このページは2005/09/13/18:00頃 作成  05/09/27/21:00頃 最終更新

「三行日記」   2005年07月
02年5-6月分| 02年7月分02年8月分02年9月分02年10月分02年11月分02年12月分03年01月分03年02月分03年03月分03年04月分03年05月分03年06月分03年07月分03年08月分03年09月分03年10月分03年11月分03年12月分04年01月分04年02月分04年03月分04年04月分04年05月分04年06月分04年07月分04年08月分04年09月分04年10月分04年11月分04年12月分05年01月分05年02月分05年03月分05年04月分05年05月分05年06月分05年08月分      
07 01 Tさん朝食兼昼食。演奏の合わせも少し。昼Mさんたちが牧志に到着と聞く。今晩の演奏家が着々と集合する。午後七時、会場入り。PAセッティングなど。もう一人の演奏者Tさんは飛行機が遅れるとのこと。ま、なんとか今日中に着いて欲しい。開演は9時。お客さん達も増えてきていい雰囲気。
07 02 昨日は20人弱のお客さんの応援を得て演奏成功。楽しかった。一行は夜中の北谷(ネパール人Nさんの店)へ行き早朝タクシーで帰庵。私はKさんと安里で待合せOさんの証言を聞くべく具志頭村安里へ。農作業の女性に沖縄口で60年前をたずねるOさん。現場に同行しているという実感。砂糖屋は保育園の庭になっていた。糸洲にも立ち寄り伊敷へ。ガマ内には入らず。午後はネパール音楽家を案内し〜
07 03 〜玉泉洞や受水走水などに送迎。奥武島の天麩羅屋前でKさんに出会う。夜は8時から【たまたま庵】ライブ。大盛況。約30人ではち切れそう。木戸銭は予想より若干少なかったが大成功。暑さにも負けず。朝五時くらいまで語った。バウルのNさん朝、バスで那覇へ帰る。皆でアブチラガマ見学。Tさん夫妻はその後空港へ、他の三人とは垣花樋川、「風の里」でゆっくり。斎場御嶽。八角堂。〜
07 04 〜昨夜、三人はネットを楽しみ夜は民謡ステージゆらてぃくへ(送迎)。店の人達の笑顔が嬉しい。今朝は三人乗せて空港へ。M夫妻の荷物預けた後、Tさん宿泊ホテルに荷物を置き牧志へ。Nさんに三人を引き継ぐ。アルテ崎山に届け物。時間が合ったので首里城に行っていた四人と合流。TさんNさんは山原へ。M夫妻を内金城御嶽案内後、安里駅へ送る。図書館でKさんと会いK大学食で昼食、県庁で別れる。
07 05 展示片づけに那覇のチャンドラマへ。Tさんの荷物も含めて車に積み空港へ。食堂の前でお別れ。車検整備が近いからタイヤ交換を考えている。車用品店など見る。夕方佐敷へ、60年前の写真、公文書館にあったというもののコピーをTさんに届けに行く。伊敷のガマからの救出に関する写真なので彼が写っている可能性があるのだ。Kさんが公文書館で見つけたもの。夜中NHK番組再放送を録画。
07 06 4・3運動とチェジュドの日本軍の戦跡(掩体壕など)について新崎安子さんが書いている記事を読む。調布飛行場の掩体壕を保存する会、事務局長にFAX。洗濯。夕方、工房の知人とコザ+北谷に向かうIさんに乗せてもらって字玉城のTさんの所に行く。世間話の後、新原に行く。T大学とR大学のゼミ性が研修に来ている最後の晩、夕食+歌を楽しむ会に呼ばれたから。色々の話し。歌、踊り。
07 07 夕べのゼミ生達の一行とアブチラガマに入る。センターに掲示してあった琉球新報特集を見て二箇所に行く。宜次の砂糖工場跡の煙突、前川の民間防空壕群。ここは樋川と墓の場所。前川クムイと一体かも。午後は踊り手のKさんが来訪。東京で踊る曲の音作り(二曲を繋ぐ操作)。杉本信夫さんのレジュメを見せてくれた。コピーし手元に残す。Mさんの忘れ物を郵送。車検。夜は浜に星を見に行く。
07 08 大阪のHさんが昨日から来ていると聞き花野果村に会いに行く。仕事のために手伝う仲間と来ていた。夏らしい天気だ。仕事場にはこれから行くというので紙に地図を書いて説明。彼らが主催した京大西部講堂での催しが成功裏に終わったことを知りホッとする。夏至の太陽と満月に感謝する祭りだった。それにも参加したHさんは長いツアーを終えて月曜日に帰ってくる。
07 09 一昨日Kさんから「東京にいたころ柳宗悦の墓を詣でて一人舞った」と聞いた。その公園墓地の名前を失念したというので多磨霊園ではないかとネットで検索。なんと小平霊園。区画も分かったので管理事務所に電話で聞いてみたところ私が往き来した場所。ギターを弾き始めた頃、一人でよく練習したのがその辺りなのだ。手のひらに汗をかいた。夜はグスクロード公園で数人で飲んだ。いい気分。
07 10 観光ガイド養成を目的とした実習に参加。壺屋を歩き、首里城の一部を見学ののち宝口樋川。昼食場所は豊見城すばだった。飛び入りで太鼓三線。思いがけず、良い形での自己紹介になった。漫湖付近で蝶園を見学、干潟の自然観察。夜バンド練習で北中城のM宅へ。するとSさんから電話があり今晩の特別演奏(お祝い音楽)の話となる。結局、趣旨を納得の上メンバー四人で首里へ。
07 11 今日演奏旅行から帰っている予定のHさんに電話すると既に長いことあけていた家を掃除しているとのこと。そのHさんも夜うちに来ていたのだが、ちょうどこのあたりに滞在中の知人二人がヤシガニを捕まえたと行って持ってきた。隣村の海岸近くで舗装道路を歩行していたという。十年ほど前に宮古で食ったことを思い出し早速調理法を確かめるためにNさんに電話。皆でおいしくいただく。感謝。
07 12 夕べは、演奏旅行帰りのHさんがキムチを沢山持ってきてくれたので、期せずして豊かな食を堪能した。今日は、来月旧盆直後に入っている案内仕事の日程を作成。これまでその団体を案内してきたMさんのところに相談しに行く。米粒が切れたので花野果村に買いに行く。精米器が導入されていてお客の好みに合わせてすぐに精米してもらえる仕組みになっている。
07 13 Iさんは看板描きもしている。昨年から続いている久高島にある屋外の案内板(島の地図を描いている)はほぼ完成。今日は隣村のRさんの店の看板を完成。Rさんは気功、マッサージ、食などから健康を取り戻させるという仕事をしている。マスを相手にせず個人個人の状況を知り合っていくことから始めるという点では自分と共通点がある、と気付いた。いろいろ参考にしたい。
07 14 サイト更新に精を出す一日。夕方、Kさんがお母さんと浜川御嶽に行くという。今週末の東京での踊りの発表を目前にしてのこと。曲目は「トバラーマ」と「鷲の鳥」。心地よい風に吹かれて色々な話をする、主にお母さんと。彼女は八重山に生活して長い。海のある生活についてしみじみ語って下さった。にぎりめし、コロッケなどをうさんでーしていただく。
07 15 8/20-21の見学行程の案を先方にFAXする。その後コザに住むKさんと暫くぶりに話をしようということで車で出る。T屋R三味線店で待ち合わせた。ちょうど奥さんがいたので久しぶりに長話をすることになった。自分のことをよく覚えていてくれて驚いてしまった。色々の人の思いが自分に影響してきたのだと再認識。民宿のSさんに会いに行く。これまた歓迎された。
07 16 朝、徒歩で郵便局に用足し。DVDの整理。夜、「沖縄・戦後50年史」のビデオを見る。十年前に琉球新報が作成したもの。定価で買ってあったものを暫くぶりに鑑賞。盛りだくさん、テンポが速い。そして見応えあり。安保はやはり粉砕、というスローガンが正しいとまたまた認識する。「改訂」とか「廃棄」ではない。「粉々にうち砕く」これが正しい態度だと思うのだ。
07 17 近くのK高校の文化祭。Iさんは陶芸家のTさんに店番を頼まれており朝から出掛けた。自分は楽器の調整、弦の張り替えなど。昼過ぎ当のTさんに誘われてK高校へ。そばを食う。展示も少し見学。台風の影響で雨も、学校からはリーフに砕ける波が目前に見える。夕方、北中城でバンド練習。夜Tさんと庵で飲む。「木を植える人」を支持している人も来た。
07 18 糸満の大工道具屋へ行く。安売りしていた灯りを購入。屋外に設置しておいて人が近づくとそれを検知して点くようになっているヤツ。夜はK子さんに誘われて首里のNに行く。植物学(生態学)専門のNさんの話を七、八人で聞く会。大変に勉強になった。護佐丸の墓に行かなくては。「木を植える人」に対しての私の批判は(私自身の中では)補強された。
07 19 十日ばかり前に壺屋を歩いたとき小さな飲み屋の看板にホッピーとあった。国際通りのもんじゃ焼き屋にも置いてあると聞く。学寮時代が懐かしい。数ネットで調べ通販があると知る。送料込みの一本の値段を計算したりしてみる。そしてついに、沖縄島でホッピーを市販している場所があると知る。ネットの個人頁で言及されていたのだ。で、今日、おそるおそる〜
07 20 〜豊見城のRへ行く。あった。早速購入。しかし買い占めは控え棚に数本は残しておく。心の余裕。初めて入った店なのでついでに物色していると安売りの棚に鰯の明太詰めを見つける。刺身も買って楽しい食卓。しかし夜中に腹を下す。鰯明太の油の匂いがきつかったことを思い出す。きっとあれだな。でもたいしたことは無かった、良かった〜。
07 21 7/10の感想文提出がまだだったので「こりゃ大学まで持っていくしかないかな」と、開いている時間を確認すべく電話したら「FAXで良い」とのこと。で早速電話線経由で提出。夜、友人Hさんの経済状況を少しでも良くするためのモンパンを食べる会(於:浜)を実施。30〜40食は出たんじゃないだろうか。関西へ帰るための旅費もなくなってしまった彼の救いになったかな。
07 22 Hさんは知人の建築仕事をする目的で今回沖縄に来たのに、その仕事が無くなってしまうという憂き目にあっていたのだ。宿泊場所にも苦労していた。「弱い」立場にしわ寄せが来る、という構造は許し難い。今日は「琉大理学部○○学科志望」の高校二年生が来た。古い知人(二十年近くあっていない)の息子さんだ。海を見に行こうと小度へ行く。楽しかった。魂魄、梯梧〜
07 23 〜ひめゆり第一外科壕、平和の礎、韓国人慰霊塔。夜、電話があってNさんと食事に行く。明けて今日は大学の説明会の日なのでそのSさんはIさんが送って行き、私は朝から「虹の会」の準備を手伝う。今回は大きな山場だった、私はビデオ係(Rさんがカメラを忘れ、ちょうど琉大に行っていたIさんに頼む、というアクシデントも)。Sさんはバス乗り継ぎで帰庵。
07 24 昨晩「虹の会」は新原浜でバーベキューののち庵で反省会。その後Sさんも加わり二時頃まで。「会」のKさんがK学科に入学した経歴があるということで、良い話に。東京からのTさんKさん宿泊。今日はそのTさん「ひめゆりの塔(今井正監督、53年)」を一人で見ている間にSさんとクラシンジョウ、具志頭城跡、ヌヌマチガマ。午後は読谷でK学科の一年生の話を聞き〜
07 25 〜ついでに役場、象の檻、を見学。真栄田岬。浦添のなーびで旨いそばいただいて、那覇。壺屋付近で下車、市場通りを説明して別れる。牧志駅から空港へ行くように話した。その後私達は知人の焼き物展示を見て帰宅。さて今日、Iさん隣村のRさんのマッサージを受けに行く。夕方Oさんが来て一時間ほど話す。夜はMさんの家でバンド練習。彼のおごりでステーキを食いに行く。満腹。
07 26 東京のF市出身のSさんと英国のMさんの夫妻(英国在住)と会う。植竹しげ子さんに踊りを習っているKという私の知人が引き合わせてくれたのだ。Sさんは世界的なハーモニカの演奏家で、今年、英国で沖縄戦を伝える舞台を企画している。午後3時過ぎに庵で落ち合って、南風原20号壕、文化センタを見学。その後伊原第一外科壕、荒崎海岸で日が暮れた。自分はRさん宅の宴会に呼ばれていたのでおうちの前で下車して別れる。
07 27 那覇のホテルで大学生二人(YさんOさん)を拾い庵へ。花野果村にも。Iさんが仕事から戻り三人は昼飯を食いにタイ料理店へ。その後新原へ。夕方は四人で小渡浜へ。なんとオニヒトデがいた。晩飯は庵で作る。ビデオ「ウルトラQ」「20世紀の映像ー沖縄県」を鑑賞。途中、ウルトラQ好きのNさんに電話したりもした。そうだ、昨春Nさんを連れて行った海も小渡だった
07 28 三人は久高へ。私はM夫妻とひめゆり資料館前で9時に待ち合わせ。証言員三人のインタビューに同席し午後は佐敷でAさんと話をする。昼、車を飛ばす。Aさんは済州島の記事を沖縄タイムスに載せた人だった。ここで会えた。夕方、Tさんの家に寄る、自然にセッションになった。久高から帰っていた三人は風の里からTさん宅で合流。梯梧の塔の近くに置いたままの愛車を取りに行ってから六人で食事、グリーンヒルで。
07 29 大学生二人とアブチラガマ(中には入らず)、糸数城跡。彼らを空港へ送り、夕方はS+M夫妻とガラス村で合流。真壁のチナーで休憩。急ぎレンタカー屋へ行くべく先導して豊見城まで。JAのある上田交差点で手で合図してお別れ。この数日、日程が微妙に重なって二団体を案内したことになる。目的の異なる二組を出合わせるのも面白いものだ。偶然が産み出す妙。
07 30 今日はMさんの息子さんの結婚式。バンド演奏で参加するのだが親戚の踊る「鷲の鳥」の太鼓も頼まれている。棚の奥に保管しているはずの"八重芸"の録音(MD)を探し出し、掛け声と太鼓をコピー、譜にした。一方Iさんは今日やってくるKさんを迎えに空港へ行くことになっている。自分はTさんの車に乗せてもらって安謝の式場へ。例によってギターかつ太鼓の私は、出演演目が多くてほとんど食う暇無し。でも食ったぞ〜
07 31 〜Mさん気を利かせてくれたのか披露宴がお開きになってから我等を食堂ピッツバーグに連れて行ってくれた。美味しかった。一方Kさんたちは仲村渠の綱引きを堪能したとのこと、深夜まで話し込んだ。今日は伊是名島へ行くKさんを首里駅まで送る。1時。夜は「『映画・日本国憲法』を見る会」を【たまたま庵】で開いた。十人くらいが来る。Nさんも那覇から参加し、泊まる。良い会だった。

このページの冒頭に戻る

[BBS] 話そう、語ろう【ここから、今から】何かが 始まる
00 表紙のページに戻る 


← 感じたこと 考えたこと お伝え下さい