このページは2003/01/05/22:30頃 作成  03/02/03/11:00頃 最終更新

「三行日記」   2003年1月
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01 01 島唄楽園での年越し、大変楽しかった。ナチブーの第二セットに参加。お客さんもどんどん増えてビックリ。ドナブーの笛にも感激。閉店後近くの飲み屋で「二次会」その途中、六本木の街にたむろしている異邦人の数に驚く。また、袖無しの女性もちらほら。異境の文化なのか、六本木の風俗なのか。もしかして私の方が異邦人か。
01 02 昨日と同じく午前中一時的に降雪。夕方から新年会。鷲の鳥が新年らしさをもり立てる。娘の友人も十人近く参加。唄ったり弾いたり、とにかくみんな楽しんだ。時代を超え世代を越える快感。私は一年ぶりにフレットレスベースを弾く。はじめ上手く鳴らなかったが、あけてみると回路内で短絡があった模様。紙一枚挟んで修理完了。
01 03 三日連続で雪を見た。今日は霰になったり霙になったり雨になったり。椿の赤い花に緑の葉、そこに雪が被って美しい。神社には灯火があり、これもまた独特の風情。そんな景色の中、洋上の軍艦での越年や西表のトゥドゥマリのことを考えた。N川Rみファンクラブの会報第一号が届く。彼女を応援する人の大晦日の感動も想像する。
01 04 知人の誘いで神田の飲み屋へ行き宴会に参加。近々那覇に移住するKさんに主賓のYさんが先輩としてアドバイス。引っ越し品の輸送のコツやら革製品の管理の難しさやら湿気の猛威など。温帯と亜熱帯との違いを具体的に聞いて興味深い。小笠原のラム酒や泡盛で上機嫌になってしまい、沢山唄った。帰路電車で居眠り、一駅乗り過ごす。
01 05 一昨日見逃した「琉球夢幻」(NHKBS)を再放送で見る。高嶺剛が沢山登場、面白い。セーヌ川畔での大城美佐子一行とジャズピアノのセッションが良かった。かな子さんもたくさん映っていた。11月に恵比寿にんにく屋で会っているので親近感を覚える。新原の浜の場面も多かった。「島尻ラジオ」は佐敷か玉城にあるのだろうな。
01 06 過去の演奏記録の頁の内容を確認。抽斗のDATに「国分寺、石川真生講演会の前座」なんてのがあって表に追加。知人の掲示板で「恵比寿ケ・セラの演奏の写真」なんてのを見て、あっっ思い出したぁ!真南風の名曲「思い」のギター伴奏スタイルが湧いたのはその店の奥のトイレで楽器をいじっていたときのこと!十年近く前。日付不明、悲しや。
01 07 大晦日にやっつけで作った年賀状が尽きた。「癸(みづのと)未(ひつじ)」の年なので「羊」という貘さんの詩と「水が最高」(老子)を利用。核兵器の対極に武器を矯めて臆病(広辞苑にそうあった)な動物と、「強剛」を制する「弱柔」な水を並べたところが偶然と言うべきかと言うか必然と言うべきか。我ながら気に入っているのだ!
01 08 また水曜日だ。ってんで昨日できた水のデザインの年賀状をこの頁に載せる。国分寺崖線下の湧水がアスファルトの下を通過した所で撮った写真。我ながら気に入っているのだ。また、【水の物語】を読んでしまった。ちょいとナルシシスト色が強いかも、でも自分らしいと自負しているのである。屋良文夫さんが理想とする水。感謝。
01 09 【掲示板の全発言の記録】とその目次になる【ご案内】を作成。シンプルテキストの容量一杯でも発言数30がやっとだ。で18頁にもなった。いちいち読んではいないが、「おしゃべり」にも相当の重みがある物だ。皆さんの発言にとにかく感謝したい。さらに、この頁を新設したことで、実質的にはサイト内検索が掲示板の発言にまで及ぶこととなった。嬉しい。
01 10 日曜日に向けて「汀間当」の練習をしている。十年近くも前に「パラダイスビュー」で聴いた前奏が忘れられない。墓の前で北村三郎が飲みながら唄うのだった。良い場面だ。土や草やそしてそこに生きている微生物たちの匂いが画面から漂ってくるような気がする。そんな「汀間当」は唄えなかろうが、唄の快感を何時もイメージしたい。
01 11 02年秋、都立Z高校の「沖縄修学旅行放棄」は図らずも大和の琉球差別を浮き彫りにした事件だった。転んだってただでは起きないぞ!とその時始めた掲示板(沖縄への新たな旅を作りましょう)の全発言を整理して2頁に仕立てた。つくづく書き込みしてくださった方に感謝である。旅を終えて9か月、今またその経過を辿り新たな感慨。
01 12 一人多重録音の「ドミファの唄」をネットで聞けるようにする努力を続けている。いつものiBOOKは音声入力端子がない。ウィンドウズのノートパソコンに端子を発見。しかも録音機能がある!で1分単位でPCM録音は出来た。レベル調整がどこにあるか探すのに苦労した。内臓マイクが部屋の音を拾っているのにも始め気づかなかった〜
01 13 〜が、それをネットで聞けるようにする方法はまだ分かっていない。MP3が良いらしいが知識がない。ま、ぼちぼち。昨日昼2時から夜中まで宴会が続いた。私ははしゃぎすぎだったな、とやや後悔。関係者の皆さんもここを見ているだろうから恥ずかしい。反省すべき点=飲み屋では唄の実力が発揮出来るが舞台では出し切れていない。
01 14 昨日、知人から「太陽の村」「西武の開発」について問われて、自分も知らないこと多いと反省。「色表を掘り起こす会」の文章など見ているうちに、腹の底から怒りが甦り、以前沖縄タイムスに送った投書に手を入れ、東京人向けに仕立て直した。朝日の「声」欄は500字なのでちょいと長い。より良くなった気がした。でメール送信した〜
01 15 〜直後に三日分のタイムスが届いて、あららビックリ。載っている。12日の朝刊。朝日には詫びた。でも500字のもこのままにするのはもったいないから頁に仕立てよう。ウインドウズ・メデイアという名のソフトがダウンロードできた。マックとウインドウズが手元にあるのは好都合。那覇に住む名護出身のIさんと電話。夢を語り合う。
01 16 以前の一人多重録音ものを二つネットに載せるべく作業。滞りも多いがなんとか仕上がる。著作権のことも気になる。詳しい人に相談しよう。西表の知人に電話、留守。大事な時期なのだ。何とも心配になる。が夕方繋がる。主は留守だったが私を知っているIさんが電話に出た。投書の件を伝える。一安心。このところやはり相当忙しいらしい。
01 17 私の投書の末尾に出てくる「島の人々」の一人にメールが通じて一安心。T新聞社のOさんとも投書のことで数年ぶりに電話(昨日)。懐かしいとは言っていられない、現実の問題が我等の前に横たわっているのだ。明日は合衆国内の反戦運動体からの呼びかけで「世界」規模で集会やデモがあるとか。知人の知人は沖縄からイラクに行っている。
01 18 日比谷野音の集会に行こうと考えていたが、諸般の事情と、サイトへの音楽アップに時間がかかって結局家を出ず。アップしたのは4曲。うち一曲は6人のライブの録音なので、K氏→A氏、さらにS氏まで電話連絡が繋がった。特にこのSさんとはその日以来会ってもいなければ電話もしていない。記録、記憶が人のつながりを再生させた。
01 19 夕刻、吉祥寺の沖縄物産展に行く。林山と林助の地謡集(歌詞集)を購入。ナークニー、とうがに、とぅばらーまなどたくさんの歌詞が並んでいる。唐船どーいも13番ぶん掲載。勉強になる。もう一冊は比嘉康雄写真集「生まれ島・沖縄(アメリカ世から日本世)」92年の出版。前書きが気に入った。何度も見て何度も読むべき本だと感じる。
01 20 クイパラ通信原稿仕上げた。「羊」。貘さんがこの詩を書いたのは、前後の思索から推理して、今から48年前の未年だ。死の灰を浴びた鮪のことが出ていたりするから。泉さんが書いた文章の中で、戦時中、詩人が時局に迎合していた様を批判する下りがあったので、それも紹介。「劣化ウラン弾」は立派な核兵器だと私は思っている。
01 21 先週、沖縄の知人数人と電話、新聞への投稿の話や北島角子公演の件で。自分を媒介にして人が結び合う快感。今日も某三線制作者と某楽器販売業者を(ちょいとだけ)取り持った。結果はどうあれ仲介することは楽しいことだ。ネットで「宮古のあんがぁ」と言う文章を見つける。80歳を越えた元軍人の思い出の文章。胸を打つ文章。
01 22 U原E子から電話、アイルランドらではなかった。ビックリだ。曲をサイトにアップしたことは了解を得た。ついでに写真も十年くらい前の渋谷シーサーズでのを掲載すること、快諾を得た。地球の上をあちこちしながら人は世界に関わっている。西表の「リゾート」の件もその一つだ。先ずはここにいて出来ることをせねばなあ。明日は雪か?
01 23 昨日の日記が呼んだのか、「専門雑誌の記事を参照したいが現地ではなかなか探せない、見つけて欲しい」由のfax。早速ネット検索、杉並区図書館の分館で借りられると分かった。大久保での所用の後、徒歩と西武線で借りに行く。雨が降ったり止んだり。早稲田通りを数キロ歩き、途中バスにも乗って中野あしびなーへ。充実の一日。
01 24 旧機パフォーマの処分を考えていた。HDと外付けのZIPに入っているデータを保存する必要、(古い)フロッピーが読めなくなる問題〜この二つを解決するお誂え向きの装置が中古で出ていた。\5k弱。そのメディアがそろそろ無くなりそうなので安いのだろう。迷った末買った。歩いて帰宅。日暮れ時に7km位歩いた一日となった。
01 25 夕べから今までかかって(と言っても休み休みだが)データ保存、ひとまず完了。これからは機会ある毎にバックアップだ。今まではパフォーマが繋がっているという安心感があったが、これからはその気持ちを断つ。日没がどんどん遅くなっている。日の出はさほどでもないが、とにかく春に向かっている。あと一週間で新年だ(陰暦)。
01 26 朝、W氏からメール。「噂の!東京マガジン(TBSテレビ)」でのT氏(Uグループ代表)の移住に伴う町の財政を「バブル」と評した特集と知る。新年会に出かける前に録画を設定。さて、深夜までH市内の三箇所を渡ったが、この二か月で広がった人脈が数か所で円環に繋がる。例えば「スキー学校」の沖縄人バスガイドさんに再会、等。
01 27 川越で行われた新年会のアトラクションに参加。東京伊是名の会三名と久々に会う。人が会うと自然と情報交換が行われる。面白い。クイパラのKさん、この頃踊りにも精出して入るんだよ、などと伝える。きっとくしゃみしてるだろう。帰路、雨の中車に便乗させてもらう。三芳町、朝霞、新座、小茂根、小竹、土地土地に自分の思い出がある。
01 28 江古田で行われた新年会。退職した先生方の会。原爆川柳のクイズがあって、その連想で「ビキニの灰」「原子鮪」など交わされた。私には48年前に「鮪に鰯」と書いた山之口貘の言葉が迫ってくる。年賀状に使った「羊」も良い作品だ。今日は言い出さなかったが、今年になってから二回、「飛び入り」で朗読した。喉を磨きたい。
01 29 夕べは渋谷で演奏していた知人達と飲み屋で合流。沖縄関係の本の企画などしているTさんを数年ぶりに会えたりもして、良い夜になった。焼鳥屋を梯子。四半世紀近く前、家庭教師帰りにパチンコ屋で蛍の光を聞き細雪でビール中瓶と煮込み、坂を上り円山町を抜け坂を下りまた上って裏の入り口から寮に帰っていった思い出が甦る。
01 30 小学校4年生時代の担任T先生とはちょくちょくお会いしている。一昨日の会の世話人でもあった。渡し損なった「タイムスへの投書」をFAXで送る。一読後電話があって、竹富の実状や「エコツーセンター立ち退き要請」の時期に猛然を書いた文章だと説明。35年前の多摩の自然、自然と子供の関わり、大人の態度、などの話に〜
01 31 〜白子川、石神井川のこと。小学校で教材化した経験などを話された。早速、「何をば乞うや」をFAX。「水の物語」は枚数が多くなるので郵送することにした。FAX後、「離島」の状況を都会の人は知らなすぎる、との感想。また、やはり35年ほど前、ご一緒のアパートにいた沖縄人が「乞食根性に走ることを危惧する」と語った、とも。

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