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「三行日記」   2005年10月
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10 01 昨日夕方Mさんが糸満に住む友人を伴って庵に来る。接触事故を起こした跡だったので若干動揺している。保険のことなどでアドバイス。安心して帰っていった。今日は「新」のMさんから電話、ビデオ不調とのことで行ってみるとTVが故障。寿命か。夕方船越まで散歩。バスとIさんの車で沖縄大学。受講の後やんばる食堂で飯。うまいが冷房効きすぎ。講座内容に関する見解をメールする。
10 02 アルテでSさんの名刺を預かる。明日エコ城間に預けるために。泊からクイーン座間味で阿嘉へ。一時間で着くとは知っていたが実に速いものだ。西側の海岸で沈む夕日を眺め宿へ。Mさんの住宅兼蕎麦屋兼民宿。阿嘉は静かで小さくて良い集落だ。三度目の慶良間(これまで二回は座間味)。考えてみるといつも一泊だな。夜は楽しく飲む。良い夜になる。
10 03 日の出を見るべく暗いうちに宿をでる。浜には鹿の足跡。左に座間味正面に渡嘉敷。阿嘉の人はこんな風景を見ながら生きてきたのだ。明るくなった道を陽射し浴びながら戻る。朝食後、今度は車で同じ浜(有名なニシハマだ)へ。シュノーケリングを満喫。ここはスゴイ。何日観ていても飽きないだろう。とくに深い方へ行くと高低差も見え大型の魚も沢山。この海は文字通り楽園だ。
10 04 昨日は阿嘉島をでる直前にカツオと蕎麦を戴く。西日を浴びながら乗船。良い景色だ。Iさんは山の茶屋で催されているヨガに行く。今日は一日遅れでヒヌカンにチータチの挨拶をし、メールの整理など。夜、多摩のTさんから電話が入る。バリのテロの話し。ジャカルタ公演に関わる話となる。私としてはバリとジャカルタは直接結びつかない。これから説得策を考えなければ。
10 05 ジャカルタのOさんとのメールやり取りが多くなる。こういうときにメールの有り難さを感じる。サイト更新。天気の良い日が続くので布団干しに邁進。空が広く、具志頭や摩文仁、八重瀬がよく見える。こういうところで干される布団は幸せだ。全部で七〜八組あるので南側(玄関付近)に一度に四枚ほせるとは言うもののひっくり返したらりしながらなので一日仕事。
10 06 昼、立川のS三と連絡取れ、iDiskを経由してHさんの写真データを取り込んでもらおうとしたがうまくいかず時間切れ。【an】を更新。いいガマの写真が送られてきたこともあり自分の写真と会わせてアップ。夜、渡名喜守太氏の講演を聴きにタイムス本社へ。歴史修正主義の昨今の動きについて。いい会だった。自分は「正しいナショナリスト」と自認しているので、偽物に腹が立つ。大型店舗で買い物して帰る。
10 07 朝、Sさんから電話。浜比嘉に迎えに行く。ご夫婦を乗せ庵へ。ゆっくりおしゃべりしてから真壁ちなーへ向かう。二人が食事している間に給油しようとしたら米須のスタンドは閉店という貼り紙。結局県道7号線と77号線の交差点付近まで行ってセルフで給油。良い天気。そうだ、と思いついて以前から狙ってた写真を撮る。夕方、庵でゆっくり。それが良い。そういう旅の一日もあるものだ。Sさんは花野果村で買い物して夜食を作ってくれる。美味しい。おしゃべり。
10 08 タイ・メデテイション・マッサージのカコさんに連絡がついて来てもらう。二人は大喜び。四人で真壁ちなー、ご馳走になる。Kさんは昨日食べた皿そばがたいそう気に入った様子。パトッチャワーにも行く。浮島タウンズ旅館(新金一旅館が新しい名前になった)に送る。Sさんのサイトにこの旅の写真がある。那覇祭りの前夜である。Iさんはデルフィのマッサージを受けに行く。
10 09 虹の会。朝から首里末吉に出掛ける。充実した話しになる。昨年夏から一年間の活動を報告書としてまとめる話。冬に発行を目指す。原稿の分担や締め切りなど決める。二十歳前後のメンバーのエネルギーが良い実を結ぶことを望む。夕方買い物して帰る。夜、立川のDさんのパソコンでiDiskへの接続が出来た。これまた明るい話し。ISDNという悪条件でもなんとか画像のデータを送れそうだ。
10 10 洗濯たくさん。工房が定休日のIさんは一日中絵を描いている。ネット、メールそして読書の一日。古いインスタントコーヒーを何とか腹に入れようと、ゼライスをつかって固めたり小麦粉や重曹と混ぜて蒸しパンもどきにしたりしてみる。面白い。具志堅京子さんのコンサート関連で豊見城市翁長の太鼓教室に連絡を取る。明日午前中に訪問することになる。
10 11 昼前後、翁長の太鼓研究所を見学。太鼓セットが十以上並び全面は鏡張り、先生は指揮棒を持って譜を示す。良い景色。自己紹介代わりの雑誌コピーを渡すと「私は以前、旅行代理店で仕事してました。ツアコンとか」とM先生。夕方また散歩がてらに船越まで歩く。その後バスに乗りIさんと合流うち合わせへ。夜、編集のKさんを首里駅に送る。夜、TBS系の番組で日本人の信仰や「霊魂」などをとりあげたものをみる。なかなか良い。
10 12 研究者Kさんより礎の掲示の写真が欲しいとのことで早速出掛ける。糸満図書館にサピオ見に行くが貸出中のようだった。「新」で『Be Love』の糸数慶子をモデルにしたマンガ作品を読む。小林よしのりの話しも。金沢の「大東亜聖戦碑」を調べMさんに電話する。沖縄人で小林とこの碑を関連づけた発言をしたのは金城実(この春、タイムス紙上)だけかも知れないと気付く。
10 13 具志堅京子コンサート用のパンフ写真、紋付姿をデジカメで撮る。11/6のクイパラ、中野サンプラザコンサートのチラシを送付先のリストを作り、送り状の如きものも作文してメールで事務所に送信。午後、Iさん再発行した旅券を県庁へ取りに行く。図書館。豊見城そばに寄ったが京子さん不在。電話で太鼓のことなど連絡。娘がブログを始めた、「おむすび日記」なるほど。
10 14 虹の会で知り合ったEさんがパネリストとして登場する「消せない記憶」(てんぶす館)に行く。韓国から元従軍慰安婦を招いた催し。去年の夏にソウルに行ったときちょうど水曜日の集会のことを知り歩いていったことを思い出す。ソウルの若者達は元気だ。さて那覇はどうか。KさんIさんを県庁付近で下ろして空港に埼玉から来る高校生Mさんを拾い会場へ。会場で渡名喜守太氏にも会う。
10 15 雨模様。午前中はMさんと旅の相談。海軍壕、彼女が入っているあいだ丘に登ると糸数が見えると気付く。今度向こうから見てみよう。那覇の三味線店へ、その後、金壺食堂。摩文仁(資料館、丘、健児の塔)、「新」に寄る。小林よしのり、金沢の大東亜聖戦碑、大東亜青年塾の話しも。統一協会の話も出る。庵に帰ってからMさんを紹介したTV番組の録画を観る。
10 16 午前はMさんと伊江島の話し。昼は花野果村で民泊の説明会。Iさんに任せ首里城へ。自分は崎山御殿の前で休憩。首里インタから一路本部港へ。最終便5時発。Mさんを送った後、Nさんに電話すると在宅。宇茂佐の公民館で待合わせて中古DV代を渡す。リモコン付きの三脚と使えるDVテープを戴く。ありがたい。新しい仕事も順調と聞く。帰路恩納村付近渋滞。夜Rさんの誕生日写真撮りに行ったらデジカメが故障。
10 17 知人のKさんが十月末の八重山の踊りの会の公演で踊る。楽しみにしている。その入場券を預かっているが予想以上にお客さんの出足が良いらしく、不用の分を返すことになる。首里の「なーび」に代金を返却分の件を届ける。公演が楽しみ。夜遅く東村山に住むKさん一行が到着。東風平に住む彼らの知人も同行していて六名で。皆で楽しくおしゃべり、飲み食い。
10 18 Kさん達の乗ったレンタカーを先導して愛車で那覇の市場方面へ。浮島通りで別れる。ドイツから沖縄に来ている高校生中心の団体を案内しているRさんに携帯電話で連絡を取り合流。摩文仁平和の礎の案内、公園で昼食。韓国人慰霊の塔。ここで英文の表記が日本語文と違うことが明らかになる。ひめゆり資料館では第六展示室のドイツ語文に誤植が多い(二桁)ことも指摘された。彼らを見送り伊原から摩文仁に歩く。
10 19 昨夜はその後、津嘉山の門でうち合わせ。帰庵後「たそがれ清兵衛」を鑑賞。まずまず。とにかく最後の方に出てくる田中泯が良かった。与那原の貸しDVD屋に返却。そこで駐車中に久し振りのKさん(コザの民謡酒場)から電話「Tさんが来てるよ」。今日は韓国人慰霊の塔の英文を写しに行った。デジカメが故障していることもあって久し振りに自分の手で英語を書く。帰路クラシンジョウ下見。帰庵し英文をサイトに書込もうとしたら〜
10 20 〜なんだ9/27に撮った韓国人慰霊塔の写真を開いてみると、英文の石板もしっかり写しているではないか。やれやれ。とにかくこの英文の"the war"をどう読みとるか、という文章をブログにアップした。今日は掲示板の書込みを整理してアップ。単純のようだがHTMLを手直ししていくので時間はかかる。夕方、久高からTさんIさんの二人(来月結婚)来訪。お幸せそうでこっちまで楽しくなる。「結婚三線」(結婚指輪の代わり)を見せてもらう。
10 21 昨夕、二人はコザのデイゴホテルへ去っていった。その後バンド練習。月末の公民館祭りで演奏があるのだ。今日は【10・21国際反戦デー】だ。掲示板に色々書込む。'95年の8.5万人集会から丸十年。新聞はおとなしすぎないか。高校生の団体を初めてクラシンジョウに案内するので、その準備。『逃げる兵』を再読。真実味が充分あって案内に適する部分を吟味して探す。さすがに新聞人、文章が良い。
10 22 朝Yさんから電話、民宿Mのサイト立ち上げの第一回相談の場所の変更。Kさんがやって来て一緒に行く。サイトのことだけでなく色々の話し。世間話にも近いものだが、いやいや、この民宿の辺りの状況が見えてくる話だった。Kさんを案内して集落を散歩。昼過ぎに戻ると、今日から預かる約束の知人の犬が既に私を待っていた。夕方、犬を連れてIさんとクラシンジョウの見学。犬は暗がりでも予想以上に平常心を維持していた。
10 23 午前、空港で都立M高校の一行を迎える。その一時間後に到着のSさんを「真壁ちなー」に送る。自分はひめゆり資料館へ。混雑。入ってみたがとても見学する雰囲気にならない、人の波に流されていくのがやっと。M先生と打ち合わせの後、クラシンジョウへ。友の会Yさんとは打ち合わせできぬまま案内を始める。ここも予定が混み合っていて前の団体が出るまで入壕をまちつつ車中で案内。一時間の案内は無事に終了〜
10 24 〜四時前にひめゆりの塔付近でSさんと合流。梯梧の塔、第一外科壕、魂魄、荒崎。暗くなってきたがヌヌマチに。ガマは道筋がわかりにくいこともあってIさんも呼んで三人で。夜、10年ほど前の真南風のビデオなど観る。今日はまず泊港でYさんNさんを拾い庵へ。Sさんも乗せて玉泉洞へ。三人はエイサーを鑑賞。通り雨も。昼食、花野果村。おもろまちの琉舞用品店へ。夕方Nさんを安里栄町市場付近で下ろし、コザへ。
10 25 〜デイゴホテル、すっかり様変わり。ロビーのパソコンで「井上ともやす掲示板」に書込み。今朝Sさんより「『ウルマ』の語源は何?」という問い合わせの電話。続いてRさんから電話「お客さんの移動と案内を手伝って欲しい」、仕事だ。ヤハラヅカサ、斎場御嶽。アメリカ先住民お二人を案内していたKさんたちと会う。潮の花も案内。ヘリオスで昼食、その間自分は海岸にゆうなの枝をいただきに行く。お客さん達を空港に送り、そのあとSさんを拾い〜
10 26 〜海軍壕の展示を見学。南風原文化センタ。20号壕付近を案内。で、空港19時。Yさんに頼まれていたゆうなの枝を託す。今日は洗濯、洗濯。そしてDVDのコピー保存作業。夜、バンド練習。知念のSさんの展示場を借りて。ここにはグランドピアノがあるのだ。Tさん(今回のバンマス)が柿を持ってきてくれていた。秋の味覚。美味。戸締まりして帰る。夜、具志堅京子さんから電話。明晩、太鼓で共演する予定の小学生二人(兄弟)と会うことにした。
10 27 12/4の京子さんの「芸能生活35周年記念講演」、幕開きは出演者勢揃いして「滝落とし」「かぎやで風」という計画らしい。兄弟の太鼓は、研究所で練習してきたもので文句なく揃うだろうが私はこのままではあわないこと必定。どうするか、難題。これからの期間で身につけられるものかどうか見極めなければならない。このところ調子の悪いMD(ポータブル、中古で買って早七年)だがなんとか録音ができそうだ。予備にラジカセも持って、翁長の練習場に行く。
10 28 今日から三日間、南風原公民館で染織の素材展が始まる。組合主催の大展示会も。Iさんの絵本原稿の何枚かをスキャンし編集者に送る。多摩にいる頃に中古で6000円くらいで買ったスキャナだが、なかなか活躍してくれている(これももう四五年経つ)。午後、大和の演奏旅行から戻ったHさんを空港に迎える。大宜見村喜如嘉在住のYさんがHさんを伴って来庵。南風原の催しに参加するために。こういう目的で来る客は嬉しい。
10 29 午前、南風原の小学校のPTA主催、子供中心に大人も参加して森で楽しむ催し。太鼓と三線を持って黄金森に行く。三月に同様の企画があったがその時は悪天候。全く寒い日でやむを得ず屋内で実施。あれから七カ月経っている。今日は全くの好天。そよ風に蝶が舞う峠の付近。演奏の中心はNさんだが私も唄三線で「ハレルヤ」など演奏。野菜畑で昼食。南風原の展示を見に行く。来月中旬のジャカルタ行きの航空券代を支払いに泊近くの代理店へ。三時の閉店にギリギリ間に合った。月曜日に航空券を受け取れれば東京の大使館に提示でき、社会文化査証が手に入れられるはずなのだ。昨日に続いて喜如嘉の知人たちが宿泊。今日は3名。
10 30 村公民館で演奏、ギター奏者は風邪で休み、v、t、s、v、p、そして私がb。終了後、玉城焼のTさんとそばを食べているとS学園の若い知人四名が近くを観光中という電話が入って、携帯で連絡取り糸数城跡で合流。アブチラガマ(ここではIさんも同行)、花野果村(天麩羅を食う)、海軍壕(Aさんの希望で)、浮島通りで別れた。徒歩で与儀公園の県民集会へ。小雨。その後、郷土劇場へ知人の踊りの会を見に行く。満席で通路に座って鑑賞。なるほど素晴らしい会だった。東京の知人Mさんも受付にいて終演後に会えた。数年ぶり。笑顔。
10 31 十時から津嘉山の「門」でうち合わせ。昼食をいただく。旨い。信吉氏の活動をKさんから色々聞く。「反復帰」関連また読みたくなる。那覇の図書館へ。インドネシア関連の本を返し、また借りる。電話があり、航空券を代理店へ受け取りに。これで査証(社会文化ビザ)の発行が間に合う可能性が高まる、一安心。明日からの旅支度、洗濯。自分の誕生日なのでIさんが山羊をご馳走するということになり初めて仲地山羊料理店へ。旨い。食い道楽の日。

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