「三行日記」 2004年09月 |
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04 |
01 |
金 |
昨日午後は私は「虹の会」の二名を百名、仲村渠案内。「大前の殿」には「御穂米」という時も当てられると知る。百名小発祥地も見る。昨晩は玉城焼きのIさん、近所のK親子も来てどんとのビデオを見る。夜中ははっぴいえんどを聴く。今日は午前中にMさんを安座真に送る。Hさんの案内は具志頭城、クラシンジョウ、魂魄、荒崎。夕方IさんはMさんを拾って斎場御嶽を案内。私は夜バンド練習。
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04 |
02 |
土 |
昨夜のバンド練習の後H親子が立ち寄って「笑芸てるりん(NHK)」を見る。今日はMさんお別れパレットくもじへ送る。Hさんはバスターミナルで降りて読谷へ。知人の知人が比嘉豊光と知る。で「ナナムイ」「島クトゥバで語る戦世」の資料を皆で読む。Mさんの版画素晴らしい。「生活の柄」なども。豊見城の新しいパソコン屋による。調布にもあったPCデポ。午後から晴れた。 掃除、洗濯。
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04 |
03 |
日 |
さちばるで行う年一回の祭り「かいらく(海楽)」、昼前にディンカドゥンクを見に行く。その後コード譜を整理するためなどに一度帰庵。今晩泊まるTさんたちが午後立ち寄る。とにかく多くの人に会う日。演奏はまずまず(去年はよく聞こえたモニターが今年はほとんど聞こえず、これには参ったが仕方ない)。夜九時過ぎまで打ち上げで飲む。戻ってからはTさんが連れてきたMさんを囲んで語りあう。
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04 |
04 |
月 |
朝、Mさん出発。バイクで中部へ。Tさんはレンタカーで那覇に。Hさん宮古へ移動する日。宮古の情報や、沖国大ヘリ事件の話になる。案内先は玉城焼、浜川御嶽、ヤブサツの墓、垣花樋川(大喜び、子ども達が無邪気に水浴びをしていた)、嘉数高台(居合わせた記者に頼まれモデルとして協力 <ホームプラザ>)、沖国大周辺。牧志駅に16時半到着、お別れ握手。電話連絡の来ていたLさんを〜
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04 |
05 |
火 |
〜同駅で五時過ぎに拾う。糸数城やベジタリカで夕景を見て庵へ。夜はLさんと練習(飲んでから)。フィンランド公演の映像など見る。今朝は中部のS兄弟がLさんを迎え。一緒に玉城焼に。良い天気。南風原南icまで道案内してそのついで買物。携帯機種変更、手頃なのがなかなか無い。愛機は七年目に入っている。Lさんの忘れ物に気づき郵送。どんとの映像所望していたMさんにコピー(日曜にやった)したDVDを郵送。
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04 |
06 |
水 |
日曜日の浜茶バンドの映像は月曜日にDVDとVHSにコピー、ついでに先月22日に記録した轟壕での聞き取り映像もDVDにコピー、借りているDVを使わせてもらった(Iさんの了承済み)。昨日はその機材とVHSの浜茶バンドを届けた。昨晩は食事しながら'06年6/24のNEWS23の映像を見る。アブチラガマからの生中継、
「月桃の花」の紹介などは記憶していたがここにまた照屋林助の紹介もあって大統領が堂々の登場。
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04 |
07 |
木 |
昨日は午前中一杯メールやり取り、六月の宮古行きの航空券予約など。夜はUさんS一家と飲みながら「天空の城ラピュタ」を見る。その後性差や性差別部落差別について深く語る。今朝は電話で日中の案内仕事が入る。11時に泊港北岸で拾い、三重城、空港(荷物預けのため)、20号壕、文化センタ、新原、サチバル、で昼食は花野果村食堂。さっぱりしたそばが食べたいというご希望にバッチリで喜ばれ〜
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04 |
08 |
金 |
〜食後は宣伝のために庵を見てもらった後、韓国人慰霊塔、平和の礎、魂魄、米須海岸、で国際通りに送る。六月のライブ会場選びのためS、Bという二軒を見る。どちらも良い。Uさんを送るS家のピザパーティに呼ばれる。Hさん、Sさん、K一家も居て賑やか。今日はそのうち三人とヌヌマチ・ガラビ体験。具志頭城、クラシンジョウにも。午後は百名でもずく摘み。春だ。でUさんは関西に帰っていった。
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04 |
09 |
土 |
昨日は海で泳いだりもしたので夕方から寝てしまったが晩飯の後「ハウルの動く城」を見に行く。新都心まで30分で着く。帰ったのは一時半近く。今日も晴れ。掃除とサイト更新で午前を費やす。午後、庵の見学者二名。研修で使えないかという相談。夜、4/23に向けての練習。アンサンブルの面白さよ。グループでアレンジを決めていく。だいたいの曲目を決めていく。たった15分の前座だが、されど。
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04 |
10 |
日 |
お祝いのお返しにと皿を作る作業を始める。玉城焼のTさんに協力を求めている。平たい皿を16枚。夕方から雨。先月のT氏の証言ビデオ(轟壕)をDVDに保存完了。コピーをKさんに送るためにオマケの映像も編集する。Tさんとは具志頭に山羊を食いに行くことも口約束しているのだ。加えて真嘉比付近や垣花山下付近に行って彼の戦争体験を辿ってみようと言う計画あり。楽しみ楽しみ。
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04 |
11 |
月 |
久しぶりに午前中はゆっくり。午後、焼き物作成の続きの作業。四月から五月の連休に掛けての宿泊研修の相談が入る。埼玉に住む高校生が友人と連れだって二人で来る。目的は戦跡とくにひめゆり関連の勉強と三線(カンカラ三線に興味があるとのこと)関連、そして海。海は阿嘉を計画している。実はもう一つ、学校の見学も希望しているのだが生憎お目当ての学校は長期休暇となるとのこと、残念。
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04 |
12 |
火 |
その高校生達がここに来ることになった縁を辿るとこうだ。浜辺の茶屋のYさんが以前から知り合いだった歌い手のMさん(大阪在住)、その友人のIさん(埼玉在住)、その娘さん。そして彼女の在学している学校と縁が深いのがSという那覇の学校。同時にその埼玉の学校の卒業生の中には阿嘉に住むMさんの娘さんも。また、Sに勤めているのが私と同じ民謡の会の主要メンバー。縁は偶然ではない。
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04 |
13 |
水 |
皿を作る作業がつづく。以前メニューを作ったお返しにと言うことで山の茶屋の「酵素玄米定食」の試食に預かる。旨い。充実。この店が流行るのはもっともだ。白米より玄米だな、これからは。四十年前近く前の母親が玄米食の価値を良く話していた。が己の生活のスタイルを確立しようときちんとした志を持たないとを(特に都会では)どうしても白米食に流れていく。ああ。
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04 |
14 |
木 |
昨日、焼き物作成中にラジオ沖縄から知人の声が聞こえてきた。チャンドラマのナラヤン。それもあって夜の蓄音機コンサート(まるみかなー)に彼を誘う。彼には未知の曲ばかり、私には馴染みの曲ばかり。Aトレイン、錆びたナイフ、お祭りマンボ、てるりん、登川誠仁。あっという間に時間は過ぎた。四十五年前くらいか母の持っていたレコードケースのSP盤を思い出す。
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04 |
15 |
金 |
昨夕、糸満図書館で小学館のサピオを読む。昨夏、小林よしのりが沖縄のことを書き始めた(「ゴーマニズム宣言」)。まだつづいている様子。遠くて近い、近くて遠い。今日読んだ中には金城哲夫の件もある。閉館時間が迫ったので次回熟読しよう。明日はひめゆり資料館で仲宗根政善の日記を閲覧させてもらうことになった。そこで今日は「軍神大舛少尉」について調べてみる。思ったほど資料がない。
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04 |
16 |
土 |
七時間ほど仲宗根政善の自筆の文字を読み続ける。ぐいぐい引きつけられた。調べたのは75年から77年くらい。自分が高校〜大学と言う時期だ。海洋博関連で来沖した明仁・美智子夫妻への火炎瓶投擲もあり、三十三回忌もあり。何回も登場する宮城(旧姓は兼城)、本村(佐久川)、宮良(守下)は五十歳位の現役教師。当時人々の志の高さに敬服。自分はそのころ何をなしたか、これから何をなすか。
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04 |
17 |
日 |
昨晩は第二回目の「花野果村バンド」練習。那覇在住のMさんがベースを持ってやって来た。四人になって力強い。二人が四十代、二人が十代。親子の世代のバンドだな。今日午前はそのMさんへの特別指南。ドラムとギターをやることが多かったそうでコードネームを見て弾くのが初めて。主音-属音-下属音とか四度進行の円環とか、そもそも何絃の何フレットの音が何だとか。鍵盤の図も書きながら整理。
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04 |
18 |
月 |
昨夕、また図書館で小林よしのりを読む。夜は「生き物地球紀行」の録画を二本見る。興味深い。柳生さん鼻声が残念。今日Fさん八重山から来訪。この春から首里に住み始めたSさんも同行。昨年五月六日に初めて中野で会った人達だ。嬉しい。前川の谷、「新」、花野果村、【たまたま庵】、浜辺の茶屋を通過して斎場御嶽。二人とも大喜び。Sさんをバイト先に送って夜は酒盛りと三線太鼓。
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04 |
19 |
火 |
朝はゆっくり。Fさんを空港に送る途中、フェアトレードの店による。近くの菓子屋にも。夕方那覇でMさんとバンドの練習。私のギターと彼のベース。今日もまた進歩の度合いが大きい。これで23日はバッチリと言う予感。二十五年ほど前に家庭教師や講習会の講師をしていた。その時の手応えを思い出した。その後、百名周辺の城や川を巡っているNさん+Iさんに合流。大城城、玉城川。
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04 |
20 |
水 |
沖縄島に移住すべく上陸(?)して満二周年の日。あの頃の日記を読み直してみる。充実している。ま、今もだけどね。夕方知人の絵描きSさんから電話で友人が泊まれるかとのこと。OK。で夜、S一家とその友人Yさんの飲んでいる場所に迎えに行って結局みんなでここで飲み直し。八重山から久しぶりに画材を買いに出てきたのに那覇では余りいい思いをしなかったと聞く。気の毒。
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04 |
21 |
木 |
時代が流れて人も店の様子もそして街も変わっていく。この変化がこの先どうなっていくのだろう。朝、SさんがYさんを迎えに来る。モズクそばを食いに出ていく。並行してその朝、知人のお母さんが昨日無くなったとの電話を受ける。最近近くに越してきたばかりで近々またそのお母さんにもお目にかかれると思っていたのに。夜、前夜式に列席する。安らかな顔。賛美歌を歌う。
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04 |
22 |
金 |
朝、知人と草刈り作業。私は見習いではあるが定期的に請け負う可能性が高い仕事。昼、告別式。駐車案内と写真撮影を手伝う。キリスト教の堂に入るのも久しぶり。幾つかの葬式を思い出す。午後、ひめゆり資料館に閲覧に行く。図書室が使えず事務室の裏(応接室だったか)で。館長にも会えて少し話す。大舛清子さんを置いていった場所について。館長のかつての教え子Uさんの話もする。
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04 |
23 |
土 |
掃除など。雨模様ですごい湿気。打ち上げ会のための料理。午後バンド練習。二階の様子を知りたいとのことで三人がやってくる。練習は順調。ギターにも余裕が出てきた。六時には会場作りに花野果村へ、和室のカーテンを舞台の背景に据える。上手くいった。そのころは雨。七時半開演、雨止んだ様子。お客さんも増えて30名を越える。バンドも上々。テンポの調整に難があったが、ま、良しとしよう。
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24 |
日 |
昨晩、趙博の「ホタル」盛況。手応えも十分。以前から「何我舎」や「アルテ崎山」での様子は聞いていた。予想通りの舞台。マイク照明無しで十分引きつけられる。打ち上げでは集まった人々の人生経験など聞き会う貴重な経験をした。皆が集まって皆の話をする。良いことだ。泊まったNさんは仕事もあって早くにバスで那覇に帰った。趙さん、S親子は私がバス停まで車で送った。糸数城址も見て。
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25 |
月 |
昨日は催しの会計処理も順調。夜は知人Sさんが沖縄島を離れて欧州に行くこともあって知人宅でお別れの餃子宴会。台湾直送の餃子の皮は実に良くできている。裏と表の別がある、水餃子と焼き餃子の区別もある。七人で語り、食った夜だった。あっという間に11時。今日は草刈りの仕上げ、午前中2時間。その後「花野果村」のサトウキビ作業の手伝い。大潮で晴れたから午後は海歩きに〜
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26 |
火 |
〜サチバルは特に獲物なし。ただアバサーの大きいのを目撃。可愛い。群れで飛び跳ねる魚や青人手が沢山。そのあと新原、百名へ向かうと歩く人で一杯。出遅れたがモズクを摘んで戻る。徒歩で字玉城へ。で焼き物制作の続き。釉薬を掛けた。夜、一昨日の演奏をビデオで反省。今日はそのコピーを届けた。昼、首里で打ち合わせの予定だったのが辺野古の事態が変わったために夜になった。
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27 |
水 |
このところ夜は「怪奇大作戦」の録画を整理中。で上原正三「ウルトラマン島唄」を再読。「マイティージャック」が失敗、「ウルトラセブン」の後番組であるこの「怪奇大作戦」では視聴率を盛り返したが金城哲夫は様々の理由で沖縄に帰る。気になる「竜宮城」は施政権返還直後だと改めて知る。夕方、藪薩浦原を歩く。百名の方に登る小径の入り口付近、草が刈られて広々しているのが気になる。
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28 |
木 |
知人が三線の教則本を出版するという。古典音楽と民謡を対にして示す箇所があって、首里城か守礼門の写真が欲しいと言われていた。天候が悪くて様子を見ていたが久々の晴れ、夕方になったが行ってみた。ベストのタイミングだ。日没前の西日がちょうど良い。観光客も少なく予想以上の写真となる。日曜の台湾餃子パーティーの時に知った幼稚園の前も通ってみた。緑が綺麗だ。そんな「沖縄デー」。
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29 |
金 |
喜屋武岬に行ってみる。知人が教えてくれた笠石をこの間見たので車でアプローチを試みるも上手くいかず。夜になって中野三線愛好会の旧友Sさんが泊めてくれぬかと電話。石垣に飛んだが着陸できずに那覇に引き返したのだとのこと。快諾。ちょうど首里から戻ろうとしていたI さんに拾ってもらう。花野果村食堂で食事と酒。八重山に縁をもった知人の近況などを話す。国際通り三味線店主の話題も。
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30 |
土 |
朝、Sさんを奥武山公園駅まで送る。O高校前にIさんを下ろし、すぐにFホテルに向かう。今日から泊まる高校生二名の荷物を積み、ついでに彼女らを開南付近まで運ぶ。そして今日の戦跡巡りの集合地点の安里へ。ちょうど間に合う。見学地は悲風の丘、糸数分室壕、昼食会場の優美堂。第三外科壕、第一外科壕、第二外科壕、陸軍病院本部壕。このあとの荒崎海岸にも是非行きたいところだったが〜
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