このページは2003/11/01/15:00頃 作成  03/12/19/23:00頃 最終更新

 
「三行日記」   2003年11月
02年5-6月分| 02年7月分02年8月分02年9月分02年10月分02年11月分02年12月分03年01月分03年02月分03年03月分03年04月分03年05月分03年06月分03年07月分03年08月分03年09月分03年10月分03年12月分      
11 01 昨日の催しの帰りしなに比嘉豊光さんと会う。数日後の「島クトゥバで語る戦世」と「ナナムイ」が楽しみ。明け方、久しぶりに雨。程なく上がった。サシバが盛んに鳴いている。修学旅行生だろうか貸切バスが良く通る。早11月である。薄の穂が光る。沖縄には四季がないなどと言ったのは誰だろう。思った以上にはっきりした季節感に驚いている。
11 02 夕方から7本の映画を見る。「復帰運動」「謝花昇」「喜納昌吉」、、、全て自分が十代の終わりに出会った言葉達。ある意味では、当時の自分は既に映像の中に取り込まれていてしかるべきであろうに。また、スクリーンの中は変わらず、こちら側が変わっていると言うのも事実。その変わっているこちら側の中の私は何をしているのだろう。
11 03 「ムトゥシンカカランヌー」だいぶ印象が違っている。三拍子で歌われる「十九の春」の声の艶めかしさはちっとも変わっていなかったが。映画館を出て平和通りや農連市場、また足を伸ばして与儀市場通り。県立博物館で田中俊夫展を観る。いい仕事をした人物には元気づけられるものだ。芸大祭、首里城の京の内を見学。高みの見物、だ。
11 04 「島クトゥバで語る戦世」全6時間を観る。いい仕事をした人物には元気づけられるものだ。そのあと原一男の「極私的エロス--恋歌1974」。前から気になっていたが見ていなかった映画だ。監督の話、質疑応答なども良かった。こういうのが映画祭の意義だと感じる。夜風を吸いながら帰宅。心地よい眠りにつく。
11 05 「ナナムイ--宮古島」全4章を観る。写真展を観たのが二年前、新宿でだった。その時の印象は、動く映像を見ることでがらりと変わった。自分の知っている西原と繋ぐことが出来た。西原のクイチャー、八年余り前に唄三線を猛練習(?)したこと思い出す。ポリバケツにコンデンスミルクと泡盛を注いでいる場面、去年のハーリーを思い出す。
11 06 映画の合間にふと思い立ち、県の平和推進課に立ち寄る。応対してくれたのはMさんという方。終始笑顔で和やかに。私の投書も十分呼んでいて、このサイトも御覧になったという。いずれまた防衛庁資料や、荘河丸機関長関連の資料も持っていって見せると言うことになった。今後の展開が楽しみ。そのあと森口豁作品や「八月十五夜の茶屋」を観る。
11 07 布団を干す、先週洗い損ねていたガラス二枚を吹く。サシバが鳴きながら飛んでいる。長袖の衣類を再度干しつつ、昨日、拭き掃除を下床をもう一度掃除。明日からは二人が二泊宿泊の予定なのだ。役場で滞納している国保税、水道料を払う(イタい)。夜はてぃびちを圧力鍋で煮る。 掛け布団カバー二枚を購入。
11 08 与儀の三線教室見学したOさんTさんを拾いに行く。与儀市場通りで昼食。芸大から園比屋武御嶽、守礼門、西のアザナ、京の内。下の御庭で舞踊を観る。中城城跡、廃墟のホテル。斎場御嶽。三人なので落ち着いて動ける。海の彼方が光っている、何か、と三人で考えていたがやがてTさんが「月?」。然り、十五夜の月が既に雲の陰に昇っていたのだ。
11 09 夕べは百名浜でも月を愛でる。今朝は雨。花野果村でお土産買い郵便局から送る。世礼井、御嶽、古墓、百度踏揚の墓、ウザハびら、糸数城、アブチラガマ、前川の獅子、前川の谷、玉泉洞、王国村、「新」、ひめゆり平和祈念資料館、第一外科壕、荒崎海岸、魂魄。既にとっぷり日は暮れていた。夜は那覇へ。途中本屋。竜宮通りの山羊屋は残念ながら休み。
11 10 夕べは国際通りの民謡酒場兼居酒屋で飲む。朝食後、玉城焼に行ってから、二人を空港に送る。別れはいつも感傷的な気分。知人に「もしもしちょいと林昌さん」を貸す、ついでに「ウンタマギルー」も。今月下旬の演奏旅行の航空券を買う。帰宅し洗濯。出直して那覇へ。展示会でIA子さん、UM子さんに会う。その後芝居「再会」の受け付け仕事を手伝う。
11 11 荷物整理。午後、MさんのガイドするN大附属高校の修学旅行についてアブチラガマに入る。生徒達の雰囲気がとても良い。少人数、異年齢で行くのとは違う味わいが久しぶりだ。Mさんに誘われ、近くのVという店に。崖の縁にあって展望良好。オムライスの如きものを食す。旨い。途中、請われて「風の里」に届け物。間に合って、ほっとする。
11 12 6時50分に家を出てMさんを拾い那覇へ。N大附高のガイドの補助(見習い)。嘉数高台(京都の塔、トーチカ、青丘の塔)、摩文仁(韓国の塔、平和の礎他)、ひめゆり(昼食も)、魂魄--米須海岸(ここで「安里屋ユンタ」「ふるさと」「芭蕉布」を唄う。私はギター、三線はTMさん、唄ったのはガイドさん3+3)。白梅の塔。
11 13 好天、布団を干す。N教育大付属高校のM先生、うちを見に来てくださる。玉城のTさんと話していて、ウクレレブラザーズの演奏会は私の家か駐車場でほぼ十日後にやる、と言う話がまとまっていく。志堅原のTさんが近々引っ越す可能性の高いH町の家を見に行く。日暮れが早い。切り昆布、切り干し大根、大豆の煮物を作ってみる。
11 14 Sさんに頼まれた原稿を書く。とにかく字数に入れるのがしんどい。何とか二日がかりで仕上げた。課題作文なので楽しいのだが、ネットで資料を確かめたりするのに時間がかかる。仕上がってほっと溜め息をついた。夕方、堀川、志堅原を散歩。秋の日は釣瓶落とし、なるほど。こちらに来て初めて大根を煮る。冬が近い。
11 15 サイトの「掲示板の記録」を一度に6頁作成。一息つく。引越の時のまま梱包を解いていなかったアナログディスク(レコード)の箱、二つを開ける。快感。来週末のウクレレブラザース演奏会にお客を誘うためには、チラシ作りだ。明日行われる村の芸能発表会に間に合わせて配るといい、とTさんは言っていたっけ。
11 16 昨日、花野果村で見つけたチラシを頼りに、タイで服を作っている人の作品展示会を見に行く。綿糸を作るところからデザイン、縫製まで自分でやるという考えだそうだ。原理原則を外さない活動こそ自然な創作だ、と再認識する。雨模様の日だった。日暮れ時、所用で佐敷町津波古に行く。この半年で多くの人と出会った場所、津波古。
11 17 ウクレレブラザーズの演奏会のチラシは、名刺大で昨日昼完成。昼、具志頭のMさんに渡したあと、東京のTさんに頼まれていた礎の写真(佐賀県出身の兵士、宮古で戦病死)を撮る。その足で、黎明の塔、健児の塔付近を歩いてみる。重い。曇天のせいもあるのだが、とにかく重い。天気の良いときにまた来て、違いを確かめたいと思った。
11 18 「ぼくの好きなうた」連載70回を書く。夕方、M工房の人達が皆で家に来る。例の服の展示を見に行く道すがら。我が家の食器や戸棚などたくさんのものをこの工房の人達から戴いている。御礼にと言うわけでもないが、炊き込み御飯を作っておいた。昨日、具志頭のMさんに戴いたフーチバーを使うためもあった。戴き物で縁は深まる。
11 19 夕べは、来月上旬の宜野湾市民会館での演奏会の打ち合わせで、首里に行く。車で25分ほどで着く。思ったより近い。クリスマスにちなんだ演奏会、無料のロビーコンサートなのだ。唄、三線、太鼓、踊りで、さてどうクリスマスに繋げるか我ながら楽しみ。「教会いちゃびらなー」を思い出していた、もう一軒の打ち合わせ後帰宅。夜中になった。
11 20 昨日は布団干し、今日は掃除。ウクレレブラザース、ラジオ出演が増え、コザでのライブも入った。昨日は新しいチラシに、そんな情報を入れた。チラシでは私の住処を「タマタマ庵」とした。多摩、玉城、魂魄、の連想など織り込んだ。言うまでもないが、偶々、との駄洒落だ。一昨日の文章もそんな内容。昼からウクブラと行動。FM那覇など。
11 21 夕べ縁あって偶々出会ったTさん、早速、泊まりに来たウクレレブラザースとも意気投合してタイ料理の夜だった。人が繋がっていくことの素晴らしさ。皆でタイのライブを夢見る。今日は富里の井戸、ウザハびら付近、糸数城(通過)で天久での取材へと移動。海沿いの道でラジオ沖縄へ。高良レコード経由して、コザは7th-heavenへ。
11 22 米兵中心のライブハウスで面白いノリだった。演奏後、大勢が話をしていたが、私に話しかけてきたのは岩国から来て二日目、一月にはまた移動という海兵隊員だった。夜中「まーさん家」で食事。今日は雨模様。午後国際通りの「トランジットマイル」で路上演奏するウクレレブラザースに同行。雨は何とか小ぶりの状態だった。ホッとする。
11 23 夕べは料理の準備など、朝からは会場作り。昼は浜辺でのビデオ撮りの手伝い。奥武島へ行く橋の付近から海づたいに、(字)玉城、サチバル、新原、百名と移動。曇りがちで風が強かったが。途中、Tさん、Eさん等に会う。新原の井戸や路地も見る。夜は演奏会。20名以上で盛会。ライブ後は、楽器、唄などのセッションとおしゃべりを楽しむ。
11 24 昨晩の会では「明朗会計」をモットーに「内訳を自己申告するカンパ制」を考案した。ウクブラへのカンパと飲食実費とタマタマ庵への寄付額を用紙に記入して貰ったので明解。今後に生かしたい。今日は彼ら最後の自由時間、で海へ行く。序でに魂魄も見学し、気分を整えてシュノーケリングを楽しめた。夜、明日からの東京行きの準備にかかる。
11 25 早朝、羽田に帰る面々を空港で見送る。別れの感傷がやはりある。一旦帰宅して今度は自分の出発。具志頭東風平南風原那覇。モノレール空港駅で偶然Sさんに会う。搭乗時間ギリギリ。羽田は雨。携帯電話スイッチ入れたとたんにO氏から着信。トントン拍子でTM氏の録音に立ち会う事に。音作り、唄作りの現場にいることの心地よさ。
11 26 快晴。吉祥寺で来年の海外公演に関わる打ち合わせ。国際交流基金の助成申請の締切が今年は早いのだという。舞踊集団の主宰Kさん、舞台作りのSさんと三人で話していたが三人寄れば文殊の知恵、とはよく言ったものだ。公園への路にある喫茶店の落ち着いた佇まいも印象に残る。夕方、所用で成蹊学園付近まで歩く。武蔵野の光が心地よい。
11 27 夕べは吉祥寺の照屋政雄ライブのお手伝い。客席には知った顔も沢山。やはり生演奏は良い。今日は曇り。午後、玉城、具志頭の知人から戴いた芋とンムクジを使ってアンダーギーを作ってみる。娘と。まあまあの出来。夜、恵比寿でライブ。こちらはまた夕べと違う雰囲気。帰りには例によって最寄りのM駅から太鼓を引いて歩く。
11 28 三日続けて太鼓を引いて歩いたせいで筋肉痛。曇り空だが深大寺付近の散歩をする。鬼太郎の店が気になってたこともあった。晩秋の紅葉と初冬の空気。湧水、と言う店の軒下でとろろ蕎麦を食う。土産の乾麺も買う。大太鼓を郵送し締太鼓だけもって立川へ。ここにもまた知人の顔。楽しい演奏。出会い、福生の、立川の、八王子の方々。
11 29 11時前の便で那覇へ、これまたギリギリだった。不思議と眠気を感じない移動。着いた空港では気になっていた食堂でてぃびちそばを食う。旭橋-バスターミナル、のつもりだったが漫湖を眺めていて気が変わり、壺川から第一古波蔵まで歩いてみた。幸運なことに諦めていた東風平経由がちょうど来た。帰宅後、芋ようかんを近所に配る。
11 30 芋ようかんをさし上げたHさんが教えてくれたバザーで茶碗セットを買う。首里城の紙模型の付いた「4年の学習」も。ものを手に入れることより、人と交流できることが嬉しい。近所のTさんが、暮れに玉城中学校で演奏する、大人のバンドに私を誘ってくれた。彼のサックスと私のベースやギターを合わせてみた。ラテン中心数曲。

このページの冒頭に戻る

[BBS] 話そう、語ろう【ここから、今から】何かが 始まる
00 表紙のページに戻る 


← 感じたこと 考えたこと お伝え下さい