このページは2004/01/11/23:00頃 作成  04/02/05/13:00頃 最終更新

 
「三行日記」   2004年01月
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01 01 昨夜泊まりに来た二人と年越しそばを食って、新年が明けた。早朝からSさんと首里の宿にHさんを訪問。アブチラガマからの奇跡の生還の経緯を伺う。興味深い話がたくさん。首里杜館に移動してお茶。昼に帰宅。夜、八重山からHさん母娘が那覇に到着し宿泊。充実の元日である。80代元皇軍兵士とも初対面、小学校五年生とも初対面。
01 02 新原、百名浜、仲村渠、垣花樋川。ここから本題の戦跡案内で嘉数高台、黄金森-20号壕から飯上げの径を通って字喜屋武の炊事場まで歩く。さながらひめゆりの追体験。アブチラガマ(正月休み)、糸数城。前川の谷、ヌヌマチガマ。平和の礎。資料館は(腹立たしいことだが)休館なのでアプローチの壁画を見学。知念の宿に送る。
01 03 暮れのS先生も正月に来たH母娘も資料館、アブチラガマの「休み」には苦々しい思い。が、夕べは首里のRさんから正月料理のお裾分けを頂き元気が出た。今日はH親子最終日、知念城(按司墓)、玉泉洞、空港。やはり別れは名残惜しいもの。夕方、RさんHさんMさん来訪、神奈川から戻ってきたIさんと合流して皆でタイ料理店に。
01 04 夕べは宿泊のK&R親子も加わって7人で"団欒"。そして今日は"たまたま庵"の新年会(発起人はNさん)。20人程が集まった。PTAバンドも再演。その他ブルースあり、ボサノバあり、民謡あり、"小林裕次郎(?)"ありの楽しい宴。Nさん手製のお料理も美味、差し入れも嬉しかった。今年も楽しく生きようじゃないか。
01 05 買い物があって津嘉山へ。同行のIさん、情報誌Uで一万円台の貸家の広告を見つける。半信半疑で電話したが印刷ミスでは無い。早速見に行く。空き屋を探しているKさんにも伝えて、夕方には不動産屋さんも現場に登場。トントン拍子で話が進む。情報誌Uは今日が発売日、不動産屋も今日が仕事始め。こんな幸運も世の中にはあるのだ。
01 06 夕べはK&Rの知人が三人やってくる。今日はRが自転車で那覇まで行ってみようと言うことになり車で途中まで道案内しよう、、、と慌てて階段を下りた後に左足を挫く。我が人生でもっとも激しい「挫き方」をしてしまった。受け身で一回転。ああ痛い。動きたくないので道案内の後昼寝。夕方Gさんご夫婦が来訪。定休日のドライブ中に寄って下さったのだ。
01 07 良い天気が続いている。役場、郵便局へ行った後、首里や那覇へ。借家の契約をし家財道具を少しずつ買うKさんを案内して。車で待つ間に「ひめゆり資料館公式ガイドブック」を読み切る。証言は108編も掲載されている。そのことをこれまであまり意識していなかった。生き残ったことを「生き残らされた」と感じる人生の重さよ。
01 08 那覇から来た不動産屋のN氏に花野果村を紹介。人と人を引き合わせるのは面白い。気さくで率直な話し方をするN氏は就職一年目だというが、彼が担当だったためにうまくいったと実感している。具志頭村のNさんが不用の皿や食器、炊飯器、ラジオなどをKさんに下さった。そういう人の縁の仲立ちをしている自分も、嬉しい。
01 09 ひめゆりの戦死者「島袋ノブ」「安座間晶子」、それぞれの戦没した日に疑問が生じ、資料館に電話して確認を進めた。担当者が詳しく調べて下さって、疑問はほぼ解決(詳しくは掲示板参照)。昨日に引き続き引越するKさんに様々なものが集まってきた。冷蔵庫、食器。私も古書をたくさん頂いた。その中に懐かしい本も見つけた。
01 10 夕べは知人の知人Nさんが国際便で那覇に到着。夜はこの"たまたま庵"の「研修者」三人と私とIさんで飲みに繰り出した。店で小浜出身のMさんとKさん(八重山民謡の先生達)と出会う。彼らは、中天の月を眺めて唄い、カチャーシーを舞い、最後は弥勒節。僕らも三線、バンジョー、太鼓などでセッション。素晴らしい夜。そのせいで今日は宿酔。
01 11 昨夜は新年会に来られなかったTさんが訪れた。お米を頂いた。今朝は未明に強い雨。小ぶりになった頃、引っ越したKさんに、とOさんから布団が届く。Yさんからも布団や座卓等数々の品を頂くことになった。運搬役の私も座卓、カーテン地、ベッドマットなど頂く。愛車ストリート大活躍。Nさんには油味噌を頂く。正月から頂きものが多い、感謝。
01 12 捻挫は治ってきた、自分の生命力に感謝。恢復には結合組織に栄養をおくりこむことが大切と考え、夕べ農協売店で「焼きアシテビチ(\38/100g)」を買い煮込んで食す。美味。今日も食べた。豚の足を戴き己の足を治す。感謝。「ひめゆり忠臣蔵」再読。自分の考え方と比較して共通点が多いが、何か大きく違う点もある、と感じる。
01 13 朝、冷えた。「面影と連れて」(目取真俊)など再読。作者の故郷(場面設定の多く)は「山原」で、ここは「島尻」、という違いはあるものの、この種の作品は古いものが脈々と生きている場所で読むとぐいぐい来る。第三外科壕はここから車で20分の距離。30年近く前に火の攻撃を受けたA氏が近々またこの異郷にやってくる。
01 14 年賀状を作り発送(まったくのんびり屋だ)。「自衛隊」はこの機に「日米安保軍」にしたらどうか、と印刷した。冗談で「地球防衛軍(亜細亜支部)」と書きたかったが、合衆国の御山の大将ぶりを揶揄するにはいい名前かも知れない。「御山の大将俺一人、後から来る者突き落とせ」てな歌詞だったっけ。夜、映画「指輪物語」(貸しビデオ)を見る。
01 15 久々にTさんに会う。たまたま庵で知り合いの長期宿泊、どうか、という依頼があったからだ。本人達の意向を聞きたいという私の考えと彼の企画にギャップがあったので、見送ることにした。それはそれで、近所に越してきたKさんとTさんはこれまでにつながりがあったので、私が仲立ちになって紹介した。人と人の繋がりが網になっていく。
01 16 「金城哲夫と上原正三」(大城信哉。94年の公演記録)を手に入れた。借りた同人誌にあったものでコピーした。ああ、早く「哲雄特集-ウルトラQを見る会」をしたい。さて、そのコピーのついでに具志頭のAコープに行く。久しぶり。同じ農協売店でも、知念、玉城、具志頭でだいぶ違う、泡盛の値段も様々。いいことだ。てぃびちを煮る。
01 17 夜、プラーナのライブ。準備でNさんたちが特製カレーを作る。集まったのは約30人。宜野湾や那覇からも来てくれた。近所のKさんも楽器持参で来てくれた、太鼓、三線、ギター、打楽器いろいろ、カリンバの一夜となる。食べ物は綺麗に平らげた。飲んだビールは7リットル。食ったお米が1.2升。カンパ総額(飲食料込み)\17760。
01 18 昨日は大勢来てくれたが皿を洗ったりする人も多く、今日の片づけは楽だった。カンパを合理的に配分し、演奏者のTさんに届ける。カレー担当のNさんにもかんぱを渡せた。残りは飲食実費にギリギリ届いたくらい。採算は取れないけど目に見えない「+」には替えられない。夕方、Rさんがタイマッサージを受けに来る。これも、我が庵の有効利用。
01 19 知人が不動産情報ネットで知った「具志頭、高校近く、ワンルーム、新築」を一緒に見に行く。佐敷より高い感じ。確かに広々していて景色はゆったり。我が庵も見えた。あまつづ(玉城城址)で調査が始まっていた。見学に支障は無い。付近の小径を辿ってみる。夜は明日の案内のために95年の「ひめゆりの塔」やNHK番組の録画を見、本を読む。
01 20 暗いうちに庵を出て那覇へ、レンタカーを使い七人を案内。首里城、嘉数高台、南風原(壕、小径、資料館)、糸数(城+ガマ)、前川の谷、摩文仁(韓国人慰霊塔、礎)、第一外科壕。日比野勝広氏の経路を辿り、ひめゆりを辿り、沖縄戦の意味を皇軍側と米軍側から検証し、加害被害の概念を超え、死者に学ぶことの意味を探る、がテーマになった。
01 21 夕べはレンタカー返却で仕事を終え、来週末の演奏のためバンド練習。明けて今日は大寒。明け方、玉城村に積雪、国道に除雪車、辺りで子供が遊び回る、という夢を見る。とにかく冷える日。夕方、農業体験学習の計画をするための集まりに参加。ぐんぐん気温が下がっている感覚。庵に暖房器具は無い。としのゆるー(大晦日)である。
01 22 待ちに待った元旦。人生で二度目の久高行き。下船時、携帯で電話していたNさん(後で名前を知った)に声かけられ、数名とI家に。まず仏壇の遺影にご挨拶できた。その親戚筋を回り、太鼓を二箇所で打つ。昼からは外間殿の行事を見学。カチャーシーも楽しむ。また数件回る。船で戻り夜は知人宅で会合。遅くまで話す。
01 23 ご近所のSさんがFAXを借りに来たところに久々会うKさんがこれまた久々のAさん達を連れてやってくる。彼らは、我家でビール前の食堂で酒少々、という展開。Aさん達を那覇に送っていく。カンパ戴く。那覇につくと、我が愛車が楽器移動車のピンチヒッターとなる。また、カンパ戴く。夜はKさんを運び、彼らのライブを楽しむ。
01 24 夕べは深夜帰宅後に、久高でお土産に戴いた鮪を一人で味わう。元気が出る。今日は寒い。「ひめゆり忠臣蔵」二度目の読了。夜、まるみかなーで国吉源次ライブを楽しむ。小学生(お弟子さん)を横に並べて源次さん嬉しそう。よしこサンとも沢山話した。昨日は旭町で日の丸の小旗手にした若干名を目撃。今日も天皇の話題が出た。
01 25 寒い日。洗濯掃除。夕べ買って置いた鶏の肝を煮て区の常会へ(おかず持ち寄り、という伝達が来ていたのだ)。初対面の人達とも酒を酌み交わしつつ話せたのが良かった。良い機嫌で帰ってくると、同じ区に住んでいるTちゃん(小学生)とその知人(大人)達が風呂入りに来ている。カンパも戴き話も沢山した。良い交流の一日。
01 26 知人のYさんが野焼きをするというので見学。知人が知人を呼ぶ、という按配で五、六人が集まった。夕方焼き上がる。その間、同じ村に住んでいるS夫妻と会って話したり、これまた同じ村のAさんの畑でウージ植え付けの実験をしたりする。ここにはやはり五、六人が集まった。今日もまた同じ村内の人との交流が深まった日だ。面白い。
01 27 先週の火曜と同じ団体の、案内をする。今日は曇りのち小雨。嘉数、南風原、ヤブサツ、糸数、摩文仁、伊原、米須、など回る。20号壕への小径ぬかっていて滑りそうだった。下りは参加者の一人が反対方向の道に気づき安全に戻った。運動場の工事が進んで来たお陰だ。参加者を送って地酒横町にも行く。豆腐の食堂にも。
01 28 夕べは案内の後バンド練習。久しぶりに同村のHさんに会う。帰って、古手川祐子の出た「ひめゆりの塔」(82年東宝)を見る。盛り沢山の日だった。今日は子供用ベッドに大人用のベッドマットを置けるよう設計して、材料のタルキを買ってきた。夜、今度は同じ東宝の「モスラ」を見る。香川京子が出ているではないか。
01 29 昨日の工作の続きで92cmの横木がぶれないようにするため、木っ端を接着剤で付ける。鋸使うのも久しぶり。父親の工作を見ていた頃、自分で巣箱や本箱を作った小学生の頃、娘と棚や台を作ったことなど思い出す。夜「首里の風水」「平良敏子(芭蕉布)」などNHKの録画を見る。淡々とした番組作りに共感する。
01 30 寝台の工作の仕上げのヤスリがけ。Mさんの店に行って来週の案内(都立K高校のガイド)の打ち合わせや雑談。スキヤキを戴く。久々の牛肉だ、旨い。花野果村にタンカンを買いに行って、風呂の常連二名に会う。夜バンド練習。中学生の打楽器担当数名も来る。楽しい。帰宅すると風呂仲間が来ていて、おしゃべり。
01 31 夕べの練習時に「明日の夜の反省会はたまたま庵で」ということになり、今日は朝から大量の味噌汁をこしらえる。中央公民館へ楽器運び。エレクトーンが重い。中学時代、音楽の中村先生を手伝って三階の音楽室から校庭へ運んだ場面を思い出した。運動会の時だったろうか。午後は「ピアノ発表会」で音響係も。バンドの演奏はまずまず。

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