このページは2003/12/03/11:00頃 作成  04/01/11/23:00頃 最終更新

「三行日記」   2003年12月
02年5-6月分| 02年7月分02年8月分02年9月分02年10月分02年11月分02年12月分03年01月分03年02月分03年03月分03年04月分03年05月分03年06月分03年07月分03年08月分03年09月分03年10月分03年11月分04年01月分      
12 01 頼まれていた礎の写真(11/17に撮影)を郵送。宮古で戦病死した佐賀県出身の兵。95年の刻銘になく翌年の追加なので親戚(遺族)が見落としていたもの。夕方、クイパラ那覇教室のHさんと練習。金曜日の公演のため。「聖夜」「赤鼻のトナカイ」「ジングルベル」等、三線とギターで合わせてみる。その後、出版関係のKさんと話す。
12 02 良い天気が続く。昼、空き店舗を見に行く。午後、玉城中学校の選択美術の「工房見学」に参加させて貰う。藍染と木工。ものを作ることと美の意味を考えさせられる。それと中学生の若さを再認識。若い世代は、同じ場所にいるだけで何かホッとするものがある。隣村に行き、スリッパ百円、座布団半額などの買い物。夜、バンド練習。
12 03 気持ちよい天気。夕方散歩。当山、屋嘉部、糸数、船越。古い石畳道を最近整備した小径が心地よい。深呼吸の場所。途中、思いガケナイないところにガケがアリ(これは駄洒落です)、発見の快感。といっても実は地元の人間にとっては「発見」ではない。いやさらに否、子供の頃は皆こういう発見に日々を生きていたのだ。
12 04 電気ギターを引っ張り出す。16歳で買ったものだから30年の付き合い。ジャックの接触が悪いようだったので紙ヤスリを筒状にしてちょっと磨くとすぐ生き返った。弦がざらつくと思ったら切れた。で丁度1セット見つかり張り替える。さらに生き返る。昼、明日の演奏の練習に使い、夜20日のラテンの練習に使う。大活躍。
12 05 昨夕の来客、付近に店舗を探している。一緒に歩くと同じ区のKさんと出会う。店舗物件を幾つか紹介してくれた。縁は面白い。夜、那覇の放送局で打合せ。夜、バンド練習。盛りだくさんの日だった。今日は午前、電話があって、数日前から打診のあった来週の宿泊予約が確定。二組5泊分。嬉しい。これから夜の演奏に向かう。
12 06 昨夜は宜野湾公民館主催の無料演奏会。民謡教室の生徒達の演奏や、三線とギターでのクリスマスソングなど。子供からお年寄りまでという客層が嬉しい。「クリスマス=冬至の祝い=節(世乞い)」といった連想が閃いてそれも話した。今日は家事こなす日。特に買い物。明日以降来客が連続する予定。来週の座間味行きの計画も。
12 07 知人の貸してくれた投影機、不調で返しに行ったその道すがら、Sさんに出会う。久しぶり。隕石を地中に埋めるお祝いの日だという。会えたことを二人で祝う。その建築用地からうちがよく見えた。昼、エイサーで知り合った来客3名。午後、娘とS氏来訪。糸数のハンタに寄り、うちへ。飲食。Iさん家族と三人で来る。
12 08 S氏の仕事で那覇へ。私は運転手。那覇新港の突端から那覇の町、空港など眺める。昼、壺屋散策の後、帰宅し近所を案内。富里、玉城焼。海辺を歩く娘と分かれてS氏と私はアブチラガマ、玉城城跡。霜月十五夜の月が昇る。新原で合流。百名浜。Yさんにトラノオを戴く。晩は花野果村の食堂でおおいに飲む。御機嫌だ。
12 09 日の出前に起きてS氏を屋嘉まで送る。田圃のある辺り。その足で金武、観音寺、御嶽。キャンプハンセンを体育館の非常階段から眺めていたら機関銃の音、複数回。読谷やちむんの里、北窯に火、常秀工房。シムクガマ、チビチリガマ。とまりんで時刻表など入手。空港でU氏を迎え佐敷へ。夜、MさんHさん到来し6人でタイ料理店。
12 10 戦跡案内を取材の一日。糸数、樋川と墓とガマと城。ヌヌマチガマ入り口。ここまででSさん東京に帰る。具志頭、塔、浜、クラシンジョウ入り口。魂魄、海岸。韓国人慰霊塔、礎。U氏は資料館へ、その間他の四人で摩文仁の丘、黎明の塔から健児の塔へ。ひめゆりの塔、第一外科壕入り口、忠霊の塔。日が暮れて取材の二人は那覇へ。
12 11 早起き。娘は壺川駅でお別れ、東京へ。U氏と私は泊へ。小雨から本降りの座間味。懐かしい食堂で昼飯。宿につくと雨が上がる。役場。資料館、充実した内容、嶋田貫三らの特攻記事のコピーも。マカーへ、忠魂碑建立が40年7月、被弾や「集団自決」が45年3月、それから約60年だ。平和の塔。宿の主Yさんの話、興味深い。
12 12 この宿を教えてくれたKさんには大感謝。U氏と私の関心に合致。縁は奇なもの。Yさんに道順など聞いて出かける。産業組合壕での「自決」を示す碑。高月山を巡り数か所で展望。そのあと阿佐への古道を下り「昭和白鯱隊」の碑、T中尉(Yさんの言う「士官候補生」)の碑、さらに下にS軍曹の慰霊碑。阿真の浜、昼になる。
12 13 〜午後私は一人で墓場、古座間味、再びマカーと歩き、フェリーで帰る。K氏泊、バンド練習。今日は空港でU氏と落合い羽田へ。K氏も偶然同便。夕方、西武池袋線の先頭(この線のこの場所にはよく乗ったものだ、10歳前後に)から見事な夕焼け空を眺めつつ所沢へ。Fさん宅忘年会。きりたんぽ美味。10月の彦根公演以来の面々。
12 14 昨夜は国分寺線終電。三鷹からは徒歩。今日は紋付一式を転がし新宿京王プラザHへ。盛大なる忘年会。正座演奏(約30分?)も乗り切る。二次会でたらふく飲食、5時半。三次会は池袋。偶然隣りに座ったKさん、大泉第二小卒と知り、忘れていた校歌を教えてもらう。「希望が泉のように湧く」か。井頭を思い出す。 (【水の物語】参照)
12 15 新宿で打ち合わせ(踊りの団体の欧州公演の準備)。線路沿いの高層ビルの20階。靄に霞んだ東京の冬。昼飯、代々木で。南新宿から成城学園。打ち合わせ(修学旅行関連)。高井戸の知人の店で一杯。教え子の命日と知る。西荻の店へ。T氏、Y氏が既に飲んでいる。座間味村史を貸してくれるKさんを呼ぶ。2kmを徒歩で持ってきてくれる。感謝。
12 16 「座間味村史」は読みであり。夕べの店のFさんは島の出身で、沢山の話をした。歴史は何度語っても何度読んでも汲み尽くせるものではない。汲み尽くす必要はない。日々、汲むことが今と未来を創る原動力だ。一昨日の衣装を陰干し、欅の枯れ葉を掃き集め、快晴の冬の日が暮れる。穏やかな一日。
12 17 「沖縄戦と民衆」を読む。値が張るので買わずにいた本だがこれは是非手元に置きたい一冊。午後、墓参り。八王子からバスと徒歩で行く。思い出した、高三の秋か冬、そして大学合格発表の日に一人で参ったことを。帰路、府中を歩く。灯の点っていた図書館に寄る。「新解さんの謎」が無料の棚にあって、戴く。夜は川崎市多摩区で飲む。
12 18 「座間味村史」から何頁か複写、荷物をまとめて羽田に向かう。土産は例によっての深大寺そばと夕べ川崎で見つけたTaroのもなか。出発時刻を30分勘違いしていて途中慌てたが、品川から直行15分の京急に助けられる。冷える沖縄、奥武山公園駅から第一古波蔵バス停まで歩く。夜は早速バンド練習。皆、腕を上げている。
12 19 冷える冷える。たまっていたメールの整理などするが書信の初めはとにかく「寒い!」の連発。Sさんから、日本(日本語)によるアイヌ語、琉球語への「抑圧」に関する書籍の問い合わせがあり、久々、関連図書を取り出す。「言語帝国主義」について読んでなかった本に触れる。勉強、勉強--本棚が待っているのだった。
12 20 今日も冷える。曇天。午後、T中学校のミュージックフェスタに参加。「PTAバンド」でラテン4曲。生徒の個人演奏、団体の演奏、や先生達のバンドに挟まって楽しくやった。久々の大音量電気ギターだったが、モニターの状態が今ひとつで、乗り切れなかったのは残念。夕方、主催のPTAの人達と一杯。徒歩圏内で楽しんだ日。
12 21 これまた徒歩圏内、農協の売店存続を目的とした婦人会の催しを見に行く。昨日見逃した「前川のアヤグ」などを見ることもできた。ご近所の人と会う。メールで連絡し会っていたSさんは那覇に帰省中で、彼女は車でやって来た(赤ちゃんと)。今年三月恵比寿でお目にかかって以来。花野果村も紹介する。午後、具志頭で2曲練習。
12 22 午後、摩文仁の先のレストランで明日の演奏会の準備を手伝う。素晴らしい夕日。そのあと急いで玉城に。夕べ、ドラムスの個人練習を2時間した甲斐があって、今日のジャズバンドは自分としては予想以上の出来。いや、予想以上だが目標にはやっとというところか。ラテン1曲、4ビート4曲、12/8 が2曲、3拍子(きよしこの夜)。
12 23 昨日「ココログ」というののサイトを始めた。写真をアップする日記のような掲示板のようなもの。http://isawo.air-nifty.com/。まだおっかなびっくりなので、宣伝も少しずつに。年末でもあるのでPCのデータのバックアップをCDに焼く準備をする。午後、摩文仁の先のレストランでの演奏。久々に澄み渡る声(?)で歌ってすっきりする。
12 24 昨夕の日暮れも素晴らしく、東に見えた摩文仁の丘も印象的。昨夜は那覇の三線会の忘年会。チラガーの煮込みを差し入れ。今日その三線会のHさんがナナフシを返たいとのことで一緒に玉城城跡の下の谷に行く。バックアップ作業でMacXにも少し慣れてくる。夜は佐敷で絵本作成販売関連の慰労会に誘われる。ニヘデビール、H氏が奢ってくれた。
12 25 旧職の時は盆暮に届く品々に「今後そうしてくれるな」と手紙を付けちょっとした品でお返ししていた。今年は、私の貧乏生活が始まって、それ気にしてくれる人々から年末助け合いの如く酒や食品が届く。有難や。その返礼に悩む。先方は私の貧乏を十分承知、そして実際貧乏なので送るものより送料が気になるのだ。午後、平和推進課に行く。
12 26 昨日、平和推進課で。開城丸生き残りの飛行兵田中さんが今年逝去、一方、荘河丸機関長原氏の娘さんと縁が繋がったことなど、噛み締める。今年は刻銘基準変更があったし、二年後は礎十周年。ここで、世界にまだ埋もれている「沖縄戦犠牲者」の掘り起こし大キャンペーンを、と提案。平和祈念資料館の図書資料一覧作りを早急に、とも。
12 27 図書資料、ネット完備、ビデオの充実を標榜しながら、このタマタマ庵には画像装置がまだない(テレビがないのだ)。が昨日この年末年始に神奈川に帰省するIさんがその間テレビを貸してくれ、早速「ウンタマギルー」を鑑賞。何度見てもいい映画だ。その後Iさんを空港に送る途中、那覇に帰省中のSさんから本棚など数点をいただく。感謝。
12 28 昨日、今日と佐敷で知人の店を手伝った。知念方向に巨大な塔を建てているのが見える。自衛隊の敷地ではなく刑務所か?と話した。夜、車で確かめに行くとSさんの工房の裏手であることが分かった。予想ははずれ。さて何なのだろう。クイパラ通信新年1月号の原稿完成。秀逸なドキュメントのビデオを一人で見る。もったいない。
12 29 東京のS学園中学校Y組の担任S先生が修学旅行の下見にやってきた。二泊三日ばっちり案内する約束。豊見城すば、嘉数高台、佐喜眞美術館、糸数樋川、アブチラガマ、糸数城、浜川御嶽、花野果村。「未来への証言」「戦場の童」。食事しているところに平和ネットワークのKさんも合流。充実の初日。明日も盛りだくさんだ。
12 30 7時15分に日の出の写真を撮影。飯作って食って9時には具志頭村の宿下見。コマカ島でシュノーケリング。この暮れに海で泳ぐとは思わなかった。新原、玉城城跡、ヌヌマチガマ、平和祈念公園、ひめゆり資料館、第一外科壕、魂魄、米須海岸。那覇のホテルへ。今日も充実の一日。夜、知念で忘年会、楽しく唄三線。例の塔は風力発電装置と知る。
12 31 朝9時那覇のSホテルでS先生を乗せ、首里城、玉陵(初めて行った、気に入った)。黄金森を眺めつつ、うどぅいへ急ぐ。T社長と打ち合わせの後、具志頭のSへ。Nさんと情報交換の後、平和の礎、韓国人慰霊の塔。碑文の朗読の後、一路空港へ。二泊三日の充実を噛み締めつつ帰宅するとKさんから電話。今晩から泊まりに来るとのこと。

このページの冒頭に戻る

[BBS] 話そう、語ろう【ここから、今から】何かが 始まる
00 表紙のページに戻る 


← 感じたこと 考えたこと お伝え下さい