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    このページは2002/12/11/19:30頃 作成  02/12/31/10:30頃 最終更新 (04/10/05リンク訂正) (05/10/27リンク訂正)(06/12/10文言の訂正)
「二行日記」を表紙から移したものです
02年11月の分は【6】をご覧下さい。
12 01 夕べの垣花暁子ライブ、実に数年ぶりか。素晴らしいお客様。山の人、踊り手、H高校の先生、保育園長、名護出身のKさん、作業所所長、写真家、写真家の連れ合い、ブルースシンガー、他。それで総勢30名弱。総立ち踊りまくり。それらの人となりを知ったのは演奏が終わってから。こういう濃密な出会いがある、この世は捨てたものではない。
12 02 三軒茶屋のFM世田谷の衛星スタジオへ。岡本ホーテンが桑江知子の代理で、ゲストはなちぶー。スタジオライブも臨場感があって快感だ。自分が唄ったときとは全く違った楽しみ。放送後、ホーテンさんとは小一時間飲みながら話す。東京の音楽状況の未来について、と言った所か。帰宅後娘と近所の寿司屋へ行く。娘の誕生日の祝いも兼ねて。旨い。
12 03 クイパラ通信原稿締切。西表のリゾート開発問題を書く。三回連続の「節」の文章これで締めた。第60回だった。つまり5年。今年中にこの全てをサイトにアップする、ことができればいいなあ。先日イングランドに住むNさんから郵送されてきた、K勝男さんのウードでO一雄さんが踊っている写真(両国で)数葉を勝男さんに郵送。
12 04 昨年の9月。対米ゲリラ攻撃の直後に書いた「神、死を知りて人となる」(ぼくの好きなうた「童神」)の頁を作成。累々たる屍はその後アフガンで。そして昨今はイラクでの劣化ウラン弾被害なども報じられている。老子に「死を恐れぬ者には死刑は通用しない」意の部分有る。イスラエルに抑圧され続けているパレスチナを連想して、辛い。
12 05 練馬区の図書館に資料を見に行く。井頭の湧水関連。町名「大泉」の由来はやはりこの清水、明治時代のこと。さらに古くからあった「こぐれ」村の語源は「高句麗」、下流の白子村の語源が「新羅」という説も。「新座」は明らかに新羅系の名前だとか。大正以降の辺りの様子が聞き取りの記録で良くわかる。やはりこの五十年の変化が激しい。
12 06 この日記には公表して都合の悪いことは避けているのだが、あえて書く。この数日「かぎやで風」を稽古している。すぐ出来るだろうと思ったがさにあらず。今日やっと何とか節回しが身に付いてきた。これから唄い込みと表現の工夫(遊び)だ。「踊りこはでさ」もそうだが、三線と唄の追いかけっこのようなのが本当に興味深い。
12 07 西表トゥドゥマリのホテル着工のOTV報道を見た(ネットで)。ブルドーザが整地している映像が恐ろしい。浜の方からから見たとすると数mの幅で残された木々の列の向こうに青いシートの「畝」(赤土流出防止策らしい)。エンジン音と排気ガスを放ってその向こうを整地している。インタビューの場面で町長の視線はふらついていた。 
12 08 東外大での催し「記憶と映像(3)」に行く。この夏那覇で催された写真展「フォトネシア」の一部も観ることが出来た。ディスカッションも含めて内容が豊富、濃密、そして志が高い。沢山勉強した気分だ。難点を上げれば私に沢山すぎる「宿題」を与えたこと。例えば「豚の報い」も「ひめゆりの遺念火」も本棚にある。読み直さなくては。 
12 09 前夜の雨が深夜に雪に変わり午後まで降り続いた。雪かきで汗を流しつつ考えた。雪の結晶は空からの便り、上空の物理的条件によって形が千差万別なのだと子供の頃聞いた。先日「風の里」で水の結晶の本をちょっと見せてもらったが、音楽を流したり、声を掛けたりして出来上がる結晶の違いを神秘として楽しんでいるものだった。〜
12 10 〜低温の実験室で氷を融解し再結晶させ(厳密には、昇華して液体になった水をすぐにまた昇華させるのだろう)撮影するのだが、温度、当たる空気の湿度(当然昇華のせいで刻々と変わる)、振動等によって、一つとして同じ結晶が出来ることはない。それを声の主の感情や流す音楽の情緒に帰するという趣旨だったがそれは乱暴だよな。
12 11 目取真俊が面白い。「オキナワン・ブック・レビュー」この一週間で4、5回読んだ。終わりの「道」は魯迅。発禁を喰らい収監された物書き「前泊進一郎」、「前進」を含んでいるが「泊まって」もいる。出版社は「牛歩舎」。「魯/迅」の字義は「遅い/速い」だ。「まえどまりしんいち」は「めどるましゅん」に通じている。楽しい。
12 12 数日前の「水の結晶」関連。ネットの「波動」と言う所で見つける。実に非科学的。結晶が出来る時の温度、湿度、気流など微妙な条件を私は気にしていたが、そんなことはお構いなし。前もって音楽を聴かせたり、聖典の文字を見せたり(!)しておいた水で結晶を撮影、形の良いのについて音楽や聖典の「味わい」が現れたという、恣意的なもの。
12 13 夕べ、久しぶりに友人のピアノ弾き(イニシャルSA)のライブ、ショーロ、サンバ、ボサノバ、等を聴きに行く。20名弱で満員の店。内装は木材。私の知らないビールや料理の名前がメニューに並んでいた。ほぼ一年ぶりに会う知人友人とおしゃべりも楽しむ。言葉(歌詞)と音楽(的情緒)が一体となって、唄が歌われると言うことを実感。
12 14 夕べ正誤表を貼り終えた「アイヌの治造」を10冊、近所のIYさん宅に取りに行く。それを今日はもとの職場(中学校)の図書館などに置いてもらうべく届けた。アイヌ文化振興法関連の財団の助成金で出版された本で「無料」。早速、もと同僚が今晩読むと持ち帰っている。「新しい本はすぐ読む、古い本はじっくり読む」という言葉が浮かんだ。
12 15 クイチャーパラダイスの年に一度の大発表会兼大宴会。今回は千人規模になった。私は当日だけ「お手伝い」と言う感じだが、事前の準備も相当だろう。明日からの片づけも。今日だけに限って見ても、私は「12時集合」だが、会場は朝から動いていた。事務所には、深夜荷物を運んで終電を逃した面々のために寝袋が用意されていた。
12 16 「沖縄/草の声・根の意思」(目取真俊)を再読。EDGEの目取真俊特集に寄せた文章と「けーし風(13号)」のが特に迫ってきた。幼い頃のことを書いたものの中にはウルトラQ初回放映の「ゴメスとリトラ」にが気に入ったという思い出を書いていた。私は正月に従姉妹の家で見たことをよく覚えている。ああ、同世代だなあ。
12 17 イージス艦の事が何とも腑に落ちない。装備についても派遣についてもとにかくべらぼうなことだと思うが、何時の間にこういう戦艦をもって良いことになったのか、何時の間に国会での承認無く出ていけるようになったのか、アフガンとイラクのことは何時の間に一緒くたになったのか、とにかく何だか分からない。頭が混乱してくる。
12 18 七年前。戦後50年、平和の礎ができ、あの強姦事件が起きた年。10・21集会があり、知事が代理署名を拒んだ年。その年の暮れ、B5版8ページの文章を印刷し友人達に配ったのだったがその余りが一週間ほど前に出てきた。数日前、スキャナーで読みとり、行間の工夫やルビのためスタイルシートを初めて使った。ああ、疲れた〜。
12 19 夕べ仕上げたスタイルシート、「クラス」が上手く働かなかくイライラしたままだったが、ネットで勉強を重ね、今日は何とか「初級」程度に達した気がする。初心者にも分かりやすい説明を工夫している各サイトに感謝。さて、師走もあと十数日。陰暦でも満月を過ぎ霜月の後半。欅の葉も殆ど落ちた。これから今年初の忘年会へ出かける。
12 20 母の命日、37周年。コザ暴動-32周年。スタイルシートの演習よろしく、自分が琉球に行き始めた頃のことを書いた文章、掘り出して頁に仕立てた。題して【出会いの頃】 (琉球と、三線太鼓との出会いの頃)。初心忘るべからず、か。読み直してみると一寸恥ずかしく、また、元気も湧いて来るというもの。沢山の唄が聞こえてくる
12 21 野本三吉の最新刊を読む。寿町の識字教室(夜間中学といっていたかも)に見学に行ったとき知人に紹介された思い出。70年代終わり頃だった。30年で変わったことと変わらないもの、に思いを巡らしつつ読む。三線愛好会の知人に尋ねられた「兵隊さんよ有難う」に関した文章を引っ張り出した。で【替え歌続くよどこまでも(3)】の追加をアップすることにした。
12 22 bachi-boo忘年会ライブに参加。阿佐ヶ谷グルくんに始めていく。飛び入りでKさんIさんHさんSさんMさん、皆楽しく唄う唄う。私も十分楽しんだ。ライブ後にもギターを弾き唄う人が大勢。店には若干(?)迷惑を掛けたが。終電を見送ってもう一軒。結局、四時頃まで語り、唄った夜。珍しく夜を明かしたのだったが不思議と眠気は全くなかった。
12 23 昨日(いや今日)は明ける直前に三鷹から歩いたのだったが、夕方には又歩く。久我山を通って西荻窪まで。途中日も暮れて、心地よい疲れを癒すべく馴染みの店に。H&H夫妻と飲み語る。客が数名だったので沢山話せた。帰りはさすがに電車。居眠りして二駅乗り過ごした。戻る電車でも危なく乗り過ごすところ。今朝と同じ道を歩いて帰る。今日は10キロは歩いたはず。
12 24 ははは、今日も歩いている。駅前まで2、3キロあるわけで、その駅前のスーパー(これが古くからあっていい感じ。食品日用品がゆったりと並んでいて、今はやりの「スロー」な感じが良い。レジ係りの平均年齢も高い。客の年齢層も)でソーキ安売り、250gで90円。1kg買って鍋一杯煮た。油も良質なのが掬えた。これで\360円だもの。つい食い過ぎてしまったが。
12 25 保守新党というのが出来たとか。何だかもう考えることが面倒になってくる。民主党に投票した人々はズバリ発言したらどうだ。比例代表なる制度が出来た時から私は一貫して「そりゃ選挙じゃないぜ」と白票を投じてる(社会党から萱野茂が出たときには大層心を動かされたが)。溜息。いやいや感じることと考えることを放棄してはいけないのだ、と自戒。
12 26 ユニマットの社長は以前上野村に住民票を移し、高額の納税を「プレゼント」し、昨年暮れに小浜に「転居」し竹富町に十数億を「プレゼント」した。「ぼくの好きなうた」の最新文章ではこれを「一種の"投資"」と表現したが、よく考えてみると「一種の"贈賄"」だ! どうせ払わなければならない地方税を「プレゼント」にする手法。許せぬ。
12 27 ひさ〜しぶりに給油。今月始めに雪が降った日、朝の勉強に行く娘を送った日以来、まともに運転していなかったのだ。でもストリートはちゃんと走ってくれる。有難う。一方しばらく使っていなかったプリンタはインクの出が悪くなっており、ヘッドクリーニングを要した。そんな時、自分の生物学的機能のことも考える、40代半ば。
12 28 散歩しつつ唄三線の練習をするのは効果的だ。実際に楽器を手にし唄うときには何となく出来てしまうことも三線を持たず左手の指使いを確認しつつイメージトレーニングすると、なめらかに進まない部分が良くわかる。つまり身に付いていないフレーズのところで滞る、それが自分の未熟な部分を認識するいいきっかけになる。
12 29 西部S線K駅近くに昨日開店した沖縄料理の店の「開店祝い」と某「忘年会」を兼ね出かける。家からS線T駅まで30分強自転車。冬だ、冷える。店は内装がさり気なく素敵。祝いに集まる人たちの笑顔。唄三線、ギターに力を入れているKさん夫妻にも始めてお目にかかる。その「やる気」が素晴らしい。帰路自転車、寒〜い。
12 30 三鷹駅近く三平ストアー、以前から好きだったが最近特に気に入っている。鶏ガラ、豚ハツ、タン、ソーキなどがしっかりいつもある。働く人たちの独特の雰囲気もいい。客の平均年齢が高い、いや高いというより常連が地元歴の長い人々なのだ。今日はA氏と私、二人の「昼間の忘年会」で語り合った後、寄った。舌、心、肋を購入。
12 31 大晦日。窓越しに数本の欅が見える。すぐ前の一本、百mほど先の一本。どちらも丸坊主だ。曇天に風もなく景色が止まっている。自宅で年を越さないのは初めてになる。深夜のライブ(nachi-boo)に誘われて太鼓転がして六本木に行くのだ。予報によると明朝は雪景色かも。ちょっとした感慨。洋上の軍艦での年越しを想像してみる。
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