このページは2004/05/13/12:00頃 作成  04/05/23/19:00頃 最終更新

「三行日記」   2004年04月
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04 01 新原でグラスボートに乗る。久しぶり。魚が沢山。受水走水、百名の浜を見てから読谷に行く。番所そば。喜納は窯があったところ(壺屋が出きる以前)で店で見た資料の中で「スンカンマカイ」のことを知る。戦跡としてのガマから良く出てくる茶碗のかけらのこと以前から気になっていたのだが、砥部焼き、とある。Sさんが予告通り「ブラウニー」を作ってきた。夜、ご馳走になる。
04 02 M工房、首里城、豆腐料理の食堂、空港。帰路、洗濯用石鹸を買う。Y電気店の店先に中古テレビを見つけ相談の末購入。19インチ\16000。今日帰ったS姉のカンパのお陰。叔母(母の妹)から電話、母の女学校時代の同級生が「ひめゆりの塔」('53)に出演したことを確認したという。雨。夜、Sさんがネットしに来ていた。英語で見られる「ブルーズブラザーズ」を棚から取り出して楽しむ。
04 03 Sさんが旅行の予定を立て直しに来る。ネットでお父さん(米国東海岸)と電話したりも。チケットの変更の可否や予算のことなども相談する。雨模様。Tさんのタイ雑貨の店に二人で行く。下のステージのために夜最終練習。常連になりつつあるMさん、知り合い二名を連れてやってくる。飲んで話す。明日は祭りだ。大勢の人がサチバルに集まってくる。明日は満月の夜。
04 04 ゆし豆腐の朝飯。祭りで会おうと言って三人と別れる。ベース自己練習。クイパラの知人Aさん一家がやってくる。明日が県立芸大の入学式でそれにむけて来沖しているのだ。夜になって演奏。楽しかったが練習不足を反省。Sさんのボーカルが良かった。客席に知人が大勢来ていた、ここに書ききれない。来ていたWさんが友人と泊まっていった。娘と同じ都立高校の卒業生だ。色々話す。
04 05 アマツヅに行こうと言うことになってSさんも含め四人で出かける。途中、尚泰久王の墓の付近でT夫妻と会う。二台で動く。玉城の南側の谷間も歩いて少年自然の家の方へ。こういう歩きには良い季節だ。さらにTさんの案内で知念にある拝所を見学。まず普段行けないところに登った。希な経験だ。格別の光と風を感じた日。Sさんにとっても不思議な日だっただろう。
04 06 晴天。洗濯してから久高へ向う。相談されている案内の件で。自転車が便利そうなので愛車に積んでいく。自転車運搬の往復は\400。知人Nさんは交流館の前でリサイクル品の衣服を並べていた(無料)。ちょっと手伝ってから島内を自転車で回った。島の時間を辿る。はるか昔から現在。そして未来は?。夜はSさんと英会話の練習ということでMさんの店に。Mさんスカイメイトに気づく。
04 07 洗濯。役場で「玉城の文化財」を購入。水道料金支払い。国民健康保険証の切り替え。廉価販売の扇風機に期待して山川橋や津嘉山まで自転車で行ってみる。HDD+DVDも見てみる。帰りは大里の方を回って坂道に疲れ果てた。糸数付近は言い風が吹いていて気が休まった。夜遅くなってMさんが来る。近所の「セミナー」の帰りだ。二人で飲んで色々話す。MさんにはMさんの人生。
04 08 たまりにたまった「三行日記」をなんとか三月下旬まで書く。日記ばかりでなくクイパラ通信の文章も載せたいし蔵書目録の如きものも作りたいのに手が回らない。はてさて。昨年移住前まではゴリゴリとサイトに力を掛けていた気がする。たとえば投書も、例えば写真集も。しかしあれはやはり大和の時間の中での出来事だったのだ、と両方を正当化してみたりもする。ま、なるようになるさーね。
04 09 Sさんが朝から来る。来週早々に沖縄を発ち香港に向かうのに父親の入金が遅れたと慌てている。米国の銀行の支店に行けばすぐに現金化できる小切手を持っているのだが役に立たない。基地内の金融機関のことまで調べてみるが駄目だった。日本国籍の三人が日本国籍であるが故に(これが私の見方)反アメリカ勢力の政治的かけひきの被害者になったものらしい。気が気でない。ネットで映像を見る。
04 10 昨日エクスパックで4/4の演奏のビデオが届く。Aさん、早速送ってくれたのだ。感謝。夕べはたまたま来ていたHさん(彼女も演奏メンバー)たちと見る。面白かった。でちょうしにのって飲み過ぎて今日はのんびり。夜はSさんの送別会。堀川のKさんNさん(二人はSと同世代の女性)、花野果村のOさんたち、Mさん。食べ物が沢山。ギターを出して唄う。長閑な夜になった。
04 11 朝9時家を出る。暖かい陽射しだ。Sさんの荷物まとめもちょっと手伝ってから空港に送っていく。現金不足だったから羽田までのチケット代+αを貸す。香港からマネーオーダーで返金すると言うことで。午後OSXが不調で電話で問い合わせながら中身を整理した。夜、Hさんから「Yさんと飲み始めた」と電話。歩いて行く。窓を開け放ち虫の声と風に身をさらしながらゆっくり飲む。
04 12 朝飯を作り食った頃にHさんが来て三人で出発。富里の御嶽や墓、百十踏揚の墓の所で女性が花を手向けていた。Hさんの知人が最近亡くなったことがわかる。アマツヅ、入り口の所の桑の実をとって味わう。その後、谷間を歩く。午後は奥武島、玉城焼。百名、受水走水。庵。で又今晩もHさん宅で旨い酒を飲む。自分としては今年初めてゴーヤーを買った(まだ旬じゃない)、でスライスして食す。
04 13 朝Mさんから電話「ひめゆり資料館、新装開館、行こう」すぐに出かける。青を基調とした見やすい展示、証言映像も力有り。最後の部屋の資料を見ると館の過去、現在、未来が良くわかる。大勢の「ひめゆり同窓生」にお目にかかれた。また音楽のK先生の実の妹さんにも出会う。戻って午後はYさんとアブチラガマ、前川の谷。垣花樋川。壺屋。空港。
04 14 昨夕はYさんを送った足で泊へ行きSさんを拾う。今朝は花野果村で色々話す。友人のMさんと合流して「楽水」、そのあとMさんはタイ式マッサージ。その間Sさんと尚泰久の墓、富里の城、玉城は通過して垣花樋川。仲村渠。新原、さちばる、など見学。二人はその後那覇へ。私は庵の掃除。洗濯。夜、S&M夫妻来訪。ひとしきり話。二人は帰宅。
04 15 Nさんから具志頭の食堂Sに行くから会おうとの電話。続いてSのMさんから「ギター持ってきて」。そこには二人の来客も居てお一人は91歳の元気な女性。午後ずっと話や唄で楽しむ。二人が那覇へ帰った後、城の話や史跡の話。夕方Nさんを送って佐敷へ。親戚の家に立ち寄る。烏賊の内臓(多分鰓だと思うんだが)を煮たものを戴く。とても美味しい。
04 16 ネットで調べものなど。シュタイナーの紹介本を読む。興味深い。昼過ぎて料理を始める。夜は庵で予約の会合(5名で)があるのだ。烏賊の鰓(ということにしてある)や刺身を含めて料理を準備。ソーキの煮付けが主菜。Tさんはソプラノサックス持参。会が終わって夜遅くMさんが来る。Iさんも来て楽しい夜となる。
04 17 久高の留学センター開所の祝いに向かう。とりあえずの名前は「久高チャンプルーズ」。好天。演奏しているうちにじりじりと肌が焼けてくるのがわかる。カチャーシーの速いこと長いこと。それで一層良い気分だった。夜はK&Rが来る。酒持参。H&T母娘も来る。夕べに続いてMさんIさんも。楽しい夜。
04 18 良い天気。Iさんと真壁の「ちなー」へ。「皿すば」(名前は違ったような。五目あんかけ焼きそば、とでも言おうか)を食べる。旨い。家のかつての主は教育者で村長も務めた人だそうだ。なるほどそんな香りがする。図書館。夕方、埼玉に住む宮古人Kさんと娘と親戚が来訪。夜はクイパラの原稿書き。深夜に仕上がる。水道代、高かった。
04 19 「自衛隊即時撤退」を願う自分としては是非参加したい集会があったが時間と場所がわからず、逃す。東京のLさんから来月の公演の曲目の電話。多いので焦る。佐喜眞美術館へ。那覇の喫茶店RTにも寄る。画材やや郵便局や百円ショップや眼鏡屋に寄って最後に村内のタイ雑貨店へ。即席ラーメンを買い今晩のおかずにする。明日からは三線の特訓だ!
04 20 知人の家に滞在しているNさんが「三線の手ほどきを」とのことで稽古を始める。自分としては初めて(ちゃんと謝礼を戴いて)教えることになった。これまで人の代理で教えたことは多かったが…なんとも嬉しい事になった。午前は庵で夜はIさん宅で。音程の高低いを鍵盤の左右や楽譜の上下でとらえていない稀有の人である。そのことに緊張。
04 21 知人のNさんが友人のYさんを連れて車でやって来た。二人とも大和からの移住者。花野果村などで話をしてドライブの続きに。夕方にはK夫妻も。彼らもここ数年の間に移り住んだ人達。久高のDVD貸した。日暮れ間際に糸数城によって二人は帰る。自分は散歩しながら戻る。夜、先月NHKで放映した「その時歴史は動いた」を録画で見る。
04 22 午前中Nさんの三度目の稽古。肩の力が抜けてきた。弾いているのは「涙そうそう」。自分は午後「まみとーま」などを練習。S学園のA先生、月末に阿嘉島に行こうとしているHさん、来月団体をアブチラガマに案内しようとしているTさんの三人と電話を使ってそれぞれの計画にアドバイス。自分らしい仕事だと思う。村上清子さんのCDを借りて聞く。良い。
04 23 今日から宿泊する人が続くので部屋を整える。各部屋の補助寝台も組み立てる。三線ひとり練習を続ける。課題の5、6曲のうち、なかなか進まないのが「山原汀間当」だ。これは難し。日が暮れてMさんIさんがやってくる。大阪と埼玉から、お友達同士。Y子さんの紹介。花野果村の食堂でフーチャンプルー、パパヤチャンプルーを食べながら飲む。
04 24 二人は一週間ほどの滞在。垣花樋川付近は紋白蝶がいっぱい。大胡麻斑もちょいと見かけた。仲村渠方向の小径が出来ていた。浜川御嶽、第二貝塚、玉城城跡と谷間。Mさんの店で沢山唄う。具志頭城跡、浜、玉城焼、花野果村。焼きたてメロンパンの発祥は大阪と知る。夜Mさんの歌を聴く。久高のTV録画を見ていてTV故障。
04 25 朝飯は残りの御飯を炒めて食べる。安座間港9時半発で二人は久高へ。出がけに蒲葵笠を貸したのが良かった。好天になる。港からの帰路は佐敷を通ってみる。かかる時間は5分くらいしか違わなかった。洗濯、掃除。夕方の最終便を港に出迎える。長生薬草に寄り、そのあと斎場御嶽へ。夜はカコさんのマッサージを呼ぶ。
04 26 読谷へ。コザの農連市場も通っていく。やちむんの里、ガラス工房も二か所。役場。シムクガマ、チビチリガマ。佐喜眞美術館。久米島の日本兵による虐殺のことを報道した番組の録画を紹介してくれた。渡辺典央氏が登場、驚いた。「逃げる兵」を読んでいたところだったので。正確な文章で頼れる感じの本なのだ。夜はまたマッサージ。
04 27 昨夜はTV屋さんが早速故障したのを引き取りに来た。誠意を感じる。午前は南風原へ。昼は首里へ。博物館と琉染に別れる。琉染は真壁殿内の跡地だ。祝女の力を感じる。その後「草木屋」。楽しくユンタクと買い物。そこで見たガラス作家、宮里氏の工房へ。一時嵐になる。くるくま、浜辺の茶屋。夜はMさんのミニ演奏会。10人のお客様。
04 28 「4・28」から52年。二人が楽しみにしていたコマカ行き(砂風呂のために)は波が高く「上陸不能」とのことで、別の海岸を探す。私は小渡を薦めたが砂の質や人の混みようなどから百名になる。パラソルが役立つ。二人が砂に埋もれている間に三線の稽古。夕方、M工房へ。そこからIさんを那覇に送る。夜はバンド練習。5/5が近いのだ。
04 29 みどりの日。裕仁(昭和天皇)誕生日。藍染工房では偶然かかっていたTVで坂田明の「早春賦」を聞く。Mさん感激。昼、Y子さんとおしゃべり。良い天気。午後M工房でMさんは布を買う。空港へ送る。壺屋のTV屋で修理済みのTVを積み、与那原の民宿のUさんに挨拶の後、シュガーホールへ。演奏楽しかった。催しの二次会で佐敷のそば屋へ。
04 30 昨夜は名護の工芸家が庵で一休み。朝2時間、Nさん三度目の三線稽古、最終回。名残惜しや。夕べ積んだままのTVを運び上げるのを手伝ってもらった。Nさんには照屋林助のビデオ(ETV)を貸してあったのだがI夫妻と見て笑ったり泣いたり。それがきっかけでY子さんとはひめゆり資料館などにも行ったのだそうだ。とても嬉しい。昼那覇へ。

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