「三行日記」 2004年09月 |
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日 |
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月 |
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03 |
20 |
日 |
合宿の朝、用のある二名は暗いうちに出る。テープ起こし作業で徹夜した高校生もいる。午前中資料館に数名が移動。有機的に時間が流れている。午後戻ってきたOさんがテレビを見たいという。福岡で大きな地震があったのだ。中学時代の友を気遣う高校生が涙顔。幸い人的被害は少なかった。夜まで作業継続。充実の一日。夜はメールのやり取りや翌日の会の予習(「たまぐすくの民話」)。
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03 |
21 |
月 |
Oさんが高校生を連れて到着。大学生も。各自テープ起こしの作業に入る。午後には資料館で聞き取りして来たSさん達が合流。その後にはKさんも。60年前の人間の生き死に、その後の人間の営みを辿る作業の重さよ。佐敷の会合に参加する私達は日暮れ時に出る。保全、復元、整備、と開発。町村合併の時期とも絡む問題。会には出会いが付きもの、多くの人に会う。KさんにYさんを紹介。
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03 |
22 |
火 |
Kさんを糸満市役所に送り戻る。晴れてきた。洗濯しているとOさんが雑誌関係の方を二人連れてくる。ちょうど百名浜の話をしたかったのでタイムリー。昼空港にKさん等を迎えに行く。その後轟壕へ。ここから生還したTさんはIさんの車で到着。三時間ほど一緒に話す。強健なる87歳。夕方真壁の食堂へ。Tさんは中部へ向かうので糸満まで送る。夜、映像資料「浄魂をいだいた生涯=仲宗根政善」。
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03 |
23 |
水 |
朝食時ヘリ事件の映像を見る。案内は南風原(黄金森、文化センタ、名護の殿)、アブチラガマ(暗闇でHさんと出会う)、魂魄、米須海岸、第三外科壕+ひめゆり資料館、第一外科壕(水多し)、本部壕、具志川城とその下、喜屋武岬、平和の礎。日が暮れて「新」に寄る。話し弾む。帰庵後飲みながら見た映像は、「戦場の童」「未来世を生きる」「ログイン東京」。しみじみ。
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03 |
24 |
木 |
寺田勲の命日(太陽暦)。陰暦は二月十五日。Kさん等と出ようとしたところにIさんが来庵。バンドの楽譜を持ってきてくれた。一緒に四人で出発。嘉数高台付近、沖国大の黒壁と周辺、佐喜眞美術館、安保の見える丘+屋良の「道の駅」、チビチリガマ、何我舎、象の檻、村役場、競技場、ヤチムンの里。ここでOさんと話が弾む。冷える夜。風呂借りに来て帰る数名とすれ違う。
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03 |
25 |
金 |
メールの整理、クイパラ通信の原稿書きで照屋林助の映っている映像を繰り返し再生。ワタブーショー=モダンチョンダラーズ、90年秋の舞台演奏、91年初頭のなんた浜での演奏等々。この後続けて「パラダイスビュー」など見たくなった。夜はIさんの工房の皆が開いてくれた祝いの宴。秘蔵の古酒をいただく。和風料理、欧風料理の振る舞いに感涙。さーふーふーして帰庵。Tさんら来庵。
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03 |
26 |
土 |
Tさんたちを案内して奥武、さちばる、百名浜、ヤハラヅカサ、浜川御嶽、垣花樋川、糸数グスク、豆腐屋食堂。タイミング良く、Kさん達を那覇から空港に送る。別れはいつも感傷的。その後、再びTさんたちを牧志の市場付近へ送る。その後レンタカー営業所(赤嶺)へ。携帯電話の機種変更を考えているのでちょっと店を覗いた後に泊へ。ミニコンサートに参加。
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03 |
27 |
日 |
宿泊中のお二人は首里方面へ。五月の東京行きの航空券のことやメールの整理で庵にいても暇無し。といいながら「吉里吉里人」初出の「終末から」(筑摩書房)を引っ張り出した。三十年前の雑誌だがその勢いと志に感服。一方、永山則夫のことをネットで確認、石田東京高裁判事のこともTさん達を話した後だったので。夜は久高島交流館館長とも飲む。その後マッサージのTさんも来庵。
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03 |
28 |
月 |
お二人は南部のお知りあいに会いに行く、久高から来ているFさんは散歩など。夜は昨夜に続いてTさんを呼んでマッサージ、三人連続で。風呂に入ったり話しをしたりしながらのリラックスタイムだが、体のこと健康
のこと都会のストレスなど話題に事欠かない。広い意味でみな病んでいる、病んでいる者たちの寄り合いだ。長い夜となる。 |
03 |
29 |
火 |
花野果村での買い物から最終日を始めたお二人はレンタカーで出発。ご近所のHさんがip電話の事やadslの件で相談に来る。NTTに連絡、やはりこの地域はISDN止まり。二年前に来たときから変わらない。その際通話中の雑音を聞いた技術者が我が家の回線の故障を察知、昼に修理に来てくれた。屋外の線の傷みとのこと、すぐ直った。ネットの接続も安定した。Fさんは2時の船で島に帰る。
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03 |
30 |
水 |
先週滞在した二人が伊江島で出会ったHさん、昨晩から宿泊。私はバンド練習だったのでIさんが那覇に迎えた。今日はHさんを案内して糸数城、アブチラガマ、20号壕、文化センタ、悲風の丘(南無妙法蓮経と書いた多数の薄い"卒塔婆"があった)、前川の谷間、新里壕の入口(瓦礫の如き廃棄物!)、前川の獅子、夕方、知人が今夜宿泊のMさん(版画家)を連れてくる。漫画も描く方。
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03 |
31 |
木 |
年度末の日。「虹の会」の作業と「送別会」の日。高校生大学生大人の合わせて十名程度が集う。宿泊中のHさんは平和祈念資料館に送る。Mさんは散歩、結局、奥武へ行き海岸線をやぶさつまで、垣花樋川まで行って夕方歩いて帰ってきた。私とIさんを除いては【たまたま庵】関係者で最長距離。Hさんも資料館を五時に出てから摩文仁の丘を西に越え、国道を東に「新」まで行った。すごい。
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