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「三行日記」   2005年06月
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06 01 6/23のバンドの練習。沖縄タイムスに小さく出た「セクハラ」の記事についてMさん達と沢山語り合う。共同通信の配信記事なのだがそのことが明記していない。事件があったのが昨年秋であるにもかかわらず「〜がわかった」という表現も。また関係者の談話も「処分」を予想した記者の思惑で書かれていることが良くわかる。全く"けしからぬ"作文だ。タイムスの姿勢も問われよう。
06 02 4時のバスで那覇へ。太鼓はIさんの車に乗せたので荷物は多くない。「BakuSun」に定時に到着、その後雨。リハも十分出来た。9時演奏開始。上々。お客さんもほぼ満席。Oさんの早弾きもMさんのボーカルも見事だった。自分の「羊(山之口貘)」朗読もIさんのギターとの掛け合いが上手くいき、良かった。「ぼくの好きなうた」のコピーも配る。語り明かしたい気分だったが明日もあるので早めに帰る。
06 03 部屋の整理、洗濯、買い出し。調理(カレー、テビチ、なーべらー)。扇風機は4台。井上ともやすライブ、盛況。8mmビデオカメラをHDに接続し録画してみる。「アンニョンハセヨ・カムサナムニダ」と「どこへ行く米国」がやはり秀逸。グッと来る。若者も多く来ていて結局五時まで語った。玉城村に育った人の比率が多くて嬉しかった。ライブ開始時の白蟻には驚いた。二人宿泊。
06 04 宿泊者は知らぬ間にひめゆりの塔方面にドライブ。元気だな。パソコンで航空券予約などチェックし二度寝をしてしまった。目ざめたら来客、同じ区のFさんとMさん(御夫妻)。散歩の途中で立ち寄ってくださった。宮古に向かう。バス停で御夫妻とまた出会う。宮古市民劇場に2時半到着。まずまずの舞台、終演後西原で飲み会。懐かしい顔顔顔。夜中Kさん宅でビデオ見つつ反省。
06 05 朝、西原で打ち合わせの後会場へ。第二回。準備中にロビーの片隅のパソコンから明日の航空券の購入が出来た(既に予約してあったもの)。5時半終演の後、大打上げ。恒例だが何と言ってもこれが盛り上がる。今日は県立看護大学の文化祭があったと聞く。知人が蝶の標本を並べていたはず。残念ながら日程が重なってしまったのだ。そう、沖縄大学の公開講座も初回から欠席ということになった。
06 06 西原で打合せの後、食事。昼前に宮古を発つ。那覇空港で案内に尋ねたら帯の落とし物届いていた。拾得人に感謝。モノレール駅で二枚目のゆいレールカード購入。二日ほど前から不調の電気ひげ剃り機がついに動かなくなった。充電池がへたってからはや数年、良く持ちこたえた。十年以上使ったはずだ。充電池交換費用と新品の価格がそれほど違わないのは腹立たしいが、そろそろ換え時ではある。
06 07 洗濯。「虹の会」記録映像をコピーしてOさんに郵送。エクスパックが安いのでゴーヤー、ナーベラー、ちんすこうなどを同封。F社のひげ剃り、五箇所の電気屋を探し回る。夕方、知念の知人の展示場で行われている「うちくい展」を見に行く。知人の知人に会う。良い景色と良い風。夜は具志頭村に越して間もなく亡くなったTさんの七七日法要、小さな演奏会になる。心地よい音の波。
06 08 初体験の宮古日帰り。民間駐車場に九時前。慌てていて営業所に三線を忘れたがギリギリで届けてもらえた、感謝。宮古空港で久しぶりのNさんに出会う。ブルース演奏家を迎えに来ていたのだ。会場で準備。NHKの取材が楽屋にも入った。本番、三線頼まれた「ムリカ六星」もまずまず。西原での打上げにちょっとだけ顔出して空港へ。那覇は小雨。庵へは21:15着、常連Mさんの到着に間に合う。
06 09 Mさん例によって九時過ぎに出発。洗濯。午後Iさんは頼まれた看板描きに出掛ける。夜、具志頭のSで6/23のバンド練習。その前に美味しい食事をいただいたが、数年前に欠いた歯の人工部分が剥落。情けない発音になってしまう。ああ、東久留米の「沖縄市場」での打上げ後、自転車で帰宅したときのこと。居眠り運転(?)で停止車両に追突したのだった。ああ情けない思い出。
06 10 電話でM歯科に問合わせたら予約なしでも可能と分かった、で出掛ける。医師は四国の人で、知人の知人。すぐに歯を加工してくれて元(?)に戻った。郵貯のホテルの会場で民藝協会の講演会があり、聴講。四半世紀前に縁のあったM氏の講演。柳宗悦のこと勉強不足だ、やはり。一旦庵に戻った後、バスで出直して小桜に向かう。宮古発表会で東京を出発したKさんと飲もうと言うことで。
06 11 朝、バスとモノレールで空港に。出る直前にUさんから月末の一泊の依頼。古波蔵から奥武山まで歩く、荷物が少ないので心地よい移動。昼には会場入り。Iさん午後の便で到着。リハの太鼓の音に難ありとの評。さらに本番はノイズになっていたとのことでこれまでの三回の公演で誰もモニターしていなかったことを反省。明日に向けて話し合う。宿は港近くのK旅館。良い感じ。
06 12 朝八時集合で狩俣のハーリーに向かう。貸切バス、Nさんがマイクでガイド、程なく到着。楽器があることでたいそう盛り上がる。これでクイパラが抜けたら音と踊りの点でもの足らなくなるだろう。地元との協は両者にとって意義深いことだ。小雨になる。昼には会場に、午前中に会場スタッフが太鼓の音のことを相談済み。座席でのチェックもして良くなった。夜最後の打ち上げ。半年ぶりにO氏に会う。
06 13 朝、打合せ。昼会場で片づけ。飛行機に欠航が出て残されたIさんを空港に迎えた際に領収書を受け取り交通費の会計を済ませる。振込みは後日。レンタカーを借りているので数人を真謝漁港に送る、途中、ヒダ川を見学。その後池間、大主御嶽(西原の)を回りその後港近くのNさんの工房を訪問。元気のある人だ。こういう生き方が良い。苧麻について学んだ。夕方雨模様。夜帰宅。
06 14 雨の一日。荷物整理。エレアコを修理。プラグの半田がとれていた。脂の匂いが懐かしい。中谷氏の「アウシュヴィッツ博物館案内」を読む。彼が彼の地に発ったときの印象、住み始めた頃の感覚など興味深い。私は今この地で死の影を感じているだろうか。今月始めに【たまたま庵】で催した井上ともやすライブの映像を整理する。終演後のおしゃべりが面白いが、これは消すべきかな。
06 15 知人Oさん(那覇在住)の娘さん(東京在住)を案内。南風原の宮平バス亭で拾い、20号壕、文化センタ、井戸など。糸数城址、アブチラガマ周辺、花野果村。韓国人慰霊塔、平和の礎。魂魄の塔周辺。第三、第一外科壕。沖国大の壁、佐喜眞美術館。副館長に野村浩也の新刊を是非読めと勧められる。三日前にはOさんから強い批判のことばを聞いていた。早めに読まなきゃ、と思う。夕方はバンドリハ。
06 16 昨日は案内中傘を使わなかったのは幸運。とにかく雨続き。仕方なく洗濯をし東の洋間に紐を張り、除湿器を使ってみる。井上ともやすライブ影像を整理し終わり写しを作成。来月はじめのスンダリミカさんのライブの件をナラヤンと相談。夕方、Mさんという女性が尋ねてくる。気兼ねせず歌を歌える家を探しているとのこと。誤解もあったようだがそれは晴れた。洗濯も乾いた。
06 17 サイト更新。井上ともやすさんに写した画像を郵送。夜、那覇で行われたA氏のスライドショーを見に行く。アラスカの写真と話し。深夜その近くのラーメン店に皆は腹ごしらえに行く。私は那覇のCにスンダリミカのCDを届けに行く。ナラヤンが演奏をしていた。楽しそう。戻ったところがまだ皆はラーメンにありついて居らず私も混ぜてもらう。帰りは雨が降っていた。
06 18 昨晩の雨で自転車を置いていったRさんを載せて小禄へ。Iさんは昨日の会場で展示販売をしているU氏の服を試着。夕方の宜野湾の催しに急いだがIさん忘れ物をしていて一旦帰る。私は空港に到着するUさんを迎えに行く。その足で北中城へ。Uさんに頼まれ催しの撮影。絵本の朗読だが絵本の頁をOHPでスクリーンに投影、スクリーンは二つ、音楽効果音入り、手話通訳付き。
06 19 スンダリミカさんのチラシ画像がメールで届いたので印刷し配って歩く。Nさんは今ガーデニングに凝っているがインドネシア産の不思議な花を見事に咲かせていた。ジャズを歌うSさんはアコーディオンを習い始めたという。皆さり気なく活動的だ。公民館で区費、水道料を支払う。小禄に行く。Iさん服を買う。その店で何人かの人と知り合う。Iさんの忘れ物を取りに宜野湾に行く。
06 20 降ったり止んだりの山原。比地大滝へ行ってみる。山、川、滝。久しぶりにこういう場所を歩いた。この頃の雨で水量が多いようだ。駐車場から往復一時間二十分。二号線、大国林道も走ってみる。側溝に落ちた動物が這い出やすいような工夫がしてあるのを見る。国頭村の道の駅で首里フジ子のCDを試聴。なかなか良いなぁ。ふと思いついて、YさんTさんの住みかに寄ってみる。
06 21 昨夕はY&Tさんと良い話が出来た。許田から55分で庵に着く。夜Uさんを那覇に迎えに行って戻るとM中のN先生からメールが来ており、深夜ビデオ「知ってるつもり」をお貸しすることになる。面白い。今日はN小でU氏が授業。私は手伝い兼ビデオ記録。手応えのある仕事。午後はKさんと移動。62師団の慰霊塔付近で撮影。自主映画製作中のNさんTさんと糸数城跡で落合い私の運転で空港へ。
06 22 昨夕は空港でKさんとお目にかかった後、撮影隊二人は彼女らのレンタカーで那覇の宿へ送る。開南までKさんと散歩しバスで帰宅の後、23日演奏のための最終練習を具志頭で。今日は撮影隊の案内仕事。安里の宿、宮城、前田高地、嘉数高台、佐喜眞美術館、新城のそば店、屋良、道の駅、沖国大の壁、ナゲーラ壕、庵、K氏を拾い仲座、礎。日も陰ってきて車中から山城など見て帰庵。
06 23 慰霊の日。未明に摩文仁へ、賛美歌を歌う慰霊あれば詩吟もある。子どももいれば老人もいる。世は様々。慰霊行為を記録する人の立場も様々。62師団、23連隊の慰霊碑の様子も撮影。一旦帰庵。梯梧の慰霊祭は60周年で一旦終えるとのこと。隣のひめゆり、また瑞泉なども見学して回る。撮影隊も忙しい。別れて午後三時には小渡の演奏会場で準備、リハもそこそこにお客さんが到着し「島尻から光を」開会。
06 24 昨日の演奏はまずまずだった。反省点もあるが企画としては成功と言って良さそう。Mさんの制作力。今日は撮影の二人と南風原IC付近で待ち合わせてこそから私が運転、辺野古の座り込みや単管足場の撮影、キャンプシュワブ前、伊芸区、キャンプハンセン、石川の町の俯瞰。コザを通過して那覇へ。対馬丸の入港した港、ということで富士ホテル付近を通って泊大橋から新港を狙う。撮影終わり。
06 25 昨日はレンタカー返却し空港食堂でお別れ。帰路、豊見城で買い物中に豪雨に襲われた。早朝に来る予定だったHさん午前中に来庵、最近自費出版した本を抱えて。午後、神奈川に帰るとのことだった。三時に北中城字Oへ。一週間前と偶然、同じ場所に来たわけだ。ムーンライトコンサート出演。これまで日程が合わず私はメンバー五人中三人と初対面、といった具合。演奏まずまず。打上げ腹一杯。
06 26 昨晩のムーンライトコンサート、慰霊の日に時期を合わせて毎年行っているという。きっと来年も、と思うと嬉しい。今日は雨の日曜日。洗濯は室内に干すしかない。除湿器が役に立っている。しかしそろそろ梅雨は明けるはず、空気や風で予想が付く。昨日いただいた「うちなー讃歌」を二度三度と読む。良い。知人の掲示板などに宣伝を書き込む。自分の演奏姿が写っていることも嬉しい。
06 27 快晴、暑い。朝、摩文仁に向かうKさんを具志頭バス停でタイミング良く拾う。Kさんの用事の間洗濯の続き。摩文仁から「新」へ行き昼食、那覇でKさんを下ろす。琉銀で通帳記入、高良レコード店でサムピック購入。メイクマンで電線などの部品購入。庵に戻りネットなど。Mさんから電話、ネパールからの荷物が着かないと言うことなど。夜、今晩宿泊のUさんと首里で飲む。
06 28 Uさんを案内して、花野果村、富里の御嶽、新里壕、ヌヌマチガマ、勢理城(富盛石獅子)、八重瀬の壕、白梅の塔。ここで「大好き沖縄」のツアーと合流。Yさんとも会う。団体の予定変更してそのあとすぐに八重瀬の「下の壕」に向かうことになり私が先導。その後説明してくださったお二人を那覇にお送りする。那覇市立図書館で涼む。与儀公園で一休止。空港でMさんを迎える。那覇のチャンドラマに行く。
06 29 夕べはマッサージのKさんも来る。午後、那覇に荷物届いたとのことで夕方チャンドラマに(途中パトッチャワーにも寄る)。展示作業。写真がよい。小物、手作りの良さ。作業後、北谷のネパール料理店へ四人で。Nさんの記憶で運転していくと海沿いの屋台村にその店はあった。いい雰囲気の店だ。初め主がおらず、しばらく待っていた。店の中は暑いがデッキにいい海風が吹いている。カレーやナンを食べる。
06 30 Kさんから依頼があり首里駅で拾い「新」経由で摩文仁。Tさんを案内して庵から奥武島などの浜、そして摩文仁へ。Kさんも乗せて那覇チャンドラマへ。【たまたま庵】では一時に二組まで引き受ける、という原則の妥当性を今日も感じる。行き会えば兄弟(条件付き)である。Kさんと山羊汁を食った去年の(私の)誕生日を思い出す。チャンドラマのNさんも庵に泊まっていったっけ。夜、庵でTさん手料理。

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