このページは2003/09/05/12:00頃 作成  03/10/17/12:00頃 最終更新

 
「三行日記」   2003年9月
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09 01 ゆっくりと帰り支度をして昼前にバスに乗り、悠々と空港へ。そこに那覇港へ私が迎えに行くはずの今晩のお客さんから電話で、台風の影響で船便欠航、チャーター機で那覇に着いちゃった、とのこと。慶良間は水不足、台風などの影響をすぐに受けるのだ。沖縄という「大きな」島にいると忘れがちな現実。夜は家の近くの食堂でゆっくり飲み食い。
09 02 ゆっくり起床。前川の谷でオオゴマダラ一頭を目撃。仲村渠樋川はまだ工事中。奥武島ではトビ烏賊(とぅびいちゃー)を干していた。晴天、青い海、干してある烏賊。画になるので写真に撮った。斎場御嶽はレンタカーも多い。観光客が多い所は要注意。自分の「案内慣れ」にも気を付けたい。空港で日暮れ時に別れる。首里の知人と沢山話す。
09 03 八月に泊まっていった知人が鍋(新品)を送ってくれた。ミーバイ汁を作るときに大きな鍋が無くて難儀した、あの知人である。有難い。スパゲッティをゆでるのに最適な鍋。昼、知人の工房に皿など見に行く。下さるというので。塗りの椀や珈琲メイカーも手に入った。豊かな気分。ガラス扉の着いたがっちりした棚も戴くことになった。嬉しい日。
09 04 メールで9月下旬に泊まりに来たい、もしかすると知人二人も同行、と。これは嬉しい。9/20、もしかしたらが三団体が来ることになる。はち切れそうだ。ま、未確定要素もあるから慌てても仕方ないな。調布市から来ていた督促状の言うとおりに、国民健康保険税を支払う。延滞金も自分で計算して、郵便振替で。ううむ、なんという出費だ。苦しい。
09 05 引越から一月以上が経っているが、未だに荷物の整理が終わっていない。本棚にペンキ塗り場所を決めてからも何日か経過。こういうのを「なんくる」と言うのかも。ホームページ更新、といっても日記だけ。数ヶ月間に書いた「クイパラ通信」の文章もアップしたいものだ。「残暑見舞い」ももっと大勢に出したい。
09 06 BCCメールで近況報告を百五十人ほどに送る。写真も沢山付けた。ISDNに感謝だ。夜は那覇へ。民謡の会の仲間のKさん達に誘われて。彼らは明朝、飛行機、飛行機、船と乗り継いでM島に行くという。食料を買い込んでから飲みに出た。私の馴染みのK(竜宮通り)へ。常連のGさんもいて、楽しい会となった。
09 07 今日から数泊の予定で、ジャズの演奏家達が滞在。ライブハウスでの演奏や録音を品柄の「全国ツアー」だ。沖縄の後は八重山、東京、「北海道」と移動していく。近所の知人達と浦添市の店でデュオの演奏聴いた後、我が家で飲み会。総勢八名で。旅の出会いは面白い。酒も旨い。明日からも楽しみだ。
09 08 昼、Sさんから寝台二つを戴く。丁度、愛車ストリートに載る大きさ。演奏家と同宿のMさんは那覇での飲み屋巡りがこの旅の大きな目的。一晩で三軒を目指している。夜は(当然)家でも飲む。月がきれいなのでベランダに移動し飲み直す。私が三線を弾くと演奏家達も個性的に弾きならす。良い夜。摩文仁も月に照らされている。
09 09 台風接近で予定変更、彼らは今日の最終便で石垣に飛ぶことになった。それでMさんは今日海に入ると決意。糸数城、前川の谷、ガマの入り口見学、で新原浜。編集・出版業のKさんから電話が入り、昼一時間ほど話す。Mさんを浜で拾い井戸や御嶽を巡る。斎場御嶽も。夕方演奏家達を空港に送る。夜、嘉数での講演会に向かったが渋滞で断念。
09 10 台風接近。手伝っている店でも台風対策。例えば、具体的には建物の一番高いところにある換気口をふさぐ、と言うこと。夜、風の中、高所で作業。夜景がきれいだが、のんびり見ている余裕など無い。作業したところが丁度風下になっていたので安心して出来た。風上ならどうなっていたことか。帰宅後は網戸をガムテープで固定。
09 11 八月に東京で打ち合わせをした「戦跡案内」の一日。アブチラガマ、浜川御嶽、摩文仁、米須、荒崎、伊敷などを回った。台風の影響は風だけだったので、何とかなった。天に感謝。なかでも、強風の中の荒崎海岸(ひめゆり自決の地)が印象的。大潮の満潮とも重なって凄い波のうねりだった。「波の花」が飛ぶ。那覇からはバスで帰宅。
09 12 午前中はひたすら原稿書き、と言いたいところだが洗濯や掃除の合間にやっつけたというのが正直なところ。午後は空港へ。昨日、急に連絡の入った知人の知人が一泊するので。英気を養うべくK島に行くのが目的と聞く。夕方、城や湧水、浜を回る。夜は知人の店に行く。いろいろ話す。これまでのこと、未来のこと。それぞれの人の願い。
09 13 晴天。台風は宮古に甚大な被害を残して去っていった。「去った」と言ったが朝鮮半島もまた大きな打撃を受けたらしい。こちらは晴天。素晴らしい朝の光の中の垣花樋川。そして知念半島。午後、店で一昨日塞いだ換気口を元に戻す。やや西に傾いた太陽を浴びて佐敷湾周辺の景観がが見事だった。深呼吸を繰り返す。夜糸瓜炒め塩味。旨い。
09 14 サイト更新。三行日記だけ、と言いたいところだが、ダイナマイトMIKIさんから「サイト作ったよ」のメールが数日前に来ていたので、リンクも更新。彼女のサイトはMIKIさんらしく歌声が聞こえてくるような写真あり、研究課題の提示あり、といった盛りだくさんの趣向だ。日を改めてじっくり読み込むぞ。今日も晴天。
09 15 昨晩はIさんの誘いで宮良康正さんの後ろで太鼓を打つことに。「山の毛遊び」という野外の催し。何と気持ちのよい場所!夜半に月も出た。海上で会った、別の二組の出演者にも太鼓を頼まれた。楽しい演奏が出来た。夜中に帰宅。今日はまた晴天。那覇は32度の予報だが、風が涼しい。「じーーーーわ」と秋の蝉が鳴いている。
09 16 K島に泊まっていた知人は今晩は那覇泊。Nさんと港に迎えに行き、島で知り合ったというMさんと四人で暫く旅路を共にすることに。知人の焼物屋を訪れおしゃべり。その後、斎場御嶽へ。風が清々しい。知り合ったばかりのMさんは関東地方の人で、なんと日帰り旅行なのである。色々話ながら空港まで送った。別れの握手を求められた。嬉しい。
09 17 K島での数泊を語る知人を那覇の町から空港に送る。午後一時間程、アブチラガマの文化財指定を巡って玉城村の教育長らと懇談する会に参加。11日に東京から戦跡の学習に訪れた「社会人」のことなども話す。入壕有料化は"マスの視点"といえるのに対して自分の発想は"ミニ"であることを再認識した。そのあたり将来はどうなっていくだろう。
09 18 本棚に、古本屋から譲り受けた本を並べていった。自分の本と混ぜた場所と、混ぜなかった場所がある。本の中には余所余所しい態度のものもあるわけだ。面白い。沖縄戦関係の本が摩文仁を背景にして眺められるようにしたら、無政府主義系の本の背景はグスクから海へ続く稜線になった。こんな事も面白いものだ。台風が近づいている。
09 19 台風接近で天候は悪くなる一方だが、昼前、宿泊予定の三人がバスでやってきた。那覇にライブを聴きに来た知人も無事空港に着陸しレンタカーでやってきた。天候気遣いつつ、糸数城を見たあと、アブチラガマに二人で入る。夕方からはガラス越しに空や海を見つつ酒盛り。明日から滞在するKさんが知人に頼んだ烏賊の一夜干しが届く。
09 20 昨晩泊まった知人の案内で、具志頭の「暗御門(くらしんじょう)」に入る。墓のある自然洞穴に手を加えて陣地壕にしたもの。辺りの景観の深さとは対照的に壕内は乾いていて、地面も平坦。歩きやすい。この知人達三名を那覇に送ってから家に帰る。夕方、Yさんが一人でレンタカーで到着。夜になり、二人でKさん達を待っていると〜
09 21 〜Yさんの声「おい、家の前にバスが止まったぞぉ」、、、。バス停からは三分の距離があるはずの我が家のまん前に路線バスが停まり、三人が降りて来た。猛者だぁ!さて一夜明けて今日。Yさんはレンタカーで首里の博物館、首里城見学。他の人々は昨日知ったばかりのクラシンジョウへ。その後はみんなで浜へ。海は優しく迎えてくれる。
09 22 レンタカー飛ばしてYさんは海中道路へ。私はSさんと大渡浜へ。思った通り珊瑚の死んだ景色ではあったが、魚の種類と数は予想を遙かに超えている。早くこの浜を知っておくべきだった(知識としては知っていたが自分でこの海に入っていなかった)。実は四月の移住以来、キチンと海に浸かったのはこれが始めて。ああ、お魚になった私。
09 23 昨日、海に入った後はアブチラガマ、斎場御嶽、夜は特別メニューも。毎晩の酒が旨い。今日はM川とS城の間の谷を見学して、Yさんは空港へ。早くも三泊の旅を終えたのだ。その後一人は昼の便、もう一人は午後の便、と順々に人が減っていく。寂しいものだ、別れは。夜、突然電話があって、T公民館で獅子舞の稽古を見るという幸運に恵まれた。
09 24 今日の見学は「ひめゆり」の旅。安里から始めたいところだが、時間短縮して南風原病院壕の入口見学、南風原文化センター、ひめゆり資料館、第一外科壕、魂魄の塔、荒崎海岸。日暮れて帰る。帰り道の闇の重さ。夜半、近所の知人二人が前後してやってくる。酒が旨い。五泊の旅を終え明日帰るKさんは遅くまで本棚の本をじっくり探っていた。
09 25 平和祈念資料館、平和の礎の前に、必ず韓国人慰霊の塔を見学することにしている。犠牲者の数は一万人にもなる。空を海を漂っている無念の魂、というような表現がある。「慰霊」というのはどのようにして可能なのだろう、と答のない問いを何度も掲げてみる。一階の図書館で館内の本を検索しようとしたら、まだ出来ないのだと言われた。
09 26 今日から四人が一泊、これは先月はじめからの予約で、加えて一人が二泊。六人での行動が始まった。近くの御嶽、井戸、墓見学を手始めに、玉城、浜川御嶽、ヤハラヅカサ、で大渡浜へ。満潮が近く満足行かず、明日また来ることにする。ここまで来たのだから、と魂魄を見学して帰る。夜は目の前の食堂で閉店まで飲む。旨い、旨い。
09 27 糸数のグシクとガマに行く。拝みの人がいたため旅行者の感覚は一層研ぎ澄まされた。隆起珊瑚礁の地形の出来方が良くわかる谷間に行く。さらに幾つかの戦跡を眺め、平和祈念資料館をじっくり見学した後、干潮時刻を少し過ぎた大渡浜へ。上げ潮が川のようになる所もあって楽しい。魚は多い。垣花樋川から一路空港へ、夕日が素晴らしかった。
09 28 夕べ一人で泊まって朝帰るOさんを送って行く。日曜の朝は渋滞がなく、あっという間に目的地に着く。別れた後、国際通り三線店にMさんを尋ねた後、与儀公園の焼物祭を見に行く。知り合いのテントで湯飲みを、別の店でカラカラーを買う。夜、知人の知人が二人で泊まりに来る。今晩は酒無し。静かに秋の夜が更けていく。
09 29 歩いて農協に国保税など払いに行く。歩き序でにご近所のFさん宅に寄ってみる(Fさんは13年前、私が初めて修学旅行で玉城に来たときに、写真集「沖縄」など見せてくれた方。80題半ばで元気いっぱい)。226のときに東京にいたこと、日米開戦直後に学校を卒業、すぐに熊本の連帯に入営、等の話。また、戦後の杉並の話。
09 30 先日関東からビデオデッキを送ってくれたYさんがこんどはステレオをくれるという。待ち合わせ場所のR大学、夏休み最終日。秋の気配が緑の中に充満していて、しかも半袖の気温。これはいい場所。散歩やランニングに最適だ。今度日を改めてこようと思った。今晩泊まるSさんを安里で拾う。南風原から糸数に「ひめゆり」を辿る。

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