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「三行日記」   2004年02月
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02 01 夕べは一歳児、小学生、中学生、大人、と大勢で「反省会」。サックス、ペット、鍵盤+ベース(彼らは夫妻)の三家族が中心。楽しかった。音楽は場を作る。私は三線やブルースで。今日は片付けボチボチ。夜、M区の区長歓送迎会の余興で同じバンド演奏。その後M区内の知人宅でおしゃべり。中学のPTAの繋がり。面白い話し沢山。
02 02 洗濯。カーテンレール買い足しにニューマンへ。双眼鏡(\2k)を見つけ買う。古本屋へも。中古屋で三菱の25型TV(\16k)見つけて大いに迷ったが見送る。29型だったら買ってたな。明日の案内の予習(というかこれまでの復習というか)。高文研の「観光コースでない沖縄」「沖縄修学旅行」や、あけぼの出版の戦跡ガイド本などを読み返す。
02 03 先週に引き続き、八王子S病院の方々の沖縄島旅行オプションコースの案内役。雨は午前中に上がった。嘉数、南風原、糸数(壕、城)、受水走水、伊原、米須、摩文仁。資料館は「南風原文化センタ」と「ひめゆり資料館」。ガマは丁度昼食の時間帯で修学旅行生ラッシュの直前になり良かった。夜、やや長く滞在するお客さん三名を迎える。
02 04 曇り。金曜の案内のための勉強。夕方、転居計画中のIさんと佐敷や具志頭のアパートを見る。一長一短。知念の農協売店にタマン、ミーバイ、イラブチャー、クブシミ、アバサがあった。滞在中のAさんはギター弾きでもあり設計士でもある。彼のギターにベースで合わせる。久しぶりにゆっくりフレットレス(河合製)を弾いた。
02 05 小雨。泊まっているMさんは八重山にも詳しい。夕べは西表の話などした。会話は終始笑顔なのだが、私の心はユニマットの暴挙(リゾート"開発")のことで一杯だ。新聞には訴訟の進展も報道されている。【an=たまたま庵】に「島袋りりあ」のチラシを載せる。公演の収益が上がれば、彼女から「写真提供にたいするカンパ」がいただけるかも。
02 06 昨夕、滞在客のうち二人と前川の谷に行き、夜は皆で「ウンタマギルー」のビデオ鑑賞。今日は暗いうちから起き出して都立K高校の「島尻コース」ガイドのおミソ。港川人の骨の出たフィッシャー、アブチラガマ、魂魄、米須海岸、小渡海岸、韓国人慰霊塔、ギーザバンタ。死と骨の話が多かったが、すべてが生を支えているのだ。紅芋を沢山戴く。
02 07 昨晩は木田大時(むくだうふとぅち、玉城仁王)をネットで調べる。興味深い。今日「たまぐすくの民話」を開くと何編も載っている。彼の生まれた場所は、前の日曜の晩にお邪魔したM区の知人の家に近い。現在と過去の繋がりにゾクゾクする。繋がっていて当たり前なのだが。午後Uさんを知人親子と訪れる。U夫妻中心におしゃべり。未来を展望する。
02 08 昨晩は農協売店で売っていたアバサーを汁に仕立てていただく。旨い。近所で建築中の八角形の建物を見たいというTさんが来て一緒に行く。庵に滞在中の三人はその建築に携わっているのだ。五人で風の里へ行く。夜は近所のHさん親子や首里のSさんと息子達も家に来て、大勢で楽しいひとときを過ごす。T区長のTさんも来た。知人の繋がりが強まる日。
02 09 冷たい雨模様。建築作業は休みなので、衆はデスクワークや読書や休息の時を過ごしていた。ヌヌマチガマのブックレットを読了した私が見学に行くというと、二人が同行してくれた。思ったより歩きやすかったが、ドリーネの開口部から戦後捨てられたチリには絶句。普段目に付かぬ所(谷、海、穴など)にはこんなふうに廃棄物が捨てられて来たのだった。
02 10 昨夕はガマに入った後、城にも行った。今日は本当に久しぶりに晴れて、素晴らしい日の出。海の青さに誘われて、城、浜川御嶽に偶然であった旅行者を案内。帰り一人で藪薩を歩いてみる。御嶽、墓、坂道を上って国道に出ると車でYさんが通りかかる。二人で同じ道を下りる。「カーミヤー」「アジシ」などの文字のある拝所も。百名第二貝塚なども見学。
02 11 今日も暖かい日。先週頂いた芋を毎日食べているが、今日は昨日取ってきたサンニンの葉にくるんで「ムーチー」を作ってみた。午後、知人に呼ばれて那覇へ。夕方帰ると、休日と言うことで親子連れで首里から来ているSさん、近所のHさんがやってくる。鍋宴会だ。その後Sさんも来て十人になった。年齢層も広く楽しい宴だった。満腹。命薬。
02 12 午前、ヌヌマチガマについての文章を仕上げた。午後、「ガマ=命の宿」という具志頭商工会のパンフレットとネット情報を頼りに一人で歩く。雄樋川右岸の「特攻艇」秘匿壕はすぐに見られる場所にあってびっくり。新里壕は驚くほど大きな景色。ガマの入り口が見えなくなる前まで入ってみた。第二大隊のガマはぬかっていた。後原のガマは見つからず。
02 13 連続して暖かい日だ。日中はTシャツでも大丈夫。知人を手伝って佐敷に洗濯機を受け取りに行った。それが故障していたのも一つのきっかけで、預かっていたOさんに昼飯を戴きおしゃべり。原一男や野本三吉の話題も。午後「いのちの群れ」を再読。一昨日Sさんにこの本を紹介したこともあって。とにかく人と人の繋がりは不思議に満ちている。
02 14 昨日の夜は浜辺の焚き火に誘われた。旨い焼き芋を戴く。今日午後は、志堅原の採石場を歩く。聞く所によると戦前は港川で採られていた粟石だが前後は主にこの志堅原が産地になったという。ほんの少し上流の堀川は戦後の集落。産業が人を呼んだわけだ。日暮れ時に木田大時の住居跡と井戸を見つけに行く。良く通っていた道の脇にあった。
02 15 好天の一日。来月7日の演奏交流会のチラシを作る。午後、Hさんを案内して玉城、垣花樋川、浜川御嶽。夜はSさん主催のカレー宴会になる。ぞくぞくと人が集まってきて小気味よい。夜は娘の進学についてインスタントメールでやり取り。「ながら」がしやすく実に都合の良いコミュニケーション手段だ。宴は夜更けまで。
02 16 先日Uさんから戴いたカセットテレコ(懐かしい名称)を繋いでみる。いい音だ。早速ニールヤングなど聞く。高校生の頃に録音したテープだから、かれこれ30年前のものだ。心躍る。有難い。昼飯はMさんの店。コース料理のように郷土料理、創作料理が出てくる、そのもてなしが温かい。帰りにはホウレン草なども戴く。栄養も十分だ。
02 17 キャスター付きの小本棚(組み立て式)を送ってくれたNさんに御礼のタンカンを郵送。郵便局からの帰りにHさん御夫妻を訪ねる。いつも通り楽しい話になる。井戸、ガマ、墓の話。夕方、丁度一緒になった八人で玉城の脇の谷間の道を歩く。表からは見えにくいところにこんな良い空間があることに感謝しよう。暖かい空気の中の日暮れ。
02 18 今月末に予定している宴の相談をしにTさん宅に行くとそのお父さんが(例によって)沢山野菜を下さった。70代にして現役。沢山の作物を作っている。夜はその息子さんが食事に誘ってくれた。楽しそうに子供時代のこの辺りの様子を語ってくれた。また、戦争で失われた松並木の話なども。感慨深い夜。青蛙が鳴いていた。
02 19 レシートの整理、洗濯。昼、糸数の高台から双眼鏡で眺望を楽しむ。首里、那覇、豊見城、八重瀬岳など。手前に見えていた四阿が気になって前川に行ってみる。知念殿の裏手にその四阿はあった。五月に修学旅行のS中学校にアブチラガマの予約状況を伝え、早速予約することになる。夜、風呂借りに来る知人が集まる。楽しい。
02 20 午前、建築材料などを買いに行くAさんの案内をする。「軽貨物」である。上間、糸満など。午後は商工会主催の税務相談に参加。確定申告のアドバイスを得る。家に戻って、昨年の自分の収支を確かめるため、手帳のメモをもとにした出納帳をPCで整理。皆が食卓を囲んで談笑している間にも、ひたすら鍵盤を打つ。ひと月の集計出す毎に溜め息。
02 21 昼飯でMさんの店に行く。土曜なので小学生の女の子四人が配膳を手伝っている。良い空気だ。夜、建築三人衆の知り合いのNさんが尋ねてくる。ネットのコンテンツを作成する仕事をしているという。自然保護の観点で沖縄を紹介するサイト。収支笑顔の人でこれまた良い空気である。宿の都合があるというので彼女は11時前に帰っていった。
02 22 雨模様の一日。PCで出納帳の整理を進める。夜は那覇のお寺でのライブに行く。教会風の建物。唄あり踊りありでまさしく竜宮城だ。那覇市内の別の場所でライブしていた知人にあった後、食事できる場所を探して、桜坂、開南。結局、大里の食堂に行く。山羊スバ\700、質も量も満足。ああ命薬、命薬。帰って南京豆と轟(泡盛)。
02 23 サイトanを充実させる。昼食で知念に送る。自分は食べないので、その時間を利用して知念の海を歩く。アーサが豊に岩を覆っている。暑いくらいの陽気だ。戻る途中、知人の知人6人と会う。久高に行く途中というので、自己紹介して案内を買って出る。垣花樋川、斎場御嶽。短時間だったが充実した気分。寄付を戴いた。感謝。
02 24 昨晩もSさん主催の宴会、二月生の二人を祝う会でもあった。集った数を今日確認してみたら何と27人+3匹(山原のPさんが連れてきた子犬、子供達も大喜びだった)、よくも入ったものだ。嬉しい。Kさんに誘われて奥武でアーサ摘み。ヒミチーナというちいさな貝も教えてもらったので、早速採る。良いダシが出た。身も戴いた。
02 25 昼飯時に三人を糸数に送っていったついでに城の近くの殿を見学。夜は二組の夫婦がそれぞれレンタカーで来訪。一組はこの春山原に移住する途中。もう一組は民謡などの琉球音楽の研究を兼ねている。期せずして我が家に三組の目的を異にするグループが集まったわけだ。大変面白い。人のもつ、その人らしい思いが交差する場所であり続けて欲しい。
02 26 昨晩泊まった人々を案内して、斎場御嶽。蛙が柔らかに鳴いている。知念按司の墓、大変長閑な空気である。オオゴマダラ複数が舞っている。実にいい場所だ。双眼鏡で楽しむ。浜川御嶽とヤハラヅカサ。二人が帰った後でOさん(Nさんの知人)から電話。夜は読谷にYさんを迎えに行ってコザへ。食事の後、民謡酒場二か所に行く。充実した一日、深夜に帰宅。
02 27 昨日は金城哲夫の命日であったが、まだ大型の画面を手に入れていない私は「哲夫作品を見て語り合う会」を実現できずにいる。夜、建築の場所で地元の区の人達との交流会があったので、参加する。響きの良い部屋で唄三線。言葉、歌声、踊りといった、長い歴史に培われてきた文化が、今生まれようとしている「箱」に響いている。快感。
02 28 建築の三人衆のうち二人は明日で帰る。で、今日は仕上げ、まとめの日であった。昼間、買い物がてらに一人で、南山城、嘉手志川を見学。ふと気づいて八重瀬岳の道を辿ると、自衛隊の分屯地とゴルフ場の間の道路から、素晴らしい眺望の崖上に出られることが分かる。興奮。多分日本軍が高射砲を据え付けたとおぼしき場所も見つける。
02 29 昨夜はTさんの誕生日会、加えて、建築衆のお別れの宴だった。手作りのケーキも戴いた。今日は二人を送って空港へ。その足で、波の上、小桜の塔、海鳴りの像、辻、三重城、那覇の市場と移動。買い物の後、首里へ。博物館、大学、京の内、竜潭。与那原、佐敷を経て帰宅。夜、昨日誕生会をしたTさんに贈り物を届けた。

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