このページは2004/06/10/23:50頃 作成  04/07/28/15:30頃 最終更新

「三行日記」   2004年06月
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06 01 〜再び美術館を見学してから辺野古の工業高専へKさんを迎えに行く。英語教育のアドヴァイザとして今年既に数回来ているのだ。彼を空港まで送る仕事。一年ぶりだった。色々話す。夜はIさんをチャーリーレストランに迎えに行く。今日はSさんがコザに移動したので洗濯など。夕方電話があってIさんという来客。空港に迎えに行った。食事はアルテ崎山へ。
06 02 雨模様。先週末からの夏空が嘘のよう、梅雨の後半が始まった。パトッチャワーでおしゃべりの後、昼食を食べに「新」へ。小雨の中、具志頭城とクラシンジョウ。夕方庵に戻り、Iさんを次の宿泊地首里に送る。その間、携帯に留守電。Mさんの提案--数名でこの辺りを案内する団体を作り連絡窓口を私に--の具体化の件。Mさんは早速Tさんに会いに行った様子。
06 02 雨模様。先週末からの夏空が嘘のよう、梅雨の後半が始まった。パトッチャワーでおしゃべりの後、昼食を食べに「新」へ。小雨の中、具志頭城とクラシンジョウ。夕方庵に戻り、Iさんを次の宿泊地首里に送る。その間、携帯に留守電。Mさんの提案--数名でこの辺りを案内する団体を作り連絡窓口を私に--の具体化の件。Mさんは早速Tさんに会いに行った様子。
06 03 「ウルトラQ」をDVDに保存すべくVHSからHDにコピーしはじめる。三倍速で録画したせいか画像が安定しない部分があって悩む。サイト更新、この三行日記がたまっているので何とか少しずつでも取り返している(と書いている今日は実は6/10なのです)。夜、風の里へ。「コロとおじさんと平和のかかし」の会計仕事。丁度、明日五冊を届ける話も出た。
06 04 コザに滞在中のSさんから昼に迎えに来て欲しいという電話があって、これは好都合。アルテ崎山で絵本五冊を署名の入っていない五冊と取り替えてから西原のトムテに納入。その足でコザへ。Sさんを乗せて庵へ。Sさんは庵にお客さんを招いて仕事なので三歳のM君のお守りを勤める。雨模様なので公園でなく公民館の図書館に行った。絵本を読む。
06 05 宿泊している母子をグスクロード公園において空港にT子さんとそのお母さんを迎えに行く。数年ぶりで会う、府中に住んでいたときからの友人。小禄でY子さんを載せ庵へ。皆で新へ行く。美味しい昼食。その後、府中に帰る二人を空港に送る。さらに母子をコザに送り届ける。その間Y子さんは夜の模合の食事の準備。SさんMさんTさんIさんら来る。
06 06 Y子さんとパトッチャワーに。県議会議員選挙投票日。風の里。開店したばかりのイオンへ。混雑。南風原文化センターの「壕フォーラム」に参加。炊事場の方から峠を越えて20号壕へ。予想以上の参加者で順にヘルメットかぶり壕に入るのがもどかしい。知人おおぜいに会う。十数年前に24号壕(と記憶)に宮良ルリさんの案内で入ったことを思い出す。
06 07 昨夜は、近所のKさんが息子(R)と知人の女性(M)を連れて来る。奥武島の橋から跳び込んで遊んだ帰りだとか。Mさんは大和の高校生で那覇にある学校に見学に来ているのだという。学校教育についても話した夜だった。今日は久しぶりに「仕事」の無い日。家の整理や昼寝で過ごす。こんな日もなくちゃね。DVDへの保存も続ける。
06 08 沖縄タイムスに藤井輝明氏を紹介した「論壇」(佐藤洋子)載る。金曜日の「交流会」の宣伝チラシを持って玉城の知人を訪ねる。山の茶屋にも行く。Nさんと久しぶりにじっくり話をする。農業の話など。Nさんはこの辺りの数年後、数十年後、数百年後も考えて今日を送っている。大したものだ。事務所にあった多良川(一升瓶)を戴く。彼はほとんど飲まない。
06 09 藤井輝明さんとの交流会のチラシを方々に配る。参加人数を20人までとしたのは広さの制約から。そのために「完全予約制」などと書いたので、かえって参加しにくくなった感もある。Y工房にチラシ置く。隣の島から訪れる常連のMさんが泊。Iさんと三人で遅くまで話す。遠く確かに台風の来ている高波、が窓から見えている。小さくゴーという継続音。
06 10 朝、Mさんは出る。が台風4号で船は欠航。久米島の方に進んでいったとのこと。台風の影響で午後は休みになる学校などが多いらしい。夜、サイトの更新に励む。それにしても亀の歩みと言うべきか、日記が追いつかない。苦しみながら書いたのでは見る人だって嬉しくないだろう。自分にむいた記録の方法を考えるべきか。
06 11 晴れ。Yさんから電話があり、8mmビデオを再生するためにYさんが貸してくれるビデオカメラを浦添の某ギャラリーに置いておくという。夕方、仕事を終えて帰る途中のIさんと合流して一緒にドライブ。H子さんが個展をやっているのだ。しばらく話をする。収益は平和祈念堂に寄付すると言うシーサーの陶板。美しい夕日を西に見下ろす。
06 12 8mmビデオのトラッキングがなかなか合わないことは経験上知っていた。借りたカメラも万能では無い。色々なテープを掛け替えながらコピーを試みる。自分の持ってきた8mmカメラはもう再生には何の役も立たないのだが、巻き戻し、早送りは使える。感謝している。夜、民宿新原にチラシ配り。ご主人の晩酌にちょいと付き合って、疎開時の思い出を聞く。
06 13 二時の船で久高に渡るIさんを安座真まで送っていく。島の看板(案内板)を書いているのだ。ポランの広場にチラシを配る。Sさん、Mさんの工房にも宣伝に行く。STさんの自宅、南部観光案内センタのOさんにも宣伝。夕方中央公民館で読書。金城和信の本。仲宗根政善の文章がそつなく、魂があり、また金城和信との距離感もほどほどに感じられて良い。
06 14 久高からも戻ったIさんを拾い南風原文化センターへ。特別展をじっくり見る。翁長朝義「沖縄戦-防衛隊員の手記」私を引きつける文章が沢山。大里第二国民学校の教師時代の逸話に金城和信も登場。センターに勤務するKさんにも会う。帰路、初めてアマチジョウガマへ。思ったより険しい景色。その後、日暮れ時の比較的平らな田舎道を歩く。この感覚久しぶり。
06 15 昨夜は「神々の深き欲望」を見る。何度見ても面白い。見る度に自分の勉強不足を知る。今日は平岡正明「海を見ていた座頭市」を引っ張り出す。90年代はじめ頃の照屋林助関連のビデオも保存作業。夕方はIさんに糸数の西斜面にある道(昨年整備が進んだ)を紹介。ヒージャーガー、カマンカジ。船越を歩く。夜、久々に豚肉を買い焼いて食う。旨い。
06 16 クイパラ通信の原稿書き。同時DVDに8mmビデオからのコピーを続ける。「沖縄の少年」はトラッキングは良かったが文字が出るとその両脇に光のノイズが絡む。変だな、と思ってよく見るとHiバンド8mmだ(再生しているカメラはHiバンドでない)。やれやれ。日暮れ時浜に言ったら知人が投網に興じていた。風は無いが、干瀬には白波。
06 17 「春移住したものの今月末で田舎に帰る友人の家財道具処分の要あり」の話、電話で聞く。来る人もあれば去る人もあり。大和にとってこの地の意味を色々考える。午後ふらっとN氏(久高の)来る。親飲んで話し込む。夕方Iさんが来て、ほらほら日のある内に近所を回ろう、と言うことに。日暮れてからは向かいの食堂で飲み食い。いい一日。
06 18 宮古へ行く日。東京から演奏のために来ているNさんに会えるかも、と電話したが既に那覇に移動した後だった。先日ラジオ出演した知人の娘さんに、その放送のエアチェックMDを渡す。「りっく」編集者より企画の相談(電話で)。台風対策でベランダを片付けてから出発。バス-旭橋駅-空港。空港内移動のバスで東京から宮古へ向かう7名とばったり。
06 19 昨日は宮古空港からすぐに老人養護施設で演奏。夕方からは前夜祭。今日は市民ホールで舞台作りから手伝う。中学校演劇部時代の経験が生きる。空港に知人家族を迎えに行ったりしつつ夜の公演へゆるゆると時間が流れる。満席。好調。「太鼓独演」の繋ぎも楽屋での一人特訓の甲斐あって成功。夜は地元の後援会、また知人の店(平良市内)にも行く。
06 20 〜宿はK氏宅。深夜までおしゃべり、楽し。7時起床。9時には会場。午後の公演、大盛況。夕方は西原公民館で打上げ(大交流会)。佐敷エイサーの余興などで飛入りで三線弾くと「太鼓だけじゃないんですね」と複数名から声を掛けられた。クイパラでは太鼓のイメージが固まっているから。その後、二次会。深夜、K氏宅でまた楽しく話す。
06 21 五月四日=ハーリー。台風の影響で奥武は延期、糸満は中止と聞いた。ここ西原は晴天。6時半起床、7時40分真謝港に到着。我が集団は数十人規模で参加。一昨年のことも思い出している。来年はどうなるだろう。時代の流れ。I家宅にいると、話の流れでIさんが付近の案内をしてくれた。ヒダ川、島尻のマングローブの遊歩道、南静園。で夕方はオトーリ。
06 22 昨晩最終便で沖縄島に戻る。今日は第一便で東京に向かうIさんを空港に送る。途中Mさんを拾い、裏道を教わる。早い。慰霊の日が近いと合って種々の催しがあるが、公文書館の米映像資料公開を見に行く。予想外の参加人数で主催者は大忙し、急遽昼二回に増やした。いい内容だった。二階の航空写真資料も見る。黄金森頂上へ向かう階段に登ってみる。未完成。
06 23 夕べは具志頭村に移住したNさんとその母親が来る。人生の大きな一段。延期になった奥武のハーリー、港川のハーレーを見にNさん、Kさんらが南部に来た。自分はちょっとだけ奥武を見て魂魄へ。自転車を積んでいったのは良かった。渋滞になったところで農道に車を置く。魂魄の付近で人の流れを見る。59年が経った。大勢の知人に会う。Kさんこの辺り初めて〜
06 24 〜と言うので車で巡る。ずゐせんの塔、バクナー中将の碑、轟壕、第二外科壕、山城本部壕、第一外科壕、ひめゆりの塔、梯梧の塔、平和の礎で日暮れ。明けて今日は掃除と洗濯。明日の準備。窓ガラスを水流で洗う。東京のYさんから録音手伝いの話。嬉しい。小山公演の打合わせも(電話とメール)。夕方、昨日の朝刊に自分が写った写真があると知る。
06 25 近所で買い物、夕方の交流会の準備だ。Kさんの8mmビデオカメラが借りられることになって浦添美術館まで受け取りに行く。これで8mmの画像をDVDにコピーするしごとがはかどる。開南小学校で藤井輝明氏とSさんを載せて庵へ。彼は桐朋中高卒、私と同年生なので萩山小学校の同窓生数名が私達を繋いでいると知る。面白い。交流会の後、飲み食い。
06 26 夕べの会は十数名の参加。企画予定は20名だったが。カンパを皆が奮発してくれて採算が取れた。二次会もいい会だった。今日は8mm「ウルトラマンをつくった男たち」見事に再生できた。出演の円谷浩氏(黒河進=ハヤタ)が既に亡くなっているとネットで知る。夕方バスで与儀へ。歩いてうりずん、藤井氏を囲む飲み会なのだ。いい会だった。バスで帰る。
06 27 原稿校正。Kさんから名刺作成の依頼。一緒に作る。彼女は馬天ハーリーに行く。洗濯機を借りに来ていたNさんも同行。生DVDを買いに大里へ。夕方Nさんと一緒に西原のMさん宅へ行く。引越す前に道具をいただけるので。食器棚になっていた棚二つと鏡を戴く。東京での展示会から帰ってきたIさんを空港に迎えに行く。空港に西洋人が多い、理由は不明。
06 28 朝、Nさん宅に棚を運ぶ。Kさんに名刺を届け、昼、空港にSさんを迎えに行く。辺野古の高専に彼を送り届ける仕事。飛行機が遅れた分、車を飛ばす。1時半に学校に着く。海にいると電話が入り伊平屋から戻ったUさんと許田の道の駅で拾うことになる。浦添のギャラリーに寄ってアルテ崎山へ。夕飯。予定していたKさんは来なかったが良い会になった。
06 29 昨夜の宿泊はUさんWさん、遅くまで話す。今朝9時台に空港に着くTさんを迎えに行く。空港内局から東京のWさんに頼まれていたDVDを郵送。小禄でSさんを載せ庵に。集まってきた総勢6名で「新」に昼飯を食べに行く。おしゃべりの後、KさんとSさんは庵へ、ほかの四人で慶座断崖、韓国人慰霊塔、平和の礎。Uさんを空港に送る。夜は晩餐会【Tさんのサイトの文章と画像】←クリック。
06 30 昨夜は近所の二組の親子も来て、楽しかった。今日Wさんはバイト、SさんはMさんに会いに、Tさんはひめゆり近くの食堂に。私は空いた時間で山城、荒崎、喜屋武岬辺りを巡る。その後Tさんと梯梧の塔。Sさん拾って知人の焼き物工房や畑、草編みの工房に。浜川御嶽、百名浜。Sさんを送る。夜Wさんカレーを作り皆で食べる。Iさん、Oさんも来る。

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