのだろうか。従姉を空港に届けた後、屋良文夫さんの店「寓話」へ。また話弾み良い酒の夜。
11 12 発つ日。会い損ねていたKさんに土産の菓子を持っていく。5分くらいの立ち話(彼の家の前で)だったが、大岩の前に私たち二人、見晴らすと4日前と同じく玉城の海が広がっている。その世界からバス乗り継ぎ空港。疲れからか離陸時は寝ていたらしい、はっとして外を見ると既に空中、雲が切れた瞬間に知念岬、久高が見えた。慌ててパチリ。
11 13 さあ、予想通りの好天。午前中に野川公園と深大寺の水戴いて「満月まつり」主催者に郵送しようと自転車で出かけたとたん、井頭の湧水がひらめく。小学校低学年の頃友達と遊んでいて橋の下の水中で水底の小石を動かして水がわき出ている様子を見た場所だ。約40分で到着。苦労して採取。思いの外小学校から近かったことも知る。自転車のおかげ。
11 14 H高校三年村会議(保護者の会)主催の「中心と周縁」(16日)が秒読み。馴染みにくい用語をカレンダーの裏にマジックで書く。「冊封(使)」やら「豚(わぁ)の文化」やら。地図も大切だ。中国大陸や朝鮮半島は当然のこと、千島(クリル)、樺太(サハリン)から台湾までを含む手頃な地図はなかなか無いこと知っていたが、やはり苦労。
11 15 明日のレジュメを印刷したかったがパフォーマにデータを送れない。まずい。ついにUSB接続の印刷機を買う時が来たか。午後のnachi-boo練習の恵比寿にんにくやに太鼓を置いて、帰宅後PC屋へ。定価の半額で良いのが買えた。印字速度も驚くほど早い。地図も歌詞も入れて4頁に。「平和の礎・写真集」や「沖縄語辞典」なども持参する予定。
11 16 参考図書を入れたスーツケースが重い。総勢14人が集合時間通りに参集、嬉しい。「唄と踊り」ミスもたくさんあったが、及第だな。後半「平和学習関連」は時間不足。「日清の『分島案』」で「中心と周縁」を強調し何とか催しは終わる。参加した皆さんに感謝。美味しいビールを戴きました。H高校の係りの皆さん(先生も)有難うございました。
11 17 昨晩I駅付近で2次会、3次会(この辺から記憶が朧)、T駅での4次会。帰宅睡眠起床。市原市へ演奏に。終えて脱いだ着物も畳まず待たせたタクシーで蘇我駅。折良く快速で東京。恵比寿、ライブの準備に滑り込み。nati-boo6曲、F氏と2曲、今夜は「女王様」と呼ばれた大城美佐子さん(とカナさん)と10曲余。幸せの2日間だった!
11 18 【水の物語】を作成。夏はよく多摩川のことを考えていた。魂のふるさと西の方から里に流れ来る水の恵み。そして海。琉球=竜宮の海。海の彼方にニライカナイ。今度は湧水。この秋に西表祖納で見た「節」の最終日、井戸に感謝と願いの思いを込めて皆で「ガーリー」した。あのエネルギーを多摩の湧水にも捧げたいものだ。どうしても私たちは戴いてばかりで察し上げるエネルギーが不足だと痛感する。
11 19 土曜日の「中心と周縁」(H高校での公演&講演)の反響がメールやFAXで届く。「踊りこはでさ」(四つ竹)で涙、との表現もあり、こちらこそ感謝。「山之口貘」や「比嘉恒敏」「知花昌一」「佐喜真道夫」などの人シリーズや「東御廻りと玉城」「米軍と読谷山」「人頭税と宮古」「生態系と西表」などの場所シリーズも夢だな。
11 20 「中心と周縁」のレジュメ頁を更新。「リスト」を使ってみる。今後レジュメの各項目から複数の頁に飛んで、その内容の説明の文章が出せるようにしたい、が時間的な余裕と文章を書くエネルギーが不足気味。ま、ぼちぼちいこか、て感じやけど今年の残り時間も少ないなぁ。【 水の物語】後編も残とるわ。パギやんのサイトやBBSも覗いたでぇ。
11 21 6時過ぎに出てあざみ野へ。クイパラの学校公演の手伝い。9時から低学年、11時から高学年。私は小学校での公演は初めて。旧職場は小学校もあったから授業見学などにはよく行ったが直接接するのは久しぶり。舞台上で三板を教える役もした。何かの対象に精神が集中している時に人間の発する雰囲気は、大人より子供の方が強くて正直だ。
11 22 明日の演奏に向けて一人練習。「黒島口説」初挑戦。クイパラの2枚目のCDに収録してあるのを参考にする。久々に掛けたがこれ、なかなか良い出来だ。工工四はいつの間にか身体に染みついていて(CDと違うが)我ながら不思議。「天の四宿」「梅桜の匂い」「民遊ぶ」など気になる語が多い。意味そのものもだが、誰の視点かが気になる。
11 23 大泉のホールは200人弱で縦長だがよく響く。気持ちよく演奏した。踊りがあると唄が活きる、という実感を深める。片づけ後、バスに乗って隣町へ飲みに行く。同じ舞台に立った仲間(4歳もいた)と美味しいものを戴き、飲む。こうして今日が終わり明日が来る。幸せだなあ。終バスを逃したのは当然、終電も逃し結局タクシーで帰る。
11 24 池袋に行く。用件は二つ、島の観光キャンペーンに参加している(南大東島)Yさんに会いに行くこと、クイパラの忘年会リハに顔出すこと。そこに行く途中、三鷹でI氏と落ち逢って「アイヌの治造」という新刊書(文化振興の助成で作成されたので定価無し−無料)をうけとっておしゃべり、帰り道では偶然KYに会いビックリ。出会いの日。
11 25 雨の月曜日。「アイヌの治造」を読む。狩猟民族の文化の深さを再認識。養沢川のポンチセがもう無いと知り残念。笹子のポロチセにはいつか行ってみたい。さて西谷修を読むぞ。12/8の東外大のシンポも楽しみだ。昨年の二つの催しを思い出している。6月「映像と記憶」(東外大にて)と7月「共感共苦は可能か」(新宿で)。
11 26 TVやラジオ等のメディアの表現に腹が立つ。今日もラジオで「イラクの核軍備の査察が〜」と彼の国の核軍備が既成事実であるかのような表現をしている。疑わしいから調査しているのだろう。「あるとされる」とか「疑いが濃い」とか幾らでも表現の工夫はあろうに。金正日のいう「死亡」という表現をそのまま流した反省はいずこ。
11 27 日朝交渉が進展しない。一つの理由は「一時帰国」者を返そうとしないことだとか。これに関しては日本政府は実によろしくないと前から思っている。本人の自由意思を尊重、というの当然だが、「一時帰国」は本人の意思だけで実現したのではない。すぐ返すのが筋だが、百歩譲って第三者に頼んで五人を預かってもらったらどうだろうか。
11 28 西谷修を読む。BBCはterro(ism)といわずattack等の用語を一貫して使っているという。「世界」中で視聴されているという自負に敬服。以前から「同時多発テロ」という用語を多くの報道機関が使っているのが嫌だった。自分では「大規模ゲリラ攻撃」などと言ってきた。これも固定しないで行きたい。ビル破壊ばかり注視してはいけない。
11 29 水の物語】に関連した【写真集6】やっと完成。小4か5の頃(「ハローグッバイ」がはやった頃)蛙大量捕獲に酔った新座市片山の黒目川(先月31日=誕生日に自転車で見に行って名を知る)の源流を地図で辿ったらどうも大泉から越した先の萩山近辺だった。ネットで検索し霊園内さいかち窪や霊園と団地の間のくぼみが源流と知る〜
11 30 〜つまり、そのくぼみを見下ろす最東南端の棟の202号に私は6年間住んでいたのだ!しかも「黒目川」は「来梅川」「来留目川」「久米川」とも表記したそうで今の「久米川」や「(東)久留米」等の地名にも通じる。母音「O」と「U」の入替わりが琉球の発音のようだ。霊園ではこれでもかっていうくらいギターの練習をしたものさ。
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