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「三行日記」   2003年10月
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10 01 昨日は、20号壕入り口など黄金森、文化センター、糸数の城、ガマ、浜川御嶽、垣花樋川、アマツヅ。今日はガラビへの口、ヌヌマチ(中から高校生達の声がした)、魂魄、ひめゆりの塔。資料館では津波古ヒサさんの証言を聴いた。第一外科壕。で飛ばして空港へ。午後は知り合いについて摩文仁に出来る新しいワイン工場など見学。
10 02 段ボールに入ったままの本がまだ6箱分あった。とにかく出す。分類して並べるのはこれからだ。午後知人Nさんに電話すると「今、国際通り、なぜか上等の本棚がシャッターの閉まった店の前にあって『ご自由にお持ち下さい』だって」と。ううむ取りに行きたいが時間がない。日曜の【寿/於:花野果村】の前座バンドの練習、第一回。
10 03 FMたまんでこんどの日曜の【寿/於:花野果村】を告知してくれるというので寿のCDを探すが、「ちばりよーうちなー」しか出てこない。整理が悪いなあ。前座バンドの練習。名前は「なまなまー」に決定。「安里屋ユンタ」「汗水節」「てぃんさぐぬ花」の三曲。三人の年齢差が各五歳と判明。お姉さん方は皆若々しい。
10 04 明日の「打ち上げ」のために昨日からアシテビチを煮ている。とことん柔らかくするのだ。明日はソーキを煮るぞ。その煮汁を利用してシブイも煮るぞ。こちらでは「炊く」と言う言葉をよく使う。「煮る」と「炊く」の違い考えつつ、午前は「なまなまー」の練習。夜泊まりに来るかも知れなかったY氏&F氏はF氏の仕事の都合でキャンセル、残念。
10 05 夕べから「宮古島台風被害」復興支援の催しがグスクロード公園で。私の出番は今日の朝9時から。実行委員も司会者もお客さんもいい顔をしている。疲れを感じさせない。昼間は花野果村の様子を見て、午後は区の敬老会で転入挨拶をし、夕方はヨシミツを迎えに行って、いよいよ寿ライブ。良い会でした。太鼓を打った私が一番幸せ者だったかも。
10 06 夕べは我が家で「打ち上げ」だったのだが、いろんな人が集まって交流できた。やや交通不便な地域ではあるが、人口密集地会の都会からそんなに離れていない。こういう催しはもっと頻繁にあって良いと思う。今晩はややプライベートな雰囲気の宴会。家を寿ぎ、土地を寿ぎ、島を寿ぎ、地球を寿ぐ。歴史を思う。そんな夜にしたかった。
10 07 一昨日、昨日のこと、画像も含めて「大工哲弘掲示板」に載った【←クリック】。その掲示板の管理人でもあるKさんが、寿ライブも我が家の宴会も気に入ってくれたからだ(「朝花節」も上等だった)。嬉しいこと。この写真、雰囲気があって良い。みんなに見せて「自慢」したい気分だ。さて、では次回の宴会はいつどんな風にやるかな。
10 08 絵本の配送や集金で、南風原、首里、宜野湾、西原などを走行。久々に榕樹書林にも。「誰も書かなかった沖縄(文庫版)」(関広延)をまた買ってしまう。気温が下がってきたお陰で、空調が利きだした。ここ数日突然の雨が降る。夜、米の袋に穀象虫がいた。数匹だったので手で取ったが、どういう貯蔵法が良いのだろう。赤唐辛子でも入れておこうか。
10 09 電話が鳴った。Tさんから。近くのシーサーを見ているという。では会いましょう、で初顔合わせ。去年、このシーサーがネットで繋いでくれた縁、我が家で初顔合わせとは劇的な。俎板・包丁の御礼を述べた。新潟名産のお煎餅を戴く。幾らでも話したいことはあるが、仕事もあるので短時間で失礼した。ご夫婦と運転手さんで雪花菜へ行かれた。
10 10 十十空襲の日。忙しい日だった。東京から駆けつけた数名を空港から、宿経由でコザへ送る。同行のWさんからは十冊余り本を頂く。感謝。夜は政雄さんを連れて那覇へ。で演奏。フラと合わせる。大変心地よい夜。歓談の後、コザへ送る。照屋の民謡酒場によって店の人にご挨拶。と、昼間お目にかかった数名がお客で飲んでいた。明け方就寝。
10 11 国保税の再計算書が届く。ありゃりゃ、こんなに増額。昨年の初めの三ヶ月間の給料がこんなに響くとは。夕方「なまなまー」のNさんに届け物。泊まりではないが一人懐かしい友人が来た。「キンランドンス」で一緒のUさん。夜、月を愛でながらベランダで話す。先ずは東側で、次に西側で。月が宙空に来た頃、車で那覇に送る。
10 12 彦根に移動の日。那覇から伊丹、バスで京都、鉄道で彦根。日暮れの前にUさん(踊り手)と合流して暗くなるまで散歩。井伊直弼ゆかりの地だ。明治期の尚家と井伊家の結びつきはまだ勉強不十分。夜、北九州での仕事を済ませたSさん、茨城の催しを終えてきたNさん、東村山のKさんと飲む。良い夜だ。明日の「仏桑花の会」楽しみ。
10 13 雨。東京方面からの踊り手が新幹線で来て、楽しい舞台。満席だった。終演後食事会。旨い。とくに近江牛。佐敷の知り合いの出荷した子牛が育ったものかも。夜は主催者が誘ってくれて語り歌った。彦根西中学校の校歌の作詞が山之口貘だという。戦後すぐの大田という校長の縁らしい、と話が進んだ。ハシゴするうちにいつの間にか寝ていた。
10 14 午前中は博物館とお城を散策。6歳の時、母と行ったお堀がここだ。鉄道で京都、バスで伊丹。携帯に電話がかかって、ウォルターラングが日本ツアー中で、歌で加わっているというという「アヤ」さんから。この歌い手との縁も、実は玉城と関係があるのだった。那覇で今晩泊まりに来るMさんと合流。東風平の知り合いの夫妻も飲みに来る。
10 15 午前中はゆっくりして、Kさんも誘い、雄樋川の谷間を見学。みんなここは喜んでもらえる。自然と歴史が交錯する谷間。そこに巨大な榕樹。Sさんは那覇まで送った。夜、東京から来ているTさんと食事。あいにく貸し切りや定休日の店が多い夜。だが、うまいタイ料理を食うことになった。命薬。また、近いうちに会おう、と別れる。
10 16 ご近所に土産配りつつ彦根の話などする。サシバらしき声を聞いた。姿は見えなかったが直感的にそう思った。ビデオでは何回か声も聞いているのだが、もともと鳥にくわしくないので聞き流していたわけだ。夏に泊まったSさんが、TVを収録したDVDを送ってくれた。NHKの70年代、80年代の番組。一人で見るのはもったいない。
10 17 浦添美術館で鎌倉芳太郎、80年前の沖縄の写真展を見る。首里の夜明けについての記述が一種の神秘体験だったと読めた。宮澤賢治の、岩手山で見た空の発光現象にあたるのだろうか。自分には数年前から気になっている現象がある。東京でも沖縄島でも見ているものだが、まだ正体が分からない。日の出前と日没後に見られる数本の光条である。
10 18 午前中、PCの調整。近所のFさんに京土産の生八つ橋を届けた。彦根城周辺をよくご存知で楽しい話をしばし。夜、シュガーホールで県主催の文化祭、組踊を観る。「護佐丸敵討」唄と踊りと物語と。沖縄芝居はまだ見ていない。近所で良い演目がかかると良いのだが。昼間、先月泊まったSさんに以前BSで録った「パラダイスビュー」を郵送。
10 19 夜、佐敷の茅葺き屋での催しに参加。近所の仲良しの会が主催した「小さな文化祭」だ。昼間のゆし豆腐作りから参加できれば良かったが、私は夜の太鼓打ちから。八木政男さんが懐かしい沖縄芝居の現場、裏表の話をした後の演奏から。「丘の一本松」などの唄。その後沢山の出し物。みな芸達者だ。珊瑚舎の人達とも会う。楽しい夜。
10 20 やっとパフォーマがネットに繋がる。画像などは無理だが、文字情報は大丈夫だ。これでここにはOS9、借りているOSX、そしてこの懐かしいOS7、三台の(三代の)マックが繋がったことになる。8mmビデオを棚に並べる。夜、今度の日曜の舞踊の練習に訪れたSさんを空港に迎える。群馬から二泊の予定で来た。29日にクイパラ首里公演も決定。
10 21 10・21国際反戦デー。43年の「学徒出陣」霞ヶ丘競技場の雨中の行進の日でもある。寺田勲は多分サボったはず。Sさんと、百度踏揚の墓、うざはびら、あまつづ、仲村渠樋川。黄金森、南風原文化センターと回り、与儀の図書館近くで別れる。Sさんの知人の父親が陸軍野戦病院の軍医だったと言うことだ。開南→南風原、そのあとはどこへ行ったろう。
10 22 夕べも、SさんHさんと与儀の教室で稽古。「四つ竹」を気持ちよく唄った。来週水曜のチラシを自分で作ることになり、今日午前いっぱいかけて仕上げる。今晩の宜野湾市民会館での「宮古台風復興支援チャリティー芸能公演」で宣伝するためだ。関係者の協力宜しく、首尾良く間に合う。演奏はわずか一曲だったが、沖縄島の大舞台は初めてだった。
10 23 昨日夕方出来たチラシを、挨拶をかねて近所の数か所に配る。夜、東京から那覇に来ている知人と飲みに行くことになっていて、バスに乗る。開南下車直後、長袖を座席に忘れたと思いこみバスを追いかける。ターミナルを出ていく回送車がそれとわかり、信号待ちで乗車して調べてみたが無い。勘違いだった。久しぶりに町を走った夜。竜宮通りで飲む。
10 24 夕べは飲み屋で西荻窪馬小を知っている方にも会う。面白い。今日は太鼓転がして東京行きだ。慌てていたためサンダルで出てしまった。羽田からは京急から都営地下鉄への直通電車が丁度出るところで、千疋屋での上原美智子の展示会に行く。S学園の知り合いIさんに会う。懐かしく楽しい。東京駅から特別快速で立川。「四つ竹」で砂川国夫ライブ。
10 25 夕べのライブ、知り合いが13人来てくれた。感謝。懐かしい顔も。太鼓の調子も良かった。夜中に馬小へ。結局今朝帰還。午後、池袋で稽古。今回は琴も入って地方は5名。夕方「あしびなー」へ絵本の回収に。夜、東村山「まる」でOさんに会う。満員でびっくり。店のMさん、Oさんも笑顔。深夜、写真家のUさんと出会う。最新刊を購入。
10 26 練馬での「朝絵の会」。満席、いや立ち見も出た。会主の踊りはやはりレベルが高く、太鼓を打っていても緊張感があって実に充実した気分だ。夕方は琴を運ぶのを手伝った後、中野サンプラザの「関東宮古郷友会」へ。時間不足で演奏はなかったが、懐かしい顔に会う。その後二次会三次会。井の頭公園入り口のニライカナイで仕上げて終電で帰る。
10 27 掛け布団二枚を袋に詰めて、これで手荷物で持って帰る見通しが付く。昼、絵本五冊を三鷹の郵便局から横浜のお客さんに送る。荷物が軽くなって嬉しい。駅付近では予備校帰りの娘が荷物運びを手伝ってくれた。新宿の駅構内通路でSさんと会う。「ひめゆり」などの原稿の内容を話す。品川経由で空港へ、やや遅れて来たHさんと急いで搭乗。
10 28 午前中に家の中を片付け、掃除。昼にクイパラ四名を空港に迎えに行く。那覇在住のYさんも車で来て、総勢6名で我が家へ。早速ビールで乾杯。昼飯食おうと言うので目の前の食堂(そば屋)へ。ボトルも入れて本格的に飲む。その間、近所のFさんやEさん一家にも会う。楽しい日。夕暮時からは西のベランダで。空に四日の月。皆よく飲み、食う。
10 29 10時頃出て、富里の御嶽、墓、井戸、百度踏揚の墓、うざはびら、玉城、アブチラガマ、糸数城。仲村渠樋川、浜川御嶽、ハヤラヅカサ。新原の井戸、浜辺の茶屋。玉城焼。うどぅい、さしきの湯、風の里。演奏会は上々。踊り手と近いのがよい。三線はマイク無し。これも良い。太鼓は相当遊んだ。仲本さんも首里という場所に元気をもらっていた様子。
10 30 昨晩は3時過ぎまで飲んでいた。それでも9時には起きて、魂魄、平和祈念資料館。大里でKさんの親戚(おばさん)に招かれた昼食。これが絶品。昆布大豆ひじきの煮物。野菜たっぷりのソーキの煮付け。赤飯。サラダ。苦菜。天気も上々。風の里によって空港へ。見送りに来ていたYさんも笑顔。彼らは明日、いわきで学校公演。忙しそう。
10 31 洗濯。サシバが盛んに鳴いている。本やビデオの背を見て時間が経っていく。「琉球電影列伝」が始まる。さてどの番組を見に行くか、あれこれ考える。夕方、久茂地川沿いの会場へシンポジウムと「オキナワン・ドリーム・ショー」を見に行く。高嶺剛の語り口が良い。数年前に吉城寺で、昨年「まるみかなー」で話を聞いたが、今回が一番だ。

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