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    このページは2002/05/28/15:00頃 新規作成 04/10/05更新(リンクを訂正)
「二行日記」を表紙から移したもの

02年7月分は【2】をご覧下さい。

5 11 千歳烏山に自転車で行った。唄を聴いてるうちに掌がすべすべになって首が熱くなった。快感。ありがとう。
(所沢行かなかった。 Iさん、Uさん、御免なさい。時間が重なって、残念。次回を楽しみにしてます。)
5 12 池袋、芝居に心動かされた。楽しかった。井の頭公園で静かに安里屋ユンタ。後寿と合流、吉祥寺で飲み語る。三鷹まで歩いて自転車で帰る。
NHK留守録画上手くいっていた、見るのが楽しみ。
5 13 折れたカラクイを替えて三軒茶屋のスタジオへ。
気持ちよく話し、楽しく唄った。桑江知子さんに感謝、ディレクターに感謝。

帰宅して録音聞いてみた、話し方も内容も中途半端だったと反省。時間が経つにつれ更に深く反省
5 14 新聞読む。515記事多い。腑に落ちぬものも。  夕刊の知念ウシの文章に動かされる。←ここをクリックして発言番号35からご覧下さい
5 15 5・15三十周年 加えて今年は安保50年 六本木三河台公園→日比谷公園
新城郁夫の文章(A新聞)、「復帰」という言葉から「国家」「国民」論へ。正しい!←【参考】発言番号35、37をご覧下さい
    
5 16      counter303
5 17 散髪、ラジオ人生相談に心中で立腹。青山に上原美智子氏の作品を見に行く。着尺作品を見た後、心地良く墓地を歩いてると烏に脅かされる。しつこいので木切を握る。あけずば織り、いつもの感動。雨降り出す。煎大豆つまみながら原宿へ歩く。電車中画面でイスラエル再度侵攻を知る。
5 18 先日のNHKアーカイブズ見る。放送された頃、自分の10-20代の香りを再生した、一種の快感と深い想いを有り難う。おい、今のNHK、ライバル意識を燃やしなさい。応援しているぞ、受信料については譲らないが、ね。具志堅用高の母親は久高の人か、確かに顔にも力有り。
5 19 太鼓合わせ練習、銀座。ギター、鍵盤とリズムを創る久々の感覚、嬉。六本木で知合いの結婚祝宴会。赤馬節の踊り、鳩間節の喉、良い芸能に触れた喜び。頼まれて、店の主人N氏の唄三線に太鼓を合わせる。実に良い時間を持った。何人もの新しい知合いができた。出会いは素晴らしい。
5 20 久しぶりに軽く走る。昨日駅に近くの駐輪場においた自転車を取りに行くため。以前15分で走っていたところを20分以上で。このくらいの速さが今の自分の暮らし方には良いかも。
5 21 日曜に合わせたユニットの資料MD聞きながら太鼓の打ち方を身体と相談してみる。似たようなリズムでも人によって違う。当たり前だがそれが面白い。そこにあなたがいて私がいる。
5 22 おお!天声人語は上原美智子。宇井純が15年前に赤土の問題に切り込んでいた記事も。TV番組の宣伝には「もずく」「昆布」「沖縄料理」の文字。やはり静かに考えよう。衣食住みんな自然のおかげさま。今日の話題は「生物と人間」「生態系の中の私とあなた」かな。
5 23 前日書き終えた原稿「ぼくの好きなうた54漲水のクイチャー」送信。慌てて家を出て、羽田から那覇、梅雨の小雨が温かく柔らかい。コザで山羊刺身、血いりちゃ他を、満喫。命薬。コザのお気に入りの民謡の店、いつもと同じ空気だ。嬉しい。
5 24 なびぃ、知人Fさんと安里のてんぷらを食べ、嘉数高台、合衆国総領事館前に。出会い多数。仲嶺三味線店で、昨年一月に亡くなった仲嶺盛英さんの奥さんがこの二月に亡くなったと知る、哀。昨盆にお目にかかったのが最後。夕、寿と佐敷の土帝君で練習。夜「風の里」で演奏、充実!幸せ。【この日の写真、寿のページにあります】
5 25 城跡近くのK氏。元気いただく。海岸近くのI氏と垣花城に登る。途中、H部落を守る獅子を紹介される、力をいただく。見事に快晴、大潮。「海上トラック」が干潮の海を行き交いしている。心を引きずりつつ帰京。羽田からの帰途、旧職場の会に行く、楽しかった。
5 26 横浜jazzプロムナードで来日中の Walter Lang トリオ+AYA を聴く。啄木や賢治の言葉が新鮮かつ懐かしく聞こえる。感じた。請われて唄三線を披露する(宿の部屋に招かれた)。英語で話すのに苦しむが、唄三線は十分に聴いてもらえた。やはり横浜の空気は独特だ。
5 27 銀座に音合わせに行く途中、石川文洋写真展(新宿)。ホーチミン市、戦争証跡博物館で見つけた誤記を御本人に伝える。「いつのこと?まだ、直ってませんか」と微笑んでおられた。「那覇の主流で生まれ」という件。夜、nachi-boo演奏七曲に参加、実に楽しい。またまた、唄の力を感じた。
5 28 洗濯、掃除。前日の録音を聞く。実感より良い。自分がよく演奏できた曲は全体の出来も良い。さて、卵と鶏とどちらが先かな?
このページをいじる。M部落の獅子の写真を最近のに替えたら言葉の感じまで変わる、面白い。「二行日記」ページを新設し古いのは移す。
5 29 夕方パソコン店に注文しておいたキーボードカバー買いに。OutlookExpressの本立ち読み。Macのは機能が少ない様子。往復を走って5、6キロ。
で、ビールにする。どなん60度の瓶に酒あり。忘れていた。入れておいた泡盛の銘柄も忘れてしまっている。多分菊之露、旨い。
5 30 宮古人頭税物語「島燃ゆ」(新里堅進)読み直す。漫画らしいユーモアと感動。そのあと島津の侵略以降の歴史を「琉球・沖縄史」で復習。
さあ、土、日にしっかりクイチャーを踊るぞ!
5 31 上原正三「ウルトラマン島唄」を再読。金城哲夫が高校一年の夏、小原国芳に差別的言辞とともに叱責された、という逸話あり(p103)。「教育の現場」と関わってきた者としても大変興味深い。 夜、ちむ屋に照屋政雄+アマナを楽しみにいく。これこそ楽しむ要素満載だ。
6 1 夏の陽気。国吉源次CD「伊良部とーがに」を流しながら家事。太鼓三人の色の違いを味わう。さあ、明日はしっかりクイチャーを踊るぞ!
6 2 午前―源次さん義子さんと集まった約十名と新城クイチャー稽古。ハーハーしながら皆さん意欲的。午後―源次さんの「宮古島唄を聴く会」、マイクになるべく頼らない音づくりのため太鼓の打ち方に気を使う。夜―宴会に宮古の風が吹き渡る。終電、駅から気持ちよく徒歩で帰宅。
6 3 夕べの食べ過ぎで目方が2キロ多い。朝はヨーグルト、さんぴん茶、トマト。昼に、こわれ目玉焼き(誤って床に落とし割れた卵で作った)、たんかん(昨日国吉さんにいただいたの忘れていた)。夕食前に体重計に乗ったら朝より2.2キロ減っていた。生体の神秘を思う。私は生きている。
6 4 自転車で旧職場に行き、仲原善忠の戦中の文章(学園史の草稿)読む。「同人」観が伝わる。部長(各校長)の互選制はやがて任命制に後退した、というような表記も。私の仮説【小原国芳と琉球人脈の軋轢-特に戦後】、そして【琉球差別が彼の中に潜在する】。←一部6/7に推敲した
6 5 生田緑地は森が深い。鴬の声。岡本太郎常設展示、ゴジラ展示、いずれも自分の十代と深く関わっている。自分の基層を覗く気分。ゴジラ予告編を映画館の如き暗い部屋で連続して見せるのは良い企画。出ると夕立があった様子。涼風の向こうから蛙の声。往復の自転車、栗の花を沢山見た、嗅いだ。
6 6 数年振りに戻ってきた本をざっと読む。「沖縄流離考―高橋淳子の半生」。本は何度も読まなくちゃ、と感じる。名刺の印刷をPCで、十枚だけ作る。
夜、旧職場の数人と「遊び庭」(中野)へ。山羊汁旨し。ちょっと呑みすぎたかな。
6 7 春にAV機器の周囲を整理したのだが、そのときほっておいたままのカセットや8mmビデオの山から、数年前に録画したまま見ていなかった「ゴジラ」「円谷英二」関係のものが出て来た。このNHKのシリーズは好かないよ、なんて言っていられない。今出てきたのは良縁。これから見ようとしているところ。
6 8 好天続き。紫陽花の季節。宮古での「棒踊り」の鐘(チン)をやることになった。幾つかの予定の変更があったところからの出発。練習練習。
個人を尊重した緩やかな連合。理想論でなくまさに身近にあるという実感。平たく言えば、仲間を尊重して行動行為は成り立つということ。めでたい。
6 9 好天。五日市に行く。そこここに栗の花の香り。竹林こぼれる光の中に、歴史を経た古い家。古い道具で繭から糸を紡ぐ人がいる。古い文化を享受している人々は時の年輪の上に今を生きている。古人の思いは今を生きる。そこに光がある。いいなぁ。(クイチャーをみんなで踊った、これも時を越えている)
6 10 昨日の個人的記録ビデオ一人見る。三線の音は辺りによく通る。風のそよぎと合う。ジューシー炊いた後の熾きから上がる薄い煙が、竹の葉の間を通ってきた陽に揺らめく美。借りているデジタルビデオカメラをPCに繋ぐ線を買った。1/30秒単位で止められる。静止も美。さすが竹の家。
6 11 蒸し暑い一日。雨の季節が近づいている。扇風機を出す。ついこの間しまったばかりに思える。地球は巡っているゆっくりと確実に。
6 12 今日は雨模様。涼しい一日。友人の引っ越しの知らせやもとの職場の同僚の結婚の知らせなどが届く。人の送っている時間の速さは様々だ。ときどき弾みが付き、ときどき停滞する。今の自分のは速いような遅いような。妙な感覚。さて、明日朝には機上の人だ。一週間の旅行。日記ここに書けるのだろうか。
6 13 ラッシュ時間に羽田に向かうので、直行バスを利用。寝られた。快適。那覇で乗換え、湿気が身体を包む。宮古はさらに力強い。これだ。タクシー運転手の紹介で山羊そば喰う、汁の最後の一滴が一番旨い。日が射したり、降ったり。今また、伊良部の向こうから夕日が私の背中に射している。
6 14 海神祭(ハーリー)。勇んで仲間と出発。村の老若男女が集まってくる。気が高まる。そこに黒雲、突風、皆で濡れながらテントの骨を押さえる。小降りになり再会。アトラクションの回で私も漕ぐ。快感。巡り合せが重なって人生となる。泡盛鷲ミルク割り大量生産法(手作り)をしっかりと目撃。これまた旨い!
6 15 雲の濃さと動きを見て東の海岸へ。途上、保良番所跡を撮る。近々アップの予定。さて、スノーケリングしてみると海の「いきいき度」は落ちていると実感。例によって息を止めて海のささやきに耳を澄ます。何かが私に伝わる前に昼になってしまった。午後は公演準備や演奏で多忙。明日がある。
6 16 クイチャーパラダイス宮古公演(第5回)は「午後」「夜」の二部。三線教室グループの手伝い、クイパラメンバーとして、さらに宮古の舞踊の地方、さらに平良重信民謡研究会の手伝い、棒踊りの鉦、など種々の演奏で充実の一日。衣装替え、気持ちの切り替えも勉強になった。夜は浜で宴会。これ又楽し。
6 17 宮古上布の組合の展示を見学。叩くことで仕上がる、と知っていたが実際に砧打ちを見るのは初めてだった。狩俣の食堂で海産物たっぷりのソバを喰う。蛸が旨い。池間の海を見た後、Sさんの織物工房を見学。やはり人だ。モノを作るのもコトをなすのも人。それ感じるのも旅の楽しみだという実感。
6 18 沖縄水不足多少解消されたとラジオが伝える。夕べの雨を思い出す。梅雨明けの感覚を味わう。涼しい。三月末でも、四月、五月でも沖縄に来たらすぐ海に入りたくなったものだが。朝に例の海岸を訪れ、夕方例の獅子を撮る、周りの緑の勢いが五月までと違っていて、獅子の表情も違う。
6 19 昨夜、山羊牛専門食堂主人の話、興味深い。40年頃テニヤン生、敗戦時は沖縄。ベトナム戦体験談も強烈。大型船料理人として実弾をかいくぐって生きた。午前、平和の礎。地元小学生固まって碑の名を確認している。昼路線バスおばあ達。皆開南で下車。市場もおばあ達。これら全てが沖縄の人。午後東京へ。
6 20 2日間声がかれているのは熱奏のせいと思いきや、風邪を引いたらしい。昨日、那覇高校前からむつみ橋までトランク押して歩いたせいか、私としては希にみる肩こり。加えて、嚥下するときに首がじんと痛む症状も。微熱。ガマや御嶽に入った後だったら「もしや」と思わないでもないのだが、、、。
6 21 「ウルトラマン昇天」読む。小原国芳(玉川学園)の琉球・沖縄との関わりに大変興味が湧く。私は18年成城学園にいたのだが、琉球人は多かった。戦前の同人集団に端を発するのだろう。小原と屋良朝苗は広島高師出身。15歳の金城哲夫は那覇高を蹴っての上京を予め計画していたのか。本の末尾が意味深だ。
6 22 天気のせいか一年前に外語大の催しで映画「レベル5」を見たこと思い出した。比嘉豊光のドキュメントも素晴らしかった。さて、竹中労「琉球共和国」筑摩文庫化の噂を確かめに三鷹駅の本屋に行く。棚にあった「怪獣な日々」(実相寺昭雄)と「江川蘭子」(乱歩、正史、久作らの「合作探偵小説」)購入。
6 23 夕べは宮古での演奏のビデオを見て一人反省。あけて「慰霊の日」である。数日前のタイムス記事に、台中丸生存者(船員)証言がある。軍事機密を漏らす可能性大、として帰郷後監視される。大里から那覇への移動もままならず、拷問まで受けたという。そういう重みが幾重にも重なって現「憲法」はある。
6 24 夕べの寿、気持ちよかった。六月は毎年重い。巷では戦時法制が話題。某集会での某政党党首の発言をなびぃはこっぴどく批判していた(楽屋で)。全くだ。「うたうだけで」とか「菩薩の顔であるがまま」とか「忘れないよ」とか、善光の言葉は本当の力を持っている。言葉、畏るべし!(党首ってKじゃないよ)
6 25 最高気温20度に達しない梅雨寒。吉祥寺駅ビル本屋で「琉球共和国」(文庫)購入。三一書房の単行本に掲載されていない文章も、期待大。「汝、花を武器とせよ」(竹中労)か。大杉栄は私だ!と豪語した労先生に乾杯。なーべらーんぶしー作って呑む。実相寺昭雄の哲夫関係文章にじんとしている雨の夜。
6 26 雨で紫陽花大喜び。空気も浄化されている。二行日記の写真を増やす、と同時に小さい写真を大きく見られるように頁を増やした。KTさんはより賢そうに、山羊刺身はより旨そうに見えるじゃないか。で撮った写真見ていて、の頁を作る気になる。生前の写真をデジカメで撮ること思いつく。スキャナないので。
6 27 三日間梅雨寒。八木重吉「雨」(多田武彦合唱曲)を思い出し一人唄う。以前ビギンの出たBSの録画しといたの見てみたら夏川りみが「涙そうそう」を一緒に唄ってる。2カポのGからD。TVの前でギター暫くぶりに弾く。その後にミュージックフェアがあった。元ちとせが同曲を唄っている。今日は雨と涙の日。
6 28 梅雨の晴れ間。掃除、洗濯、自転車に乗って外出。「平塚らいてうの生涯」いただいた券で鑑賞。見応え充分。伊藤野枝との関係については深くは触れていなかった。残念。息子が学徒出陣のときに幹部候補生になる資格を得るために入籍と言っていた。詳しく説明が欲しい。息子はどんな軍隊生活を送ったのか?
6 29 寺田勲」関連頁の作成に精を出す。写真をデジカメで撮って入れる。自分の文章を読み直し記憶が薄れていることよく判る。朝、勲の妹に電話、サイト掲載の事後承諾を得る。既にクイパラ通信としてはネットで見られるようになっていたが、今回は写真も入れた。「毎日御飯を供えている」という言葉にぐっと来た。
6 30 車で埼玉県寄居の公民館へ、植竹さんの踊りと島袋りりあさんの歌三線にお手伝いで参加。完全に生音での歌と踊り。お客さんは百人を越えたとのこと。音量に気を使いつつしかし楽しく太鼓を打った。当たり前のことだけど、踊り手によって、歌い手によって全然違っているんだ、これが面白い。生は良いよ。

二行日記の続きは【2】をご覧下さい。

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