このページは2003/05/13/13:00頃 作成  03/06/19/13:00頃 最終更新

「三行日記」   2003年5月
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05 01 ギーザバンタ周辺を歩く。カンカン照り。戸井昌造の「沖縄絵本」思い出す。海岸まで迫ってきたゴルフ場に、戦争の傷跡が押しつぶされそうだと書いてあった記憶。ゴルフ場は相変わらずで、水道施設の整備に伴ってか親水公園のように整備中だ。海が青い。東寄りにもう一つ降りる道があった。大岩二つの隙間をくぐっていく。草が深い。
05 02 昨日具志頭の崖下の海岸にいた時に一つ物件情報の電話が入った。早速見に行った。その近所に住んでいる知人も尋ねた。携帯電話は便利だ。貸家は私には広すぎ、家賃も高額。知人は「創ることが大切」「地元とのつながりが大切」と語った。今日は船で八重山に行く知人を安謝港まで送った。相談に乗ってくれる人達に感謝している。
05 03 憲法記念日。市民会館で開かれた講演会を聞きに行く。何人もの知った顔に会う。人が動いていることを実感。このくらいの人口規模には良さがあると思う。講師は辺見傭。長時間だったが淡々としかし熱く話していく。短時間に感じられた。会場は満席。手応えのある会だ。帰路、壺屋や市場、国際通りを歩く。三線屋のMさんにも会えた。
05 04 八重山旅行から東京に帰る途中のSさんに会う。乗り換え時間を調節し那覇でステーキを食うのが彼の習わしだそうだ。彼はステーキ250gとビールと泡盛。私はCランチとお茶。西表のH山に登った話、リゾート開発の状況、まーちゃんの砂浜芸能祭のことなど聞く。那覇にいると西表は近いのか遠いのか、まだその辺りの感覚が不自然だ。
05 05 この間見た貸家を知人達と見に行く。西隣に住んでいる人がその人達の知り合いだった。少し話す。付近を知っている友人が案内してくれる。この村で育っているので話を聞いているとこの四十年くらいの時間を想像できる。それは古い文化にも通じている。城。墓。御嶽。川(湧水、井戸)。風水という言葉を心の中で反芻していた。
05 06 昨日の夕方から夜に、Uさん、Mさん、Tさん、Kさん、Nさん、などなど多くの人達と会う。人が交流していくことの深さを思う。今日は知念で木工しているSさんに会ったり、不動産屋のNさんと相談したり。夜は、誘われて、Tさん、Sさん、Yさん、Cさんと飲んだ。大勢の人に関わって生きていることを再認識。それを生かしたい。
05 07 カラッと晴れた。空と水の色が変わった。空気がいっぺんに夏になった。デジカメを持って歩く。海辺、丘、藪の中。御嶽、墓、ガマ、井(カー)。途中役場によって進行中の工事のこと尋ねたとき、数日前に糸数の観光案内所で見つけた「カーとグシク」の写真資料集を配布していると知る。案内書で要点をメモしたが、不要となった。嬉しい。
05 08 故あって、ある宗派のことを調べている。携帯電話をPCに繋いでメールがやっとの情況なので、ネットは不自由。その宗派のサイトを娘に頼んで調べてもらう。また、数年前に回教徒になった知人を思いだし、メールで問うたら早速返事が来た。有難い。この周辺でもその宗派のことを知っている人もいた。人の輪に感謝。そして面白い。
05 09 クイパラ通信の原稿を書く。数日前に、荘河丸の機関長の遺族の方からメールを頂いたので、そのことを書こうかとも思ったが、「平和の礎」の刻銘の基準を巡ってまだ情報不足、整理不足なので見送った。で「死んだ男の残したものは」を題材にした。夕方、古波蔵から国際通り辺りを歩く。途中、珊瑚舎に寄る。Hさん、Eさんと話す。
05 10 喜屋武岬から安座真までの海岸を知っておきたいと思っている。玉城村の海岸線はよく知っているつもりでも知らないところがあった。志堅原の浜だ。足を運ぶのは二度目だが、なんとヒルギを発見。護岸工事がされた味気ないコンクリートの隙間に数株が根を這わしているのだ。根本の泥にはシオマネギ、とんとんみーもいる。小魚の群も。
05 11 昨夕は新原、百名、水堅の浜や下田、百名、玉城の畑の周りを歩いた。ここそこに蛍がいる。今日は空の旅、一路東京へ。テレビ番組の音録りの仕事だ。日曜の渋谷の雑踏を歩いた後で交響楽団に混じって谷茶前を弾く、というのだから、冷静に考えると妙な話だ。百人にも及ぼうという演奏家が殆ど初見でやっている。いい経験をした。
05 12 首里で知人Yさんの御祝いの会。Yさんの人脈は広く、四国をはじめ他府県の人も多かった。職業も様々。祝電や祝いの電話もあった。例によって私は太鼓も打った。夜が更けるとアルコールも回り、また、音楽家も駆けつけて沢山の唄が出た。参加者みんなが嬉しい夜だった。首里の丘に駆け上がる風が窓から吹き込んでいた。
05 13 一月ぶりにこのサイトの表紙を更新。携帯電話で繋いでいるので手が掛かる。夕方、玉城村の知人O氏宅を尋ねる。13年前に頂いた名刺が新品のように私の財布に入っているのだった。全く満13年ぶりにお目にかかったのだが、とても80代とは思えぬ方だ。私の近況を伝え、ご意見も伺う。第一尚氏の話なども。民宿滞在4週目に入る。
05 14 また一つ、貸家の候補が消えた。といっても長所短所、五分五分の物件だったからあきらめもつくと言うものだ。そんな日々を暮らしているうちに有事立法が衆院の委員会を通過したと知る。なんだこの情況は。政治家の行動も民衆の反応もついにここまで来たか。言葉をしっかり疑って、言葉を育てて生きていくことを一人再認識する。
05 15 朝から雨が強い。雷も。31年前の5/15もこんなだったのだろうか。二紙購入。ちょうどこの日に合わせて知人が絵本を出版した。その宣伝も新聞にある。別の知人からは浦添で行われるデモに誘われている。全国から来た労組関係の人たちの行進も今日からあるらしい。夜は写真展+一人芝居+ミニコンサートを見に行くつもり。国会は?
05 16 昨日出版された絵本「コロとおじさんと平和のかかし」(高江洲朝男/絵:磯崎主佳)の記事が二紙に載ることを知っていたので、久しぶりに新聞を買った。で夕刊の琉球新報にびっくり。その絵本の記事と対になっているのが、島田昭博さん(光源寺住職)の記事だ。19歳で沖縄に渡航の際の身分証を県立公文書館に寄贈したのだという〜
05 17 〜先月19日に「日本を離れて琉球(沖縄)に行く」旨ご挨拶に伺って間もない。紙上でもいつもの笑顔だ。縁、と言う言葉を思う。さて昨日、仲嶺三味線店に立ち寄った。竿を加工中のMさんと話す。先日の「名曲アルバム」録音の話で、オーケストラ、邦楽家、などと三線を合わせる際の「異文化のぶつかり」がテーマとなる。面白い。
05 18 糸満の図書館に行く。郷土資料を見る。図書館が近くにある場所に住みたいものだ。夜は玉城でジャズライブ。海上ステージの予定だったが小雨のため屋内に。これが良かったように思う。音が空間に充満する。客席にもスタッフにも知った顔が並ぶ。会場に合わせた「浜辺の唄」が懐かしい響きだった。久々にトロンボーンを聞いた。
05 19 コザまで足を伸ばす。つくづく那覇とは違う街だと感じる。不思議な懐かしさ。林助三味線店にも立ち寄る。キャンパスレコードにも。宜野湾の佐喜眞さんには自主講座大学論に羽仁五郎が来たときの公演記録をお貸しする。「工学部二号館」に通った時代から、27年が経過している。夜、電話で誘われて0氏の家に、深夜まで話し込む。
05 20 今月はじめにメールで知った荘河丸機関長H氏のことを中心に投書の文章を書いてみる。夕方南風原のMさんに会って近況報告。励まされる。夢を語ってこそ人生だ。夜、明後日から一月ほどの期間での仕事(一日5−6時間)の話がまとまる。さて、今日は沖縄入りしてからちょうど一月。とにかく拠点が定まらないのが困りもの。
05 21 原稿内容の詰めのために沖縄県の平和推進課に電話、課長が出たので話は早い。沖縄戦の「時期」と「場所」、まとめて言えば「沖縄戦の範囲」については検討中、とのこと。原稿の論調は「おかしいぞ」から「範囲の見直しに期待」に変更。夕方、西表ユニマット開発関連で地裁、そして交流会へ。夜はネットカフェ。
05 22 メールで投稿。顔写真は新しく撮ったのの表情がどうもうまくないので、PCの中で探し、去年の7月、森山良子と夏川りみに挟まれて撮った「ご機嫌な表情」のにした。背景を加工したがそれほど時間はかからなかった。散歩がてらに3kmほど歩くとまた新しい出会い。平良とみさんの録音を制作したWさんと言う人。
05 23 東京都立N高の先生二人と南部戦跡巡り。平和ネットワークのZさんが来ていてたいへん勉強になる。アブチラガマの最新の話題を聴けた。ヌヌマチガマにも初めて入る。ひめゆり資料館では宮良ルリさんにも会えた。昼食は先生に混じってであったので「サービス」に浴する。今回沖縄へ来て初めてそばを食った。
05 24 小雨。こちらに来てすぐに挨拶に、を思っていたがすれ違っていたKさんに会った。家探しままならぬこと、心配して下さる。看板でみて知った廉価な土地を不動産屋に紹介してもらう。自分で買う財力は無いが「言い土地なら将来を見越して買う」という知人がいるので、「暫く土地を借りる」という考えもあるのだ。
05 25 娘たち一行三人が那覇に到着。レンタカーで旅行。豊見城そば(「とぅみぐしくすば」と読む、念のため)で昼飯。平和ネットワークの事務所で戦跡保存をテーマに意見交流。嘉手納町屋良の道の駅(わかりやすく言うと「アンポの丘」の駐車場)の新しい資料室など見る。で読谷へ。初めて沖縄に来たNさんの反応が興味深い。
05 26 昨夜は昌一さんと幾つかの話題で有意義な話が出来た。その延長で、作業所見学、座喜味城跡、やちむんの里、掩体壕、等々。えんたいごうを使っているYさんとも話が出来た(昌一さんの通訳付き)。写真も撮ったのでいずれアップしたい。夜は一行と別れて本の出版記念の会へ。座開きの三曲に太鼓で参加。良かった。
05 27 旅行の三日目。9時過ぎ、【論壇】に掲載されていると知人から連絡。民宿のおばさんにタイムスを見せてもらっているところへレンタカーの三人が合流(昨夜は彼らは名護泊)。彼らもタイムスを持っていたが恩っていることは気が付いていなかった。アブチラガマ、糸数城跡、垣花樋川、浜川御嶽、新原。富里。歩いたり話したり〜
05 28 〜時には十人ほどになったり、別れて行動したり。風の里。そして「さしきの」。宿は新金一。飯は小桜。そのあと私は一人久茂地の店で待っていた知人と合流。一夜明けて三人は市場を楽しむ。空港で昼食。午後与那原、佐敷あたりでまた知人(百名出身)と会い、新しい出会い。當山出身の方。日々が変化に富んでいる。
05 29 人のつながりを辿っていくとくるっと戻ってまた別の方向に進む。それが網のようになることが面白い。いつかそれが有効な力を発揮すれば、ネットワークと呼ぶに相応しいものになる。寿の「わったーネット」を思い出す。数日前から毎日会っていたZさんは印刷会社のKさんと古い知り合いだった。Zさんは今日千葉に戻った。
05 30 元の職場の「退職者を囲む会」が明日だ、と気づいて【論壇】の記事をFAXする。近況報告代わりである。去年は寿と「風の里」で演奏した帰りに羽田から直接その会に駆けつけたことを思い出す。確か5月25日だった。FAXは静岡のおばさんにも送る。記事掲載直後に電話してきたNさんを具志頭に尋ねる。なんと、その人は〜!
05 31 〜11年前の修学旅行の際の「平和ガイド」Mさんだった。苗字も住む場所も変わっていたので気づかなかった。話のテーマは「礎」の問題点。よい視点を教えられた。元の職場のMY先生に電話。出会いとfaxの話。帰路、礎と資料館に寄る。沖縄戦の「範囲」は曖昧に表記されている。散髪\1200。夏向きの頭になる(ここまで昨日のこと)。

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