このページは2003/06/19/13:00頃 作成  03/07/03/11:00頃 最終更新

「三行日記」   2003年6月
02年5-6月分| 02年7月分02年8月分02年9月分02年10月分02年11月分02年12月分03年01月分03年02月分03年03月分03年04月分03年05月分03年07月分      
06 01 馬天は以前、久高への航路があった港だ。久高出身の「なびぃ」さんが久高観光音頭を唄う。三線は「だいすけ」さん。国頭から駆けつけた。私は太鼓。晴れ渡った空の下、朝から気持ちのいい一日だ。夜はその「反省会」。佐敷の人、中部の人、那覇の人。様々な人の輪が出来た。つながりの中で皆仕合わせを求めて生きている。
06 02 朝は晴れ、夕方は小雨。午前中、玉城村内を回る。役場で「玉城の民話」を手に入れる。これは面白い。電話を知人から譲り受ける手続きのために那覇へ。那覇は都市だと再認識。ダイエイ、国際通り、市場を歩く。夜、玉城の知人宅でadsl。久々に高速度通信。 がPCの不調も。未だ【論壇】画像が切たままアップされているのだ。
06 03 台風4号が通過した、と聞いたら早速5号が近づいていた。朝は横殴りの雨。だが霧雨状で大したことは無かった。午後は晴れてきた。夜、コザの「エコスペース」(泡瀬干潟の運動の拠点)開設記念のライブに誘われ、知念良吉さんの後ろで太鼓。三線も。楽しかった。広くて二階分、それで○万円の家賃だと聞く。いいなあ〜〜。
06 04 好天。貸家の候補が出てこないので、不動産屋に売地を扱う幾つか紹介してもらう。その関係でまた小径を辿ったりしてみる。地図にない道を探っているのだ。百名新原付近の斜面で古い径を一つ見つける。が草が高くて途中で断念。今度は鎌を持ってこよう。夜、ネットカフェで画像アップに成功。ニフティのサイトを利用。
06 05 役場の近くに売家の情報。居住中の物件。そっと見に行く。知人Iさんが「昨夜信号待ちの間に空き物件を見つけた」と言うのでこれも見に行く。外見は悪くない。がっちりした感じだが覗いてみると床が取り払われており、空調か何かの電線が天井から垂れ下がっている。廃屋に近い。古くは二階建てのレストランだった様子。
06 06 不動産や競売物件の載っているチラシをCさんが持ってきてくれた。皆の応援が嬉しい。午後、「仕事」で知念の喫茶店Pや那覇の放送局、市民活動の拠点などに絵本を届けに行く。午後七時前の地方ニュース(NHKラジオ)で礎の刻銘基準の変更が報じられた。夜、ネット喫茶で競売や特別売却の物件を見る。写真もある。
06 07 昨夜、特別売却で出ていた一物件を見に行くとその家には巨大な木が数本あった。今朝また行くと根本には井戸があった様子がうかがわれた。家の周囲には石積みが残っている。練馬区大泉、白子川の源流のマルバヤナギ二本の景色に似ている。後ろ髪引かれる思いで空港へ。宮古へ飛ぶ。雨が激しく、景色も見ずにタクシーでマティダ市民劇場に入る。
06 08 昨日はリハと本番、夜は「反省会」。宿への帰りタクシーを途中下車してレゲエの店Iに寄る。今日も公演。明日の那覇行きの便は夜のなのだが、早い時間になら当日変更可能だと知る。下地町のKさんの家に泊めていただく。連日旨いものを頂きよい酒を飲んでいる。「ふきゃぎ」という甘さのないおはぎのような餅が特に旨い。
06 09 目覚めるといかにも宮古。緑濃く、遠くに与那覇湾が見えている。クマゼミが啼いている。朝の便で那覇へ。那覇に着くと沖縄も良いと思う。交通量の多さと建築の高さは好かないが。地裁へ直行。競売、特別売却物件の資料を読む。一件に一冊の報告書である。オムニバス映画で濃密なドラマを見たような気分。疲れる。
06 10 昨日の続き=午後は銀行で住宅資金や事業資金を借りる条件を聞いたりしたあと、秋の滋賀での演奏の関係で数人と打ち合わせ。その後、アルテ崎山の「歌声喫茶」の催しにお客として参加。満席の盛況。初めて新宿の歌声喫茶に行ってから四十年近くが経っていると計算して、感慨無量。今日は、宮古から東京に帰る途中の知人を案内〜
06 11 〜して、玉城焼→新原の井戸やカラウカハ周辺→玉城→糸数城、アブチラガマ→前河→浜川御嶽、百名浜。今日は雑誌記者と糸数、玉城、百名辺りを車中から見たあと、浜辺の茶屋で取材。その後一人糸数のはずれを歩き回る。佐敷湾が見えたりもする。畑の隅に獅子がいるのを撮影。新築の家に若い母子を見る。ホッとする。
06 12 T村Hにある貸家がどうなってたか電話で尋ねる。まだ空いている。独り者には貸したくないとの意向は変わっていない。空家のままでも構わないということなのだろう、諦めるしかないか。一昨日見つけた墓の辺りを散策。独りだとこちらの感受性が高まっているので、場所の力を強く受ける。もとレストランの空き屋の主と少し話す。 
06 13 今日は「勤め」を早く始めて夕方安謝港へ。八時出航の飛龍21に乗る。大きい。何トンというのか見当も付かない。14日の月を眺め、タラップ(というのかな)を上り、エスカレータを降りるとそこは6階。二等というと床に雑魚寝を連想するが、聞いていたとおり二段ベッドが連なる寝台車型でカーテンが引け、枕元に電気も。
06 14 昨夜は甲板で飲み食い唄い踊り。今朝は4時半に平良着。徹夜で今日の公演用の衣装を準備していたというSさんが車で迎えに来てくれた。西辺で仮眠。朝は道端で仲本光正とおしゃべり。通りかかる人達との会話も面白い。夏の朝の陽射し。先週に続く三回目の公演はますます充実。演出も凝ってきた。夜はKさんと動く。
06 15 同室のOさん、昨夜フロントで預かった「朝食券」を勘違いして別の部屋に届けてしまったとのことで、自分の分が不足。それをネタに、部屋中で馬鹿話をして楽しんだ。フロントで訳を話して無事皆朝食にありつく。当のOさんが一番沢山食べていた。公演は最終回の4回目。満席に近く、演奏の質も高かった。観客の満足度も大きかったと思う。
06 16 昨夜は打ち上げで沢山楽しんだ。踊り、打った。夜は先週と同じくKさん宅。その日のビデオも少し見た。演奏はよいのだが、MCで緊張していたのが分かる。一寸恥ずかしい。今日は前から誘われていた昼食会(三人で)。保良出身で上布の関係の仕事しているSさんが仕事の合間にご馳走してくれた。苧麻のこと、糸作りなど興味深い話を聞く。
06 17 昨夜は最終便で那覇へ着いた足で仲間と竜宮通りのKに。笛の達人Tさんという方が来てセッションとなる。皆酔ってたが相当質の高い演奏だったはず。台風6号が近づいて来て風が強い。午後、仕事に向かうバスで百名のTさんに会う。20日の那覇でのディジリドゥのライブの仕掛け人。夜はネットカフェ、物件情報変わらず。
06 18 荒れ模様の天気。サイト更新の文書を作っていると「手が足りない」の電話。早速手伝いに行く。久しぶりに大量の皿を扱う。二時間弱で潮が引くように店が静かになった。海辺のアパートに空きがある。貸家に的を絞ってきたが、方針変更すべきだろうか。三階への階段が年寄りや障碍者のことを考えると大きな欠点なのだが。
06 19 夕方、北中城のPというレストランに行く。ピアノと唄のライブがあって誘われたのだ。オーディオ店の上にその店はある。数年前、宜野湾在住の知人に連れられて行ったことがあったのだがその時はあいにく定休日だったことを思い出す。巨大なスピーカ、吹き抜けの高い高い天井。メッセージ性の高い歌声が空間に満ちた。快感。
06 20 「たまぐすくの民話」を読み進める。仲村渠と久高の関係が私の興味を引く。例のパンフ「城と井」をほしがっている知人に、この本もプレゼントしようと考えて、役場の三階に向かう。係りの人と、Yさんの噂をしていると(先日、佐敷の喫茶店で出会った玉城の人。郷土史の勉強会を企画したりしている)本人が背後に登場。びっくり。
06 21 昨夜は那覇の山羊屋に。毎度のことだが、旨い。一緒だった数名の内、一人は浮島通りの民宿に、後の面々は与那原の民宿まで私を送りがてら、上がり込んでおしゃべり。今日は午前から、その、民宿に泊まった知人を案内して南部巡り。垣花樋川、仲村渠樋川、浜川御嶽、受水走水、百名新原。玉城。私は仕事へ、知人は南風原を見学して帰った。
06 22 民謡の会で知り合った人が調べたがっていた具志川市KのAさん(沖縄戦で死亡)の平和の礎刻銘、その情報など調べ始める。明日が「慰霊の日」でたぶん現地は混雑気味と予想し、写真集など手元の資料だけにしておく。今年は学校などが三連休。海を渡る風の様子に、梅雨明けの気配。「月桃」のメロディーが自然に体の中に流れている。
06 23 朝から午後まで魂魄の塔近くにいた。絵本の展示販売。全国から集まった人が往き来し、何人かは手に取り、また、話をし、買っていてくださる。北海道、京都、東京、、、。昼近くに、平和集会に参加する面々がデモしてきた。しんやさんのギターと声が心地よい。集会では高校生が「継いでゆくもの」を手話も交えて唄っていた。若人にも期待。
06 24 昨日は夕方から色々なことがおきた。まず、高速道路で愛車が故障。JAFでレッカー移動。とりあえず西原インターの駐車場に置かせてもらい、店じまいする古本屋から沖縄書籍数百冊を購入、運搬。手製の本棚が大物で、軽トラックをはみ出す長さ。深夜になって、排気量の大きな車持つ知人のことを思いだし、牽引して南部の修理屋まで運んだ〜
06 25 のだが、その牽引が大変。快く話に乗ってくれたYさんには毎度世話になりっぱなし、感謝。昨日からは代車の軽トラで動いている。力があって快適。昨夕、「『ちゅらさガーデン』で巨大な芋が出てきたので、掘り出すぞ!」の電話。行ってみると、一つの寝もと根元から十キロ近い芋が数個繋がっている!呼ばれて来たタイムス記者もびっくり。
06 26 昨日の朝刊にその記事が出た。「慰霊の日」に現れた芋、車の故障。翌日の芋掘り。相前後して「空き屋情報」が入る、しかも複数の経路で同じ物件の話が。さらに今週末の「てぃるるフェスタ」で芋を展示しようということにもなり、思いがけないことが続いている。夜にはドイツからやってきた平和学研究者とも会う。ジャイカの人達とも会う。
06 27 平和祈念資料館で先日来気になっていた具志川のAさんを検索。28年生(私の父と同年生)死亡場所不明、死亡年月日は45年6月23日。「月桃」の旋律が浮かぶ。家族知人とはぐれて無くなった方の多くは、死亡の状況が判明せず、6月23日を命日することが多いと聞く。夜は石原昌家氏の講話を聞きに行く。アブチラガマの話。
06 28 玉城村関係の企画「史跡巡り」に参加。マイクロバスで移動。斎場御嶽から百度踏揚の簪見学まで、充実した内容。地元の価値を再確認する、が目的の一つ。とにかく勉強になった。以前、具志堅京子さんの後援会長、N氏とも会った。丁度ミントンで説明をしてくださったのがそのN氏。今度ゆっくりお会いして話したいものだ。
06 29 沖縄女性財団の催しに参加。巨大芋の展示、蒸かした芋の試食、絵本の読み聞かせ会、など手伝う。「文化祭」を思い出していた。多くの人と交流、新しい行動へのヒントも沢山ある。周りと協調して動いていると、出会うべき人と出会うのだ。沖縄島の物理的な大きさと人のつながりの力のお陰だろう。「なんくる」と呟く。
06 30 先週末には車が直った。村の修理屋さんは良心的でほっとした。延々と牽引してきた甲斐があったというものだ。近々車検。先週相継いで入って来た空き屋情報の物件、やっと今日、中が見られた。外から見て予想していたより、ずっと使い勝手がよいと分かる。さっそく申し込み。私が一番に見たのだが、その後にも借りたいと言う人が現れた様子。

このページの冒頭に戻る

[BBS] 話そう、語ろう【ここから、今から】何かが 始まる
00 表紙のページに戻る 


← 感じたこと 考えたこと お伝え下さい