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    このページは2002/07/13/20:00頃 作成 08/15最終更新
「二行日記」を表紙から移したものです。02年6月30日迄の分は【1】をご覧下さい。02年8月の分は【3】をご覧下さい。
7 1 クイパラ通信の原稿を書く。「替え歌」。さあ原稿を書くぞ、と決心して実の所何が始まるかというと、読書かビデオ鑑賞か楽器弾きか唄なのだ。今回は以前NHKBSで放映した「日本の歌」を見直す。大工さんの「ラッパ節」で始まる奴。明治の西洋崇拝主義と我が民族の旋律のぶつかりが興味深い。近々アップするぞ。
7 2 夕べは六月二日の国吉源次演奏会関係の「反省会」とでも言うようなもので早稲田の店に行った。通りには流石に若い通行人が多い。隣席にロシア語の先生と生徒達が来ていて実に楽しそう。昔露語必修のクラスに在籍していて渋谷のロシア料理店に先生達と行ったときの緊張感を思い出した。単位取るのがやっとだったよ。
7 3 一昨日書き上げた「替え歌」の続きを考えつつ読書。「十九の春」は「可愛いスーチャン」に似ている、添田唖蝉坊は「どこいとやせぬ」という面白い唄も作っている、など発見多し。軍歌・戦時歌謡同好会創りたい!同志はいずこに。大手大量販売の古書店で小原國芳の「全人教育」百円で購入。ビデオ「モスラ」980円。
7 4 台風五号の様子など気にしつつ、夕刻三鷹図書館に。ふと棚を見ると「寮歌集」のカセット。視聴するも感動無し。確か日比谷公会堂あたりで「寮歌祭」のようなものが続いているはずだが、臨場感溢れる録音はないものか。私が小学校一年の頃、父や叔父は兄弟で集まるとよく楽しそうに唄っていた、と思い出す。
7 5 横浜市議二人が除名、という大事件のその後が気になる。朝刊で、合州国の「誓いの言葉」の中の「神の下に」を違憲とする判決が翌日停止に追い込まれた、と言うような記事を読む。先日のS議員への「辞職勧告決議」も、大いに気になる。どうして「圧倒的多数派」が形成されるのか腑に落ちない。危険な世の中だ。
7 6 事務的な用事で元の職場に寄る。数カ月後の行事を先取りして準備し始める「現場」だから、今の自分とは時間の流れ方が根本的に違っていると再確認。自転車で往復、帰りに市の中央図書館へ。「軍歌」「老子」「らいてう」「哲夫」あたりを散策した。安岡章太郎の短編「軍歌」が良かった。日暮れ金星が美しい。
7 7 市長選投票後、知り合いの劇を見に中野へ。言葉と踊りが面白い。日常の中に人間の関係性を解いていく芝居だった。しっとり。己の周囲の人間関係を考えさせられる。80人位の小劇場が満員。座席は高級。宣伝チラシ多し。デザインに力が入っている。帰宅すると夕焼けと明星が清らか。夜、4km位走る。快調。
7 8 今日から八重山を旅行する義父母を送って早朝の羽田空港へ。ああ同行したかったなあ。台風6号は逸れたが、すぐさま8号が台湾付近に停滞している。明後日からは西表へ行く計画、海が荒れなければいいが。とにかく西表のことは、沖縄や石垣の人に聞くより西表の人に尋ねるのが言い、と念を押して見送る。
7 9 娘の気管支炎の医療証(都が医療費を負担する制度)の更新手続きのために、西国分寺の小児科に証明をもらいに行く。その為に排気ガスを散らすのは気が引けるし、何ともいい天気だから自転車で。帰りに湧き水や蛍園など寄り道沢山。多摩霊園では岡本太郎の墓の彫刻を探し当てた。柔らかく、しなやか。
7 10 M叔母から電話。「寺田勲」(彼女の従兄に当たる)ほか親戚の話。45年3月、勲を乗せた軍の列車が西へ去るのを父親が見送ったのは浜松のN踏切だろうとか、そこに勲の甥に当る少年も居た可能性があるとか。そもそも50年の時を越えて勲を私を繋いだのは、このMさんとHさん(勲の妹)だった。妹(達)の力!
7 11 台風一過で洗濯洗濯。薄手のシャツなど一時間で乾く。太陽の力が判って嬉しい。「勲」関係の写真を新しいデジカメで撮り直す。以前のは夜中の室内光、今回は午前の太陽光。初夏の多摩の景色が私を呼んでいるので、大概に済まして調布飛行場近辺へ。掩蔽壕など写す。新しい駐車場が草原を浸食していた。悲しい。
7 12 晴天、朝から30度を越えたという。最高気温だけ見ればこれから2ヶ月くらいは多摩が玉城を上回るのだ。暑いと外に出たくなる性分で、夕方府中方面へ。甲州街道脇の掩蔽壕を撮影。これは良く知っているヤツ。もう一つ西武多摩川線付近に一部分だけ外から見える状態のものがあると聞いていたので確認。
7 13 昨日の「多摩」と「城」は駄洒落でなく、タバ系の同語である可能性がある。「川」「多摩川」「多磨霊園」「丹波山」など漢字表記は様々でも、(たま)と同系と聞いた。日本各地の「風」から考えて北西の方角が死者の霊の居る所らしい。夕刻、迎え火を焚いていた家があった。靖国神社ではみたま祭だ。
7 14 風強い一日。34度を超す。冷房はいれず、部屋に風を通す。一方台風7号で沖縄島はバスも船も走らない。飛行機も飛べない。NHK、今、南部付近を通過と。せめて雨を持ってきて欲しい。それにしても莫大なエネルギーだがその源は太陽エネルギーだ。私を動かしているのも同じ太陽エネルギーだ。真太陽加那志!
7 15 知人から「ウンタマギルー(映画)」の中の「インターナショナル」の歌詞を起こせないかと刺激された。以前一度試みて投げ出していたのだ。辞書や文法書を広げ、繰り返し聞いて、何とか仕上げる。一回聞いて判らなかった二か所が難関だった。結局一か所は納得行かないまま終了。三線は林賢、多分歌詞も。
7 16 台風通過。風はまあまあ、雨は少々。同じ7号、琉球では猛威を振るった。大東島方面は今日20日ぶりに生鮮品を船で輸送できたとNHKラジオ。離島苦という言葉を想起。さて図書館から3冊借りてる老子関連の本を読み始めた。今まで何度も老子は気にしてきた。その時々感動新た。その点は「カムイ伝」と似てる。
7 17 以前録画したNHK加島祥造の番組をまた見る。「イサヲ」と同世代、早稲田在学中に応召、しかし事故を装い右手を傷つけて兵役から逃れようとした人物。この顛末を詳しく知りたい。2年前、「タオ」(「老子」の口語詩に訳)を発行直後に読み画期的だと感じた。「母胎」たる伊那谷で独居している。興味深い。
7 18 夕べは抱瓶で後冨底周二さんの演奏を聴く。満席で立ち見だったがビール一杯で満喫。唄は楽しいものである。が、一方の多数の客と私という客の間に一種の隔たりも感じた。一般的な都会の人々との隔たりは日々広がっているのかも知れない。帰りに馬小で呑んだので結局二駅分歩いてから自転車で帰った。
7 19 山之口貘の命日。来年は生誕百周年だ。貘の戦時中の詩を題材にした文章をアップしようかと考えつつ、昨日図書館で借りた加島祥造「老子と暮らす」など読む。また、同じく図書館で立読みした週間金曜日の目取真俊の文章を思い出し、去年自分が「風評」や「修学旅行中止」に憤って書いた文章をアップすることにした。
7 20 既成の「道徳」にたいする否定、反証、と言う意味でも「老子」は相当に面白い。相当の皮肉屋さんだ。が同時に生命の本源などについては謙虚で、なにか清澄な流れを覗いている気分になる。加島訳意外の本も書き手の気持ちが載っている部分は何かが強く伝わってくる。しかしその良い部分は一割に満たないようだ。
7 21 踊り手Uさん、歌い手Rさんに誘われ、「安保廃棄の日を祝う」催しに参加。琉球民謡にもよくある【予祝】だ。「少女暴行事件」「県民投票」のころ自分が「安保粉砕」の旗を久々掲げたことを思い出した。その後「思いやり予算」訴訟原告の一人としては高裁で敗北している。さてさて、予祝から祝までの道のりは?
7 22 今日は、問い合わせの一日だった。「教育相談」「安里屋ユンタ作詞者の名の読み方?」「差し迫った日程だが演奏を引き受けてはくれまいか」「どこか外国の人たちが沖縄に動物をまとめて送った話って一体何だ」。最後のは、下嶋哲朗氏が97年に書いた『豚と沖縄独立』関連だろう、と即答。本棚から出して読む。
7 23 昨夕天から降ってきた如き仕事の内容確認やら、那覇行きの飛行機の予約取り直し、三線の糸張り替え、そんな一日。「全人教育論」(69年にまとめられたもの)小原國芳を読み始めた。こりゃ予想と違う。大違い。確かにカリスマの筆だと思うが、教育や哲学を語っているのにどうも俗っぽい。意外な本。
7 24 速度付けて小原を読む。「アメリカタバコの一本もパンパンからもらって吸う」(戦後日本青年の卑屈さを独の青年と比べて書いた箇所)←「精神日本の成長が(経済成長に)伴っていないから」。で今こそ「全人教育」とくる。また、Xマスを盛大に行って、元旦には「日の丸」と一糸乱れぬ「君が代」斉唱だそうだ。 
7 25 小原は叱咤激励得意の教育者と見える。力に満ち、自信に満ちている。薩摩が関ヶ原で負けて云々、と郷土意識も強い。その負けが琉球支配へ向かう契機だが。さて、以前私が触れた高校一年生の金城哲夫を強く叱責した事件にまた仮説を。叱責直前の哲夫の言葉や態度が小原の差別意識を引き出したのではないだろうか。
7 26 月曜に急に転がり込んできた仕事は交響楽団の前で三線を演奏! たいそう緊張したが、得たものも大きい。思えば小学校5年生の頃だった、数校合同の「鑑賞会」で初めてナマのオーケストラを聞いたとき「将来、楽団員になって音楽好きの仲間と合奏を楽しめたらいい」と夢想した。2日間だけそれが叶ったわけだ。
7 27 朝9時半に家を出て、那覇に。慌てて携帯電話を家に忘れた。おかげで「今、ここ」の重みが増した。バスで安里へ。三味線店で後を継いだMさんと話し、また、十年来愛用の三線を見てもらう。この三線はこの店で生まれ、もう二十回以上ここに帰ってきては又出て行っているのだ。三線人生を楽しんでいるに違いない。
7 28 昨晩は牧志交番近くの小桜で飲み食い唄い踊る。PC常時高速接続になっていた。主人のNさん(お母さん)は寺田勲と同年同月生まれ、元気に働く79歳。励まされる。さて、好天に誘われて今日は山原一周。まずは慶佐次の砂浜やマングローブで身体を水と風と陽にさらす。夕日は辺戸岬。帰路は満天の星。
7 29 昨晩はコザでいつもの民謡酒場巡り。まず林次さんに激励され、花の島で踊り、なんた浜で空が白む。午後、佐喜眞美術館へ。東松照明、石川真生、知念うし等々"元気"な人々の話。新原で民宿のYさん夫妻と話し。このお二人も一時よりますます元気そう。百名の水、風はやはり温かい。アバサー(針千本)がいた。
7 30 昨晩は大里で夕食。八重山出身のご夫妻、玉城で飼っている山羊を定期的につぶして店をやっているのだそうだ。おじさんが「でんさー節」を唄うといっぺんにそこは八重山に。私は一緒に「鳩間節」を唄った後、宮古や沖縄の唄も唄う。とても大きく響く三線でいっぺんに酔いも回った、最後の夜。で今日は飛行機で熟睡。
7 31 海外で作成された染織家紹介のビデオ見る。石垣金星の唄三線と琉球アカショウビンの声が効果的。昨日までの旅で名刺が切れていたので、印刷。「寺田勲」の面の百枚目直前にフォトインクの青色が切れた。自転車で買いに行く。「西表だったら何日か待つんだよなあ」と考える。ここでは蜩が楽しそうに鳴いていた。
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