■カマブク チンヌク タベタイナー

                替え唄 続くよ どこまでも【その3】


                     ぼくの好きなうた(連載第57回)  らふて いさを                   



勝って カマブク 食べたいな
  誓ちかって チンヌク 食べたいな
手柄 テンプラ 食べたいな
進軍ラッパ 吹きたいな
マグロの刺身も 食べたいな

 はじける三線 震える唄声、その人、登川誠仁のぼりかわせいじんである。昨年の実 況録音CDに、ちょっと恥ずかしそうにこの唄を紹介している声が 入っている。

 戦前から、うんじゅなー、大概てーげー、戦前の方ぬ人ちゅーや、軍歌ん聴き居ちちう るはじ、「勝ってくるぞと 勇ましく」ぬーん 言ちゃいびーたし が、わったーむのー、くりがなー、戦いくさ負けてゐる、・・・・、

 見事。戦負けていることは少国民の誠仁さん、百も承知であった のだ。飢えという「実」と、軍歌の勇ましさという「虚」。
 一年半前、01年3月30日夜、コザはコリンザの劇場あしびなー での「独演会」、私も観客の一人として聴いておりました。全編沖 縄口うちなーぐちでしたから、発売されたCDの日本語訳は大変助けになる。文字の部分は歌詞も含めて小浜司さんの担当、労作だ。
 その年の「春の旅」を思い出します。三分割三線を知花昌一ちばなしょういち氏に頼まれ、出来上がったものを池袋で受け取り、ユニクロで買った小 さな肩掛けバッグに入れての一人旅、最初の目的地は西表いりむてぃ島、祖納すない では初対面の石垣金星さんに本場「鳩間節」を聴かされたのだった。 春の真夜中、田圃では蛙も盛んに唄っていた。その一晩で風が変わ って、それまで連日空を覆っていた雲がすっきりと霽れた翌日こそ、3月30日。青い青い八重山の海を船浦ふのーらから石垣、空の路を那覇なーふぁへ、汗が滲む陽気だ。即刻レンタカーで豊見城てぃみぐしくすばへ、この丘の中腹、 風渡るそば屋さんをやっているのが具志堅京子さんだ。店の席の奥 に嘉手苅かでぃかる林昌さんを描いた油絵がある。

ああ、林昌さんが亡くなったのはその一年半前の99年10月。今 から3年前になるなあ。その年の夏、つまり林昌さんの闘病中だが、 コザの民謡酒場で偶然誠仁さんにあったのだった。直接飲み交わし たのは初めてだった。気さくな人で二言目には「大和ではどうか?」 とか「ああ、きもちわるい〜!」などと言って場を和なごませていた。 (場と言ってもたった五人で飲んでいた、贅沢ぜいたく!)いい気分になり 私が太鼓で飛び入りすると次の曲ではさりげなく誠仁さんも舞台へ、 であの絶妙の太鼓の芸を披露。席に戻ると机叩いて「右左右右左」 なんぞと一節フレーズを教えてもくださった。が、いかんせん、そ の時ゃ既に真夜中で、所はコザの中の町、ほろ酔い気分の誠小せいぐわーと、出来上がりつつあるらふてでは、何の節かも記憶の彼方。
 楽しく飲んでいると、誠仁さんはこういった。
「それにしても気の毒なのは林昌さんだ」
こういう風に楽しく飲み語っていると、こういうことの出来なく なっている林昌さんが心に浮かんでたまらない、と言う意味だろう、 そう私は受け取った。病状思わしくないこと、もう再び唄い語るこ とがないのだと言うことを誠仁さんは胸中で繰り返していたに違い ない、昼も夜も。何とも名前の通り「誠」かつ「仁」。
 興に乗ってサインを頼んだ。紙などあるはずもないので、来てい た無地のTシャツに書いていただいた。今も私の箪笥にそのTシャ ツはある。日付は99年8月22日、ウンケーの前日であった。

 替え歌「たべたいなあ」の本歌「露営ろえいの歌」を紹介しましょう。
 昭和12年(つまり'37年)9月、東京日日新聞と大阪毎日新聞 の主催する懸賞募集で一位入選した「進軍の歌」がレコード化され た。コロンビアレコードの総力宣伝が功を奏したのか売れに売れた そうだが、実は人気が急上昇したのはB面の「露営の歌」だったの だ。懸賞の課題は「大陸席巻せつけん」。いかにもですな。「本土」と「支那」の関係は後々見ていくとして、まずはA面「進軍の歌」の歌詞を見 てみよう。らふてが要約いたしましょう、

朝だ、日の出だ、日の丸だ、天皇から賜たまはつた武器を取れ。
祖国を守るための進軍だ。日の丸掲げて進軍だ。
正義だ、神の国だ、大和魂だ。そうだ万世一系だ。
勲功くんこうを立てた軍人の死体には桜の花が香つてゐる。
光り輝く皇軍の、聴け堂々の進軍歌。

(本多信寿 作詞  筒井快哉 作曲)

ああ気持ち悪い。

次はB面「露営の歌」(一番)

勝つてくるぞと 勇ましく 誓って祖国くにを 出たからは
手柄たてずに 死なりやうか
進軍喇叭らっぱ 聴くたびに 瞼まぶたに浮かぶ 旗の波

二番以下からは象徴的な表現を拾ってみよう。

(大陸の広野を)進む日の丸、鉄兜てつかぶと。馬のたてがみ撫でながら。
弾丸たまもタンクも銃剣も、しばし露営の草枕。
  朱あけに染まってにつこりと笑つて死んだ戦友が天皇陛下万歳と残した声が忘らりよか。
東洋平和のためならば なんの命が惜しかろう。

(藪内喜一郎 作詞  古関裕而 作曲)

 命を捨てて勲功を立てる、か。ああ、虚しい。

 '37年(昭和12年)。大日本帝國は蘆溝橋事件を筆頭に謀略 を含む軍事戦略を中国各地で展開し、12月にはあの南京事件。日 帝の大陸軍事侵略本格化の時期に当たる。その年、満州国建国の'32年に生まれた誠仁さんは6歳(数え)になっている。兵庫県尼崎あまがさきで生まれたあと少年時代に沖縄島は石川に移り(帰り)小学校に 入る頃。次代を担う少国民もその親たちも飢えていた。「国内移民」 たる阪神の沖縄人達も、「皇民たらん」との洗脳を真っ先に受けて いた国内「植民地」の沖縄人も、とにかく飢えていた。肉体的に飢 えていた。

   **ここに省略部分あり、この文章の後に載せてあります**

 沖縄人はよく、魚を揚げて食べる。すり身も切り身も。亜熱帯の 気候風土からの文化だと聞いている。「カマブク」「テンプラ」、ア ンマーが揚げた「ちんぬく」をみんなで最後に食べたのはいつだろ う。新鮮なのを「刺身」で食えるのはいつのことやら。
さあ、みなさんも'37年へと唄の旅をしましょう。吸った息を腹 に溜め、語頭に思いっきりアクセントつけて「露営の歌」の練習を。

ッカッテエー ックルゾオート ッイサマアーシクー
ッチカアッテ ックーニヲ ッデタカラハー 
ッテエーガラ ッタテズニ ッシナリョオーカアー

 次はすいた腹から息を絞るように、幻想の熱々揚げたてを思い描 いて唄いましょう。

「かってー」 カマブク たーべたーいなー あ
「ちかって」 ちんぬく たーべたーいなー
「てえがら」 てんぷら たーべたーいなー
「しんぐんらっぱー」 ふきたいなー
「ま」ぐろのさしみも たべたいなー

 こんなに腹が減っては、戦いくさ出来ぬどころか、喇叭の音もへろへろだぁ。
 虚勢を張った大陸侵略の銃後の飢えを追体験したところで話は三 月末日の「独演会」に戻りましょう。トリは女装した誠小(当然化 粧)の浜千鳥はまちじゅやー、自己流の宴会芸をギャグにしてサービス、というフ リしているが、実は本気と私は見た。終演後は浮いた気分でコザの 街、馴染みの店で山羊ふぃーじゃー刺身、血炒めちーいりちゃー、糸瓜炒煮なーべらーんぶしー。満腹抱えて「なん た浜」に入れば、誠仁さん、定男さん、司さん、善勝さん、政夫さ んとまあ今度は精神的満腹になって夜も更けていくのでありました。

 追記 この後の事は連載40-43回の「四月一日 日曜日(1〜 4)」にあります。ウエッブサイト http://homepage3.nifty.com/I- sa-wo/ でお読み下さいな。このサイトには「いさを」と言う名の 意味を私が再認識した経緯を書いた「イサヲの旅立ち」(連載11〜 14回)や、西表関連の文章などもたっくさん掲示してあります。 面白い写真集もありますので、どうぞ、遊びにおいでなさいませ。

【*字数オーバーで削った「兵隊さんよ有難う」に関する部分をここに載せます(クイパラ通信には未掲載)】

 当時の子供の唄(子供が唄わされた唄)をここで一つ。'39年1月、同じくコロムビアレコードから発売

 肩を並べて兄さんと今日も学校へ行けるのは兵隊さんの御陰です
 御国のために、御国のために戦つた兵隊さんの御陰です

 夕べ楽しい御飯時家内そろって語るのも兵隊さんの御陰です
 御国のために、御国のために傷ついた兵隊さんの御陰です

 淋しいけれど母さまと今日もまどかに眠るのも兵隊さんのお陰です
 御国のために、御国のために戦死した兵隊さんの御陰です

 「戦い」「傷つき」「手柄たてて死んだ」のだ。「命を捨てていさをを残す」これだ。今でも時々飲み屋のコンパなどで「みんな揃って賑やかに今日もお酒が飲めるのは○○さんのお陰です、○○さんよ有り難う」などと戯けて放歌しているのに出会うと、私はドキッとするのだ。これもまた「いさを」という名であるが故にか。

 明日から支那の友達と仲良く暮らして行けるのも兵隊さんの御陰です
 御国のために、御国のために尽くされた兵隊さんの御陰です。
 兵隊さんよ、兵隊さんよ、有り難う

 (「兵隊さんよ 有り難う(皇軍兵士に感謝の歌)」
          作詞 橋本善三郎  作曲 佐々木すぐる)

 学校に通う兄さんと母さんと私はここ、銃後にいる。父さんと上の兄さんは戦地に行って(まだ)帰ってない、それにしても腹は減るなあ。

たべたいなあ。

 ふつう、沖縄人は魚を揚げて食べるのだ。すり身も切り身も。亜熱帯の気候風土からの文化だと聞いてる。「カマブク」〜


【参考】
 「CD」登川誠仁独演会(せー小の歌とトーク) 01年ンナル フォン38NDC27,28
 日本軍歌大全集 長田暁二 全音楽譜出版社
島唄-オキナワラプソディ-登川誠仁伝 森田純一 荒地出版 02 年
登川誠仁自伝(オキナワをうたう) 登川誠仁(構成 藤田正) 新 潮社 02年
 高等学校 琉球・沖縄史 沖縄歴史研究会 新城俊昭 東洋企画


   



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