■戦友に御用心(いさをの命日を前に)(戦友・その3)

         ぼくの好きなうた(「クイパラ通信」連載 第51回)  らふて いさを
                   



ここはお国を何百里 離れて遠き満州の
赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下


 以前一度取り上げた「戦友」である。
 話は飛ぶが、私は某私立中学校の教師である(今は)。「山椒魚」なんぞを14、5歳と読むのである。繰り返し何回も。ある日、井伏鱒二の「自選全集」の一冊を手にとり、なにやら面白い話のネタはないものか、と思いめぐらしていると、「戦友」と言う字が目に飛び込んできたではないか。
 戦時中、東南アジアなどに行っていた鱒二であるから、その頃の思い出話か、と想像していたら、さにあらず。とある宿泊施設の宴会中に起こる、戦後の、盗難事件の話。
 事件発覚後、刑事が被害者達にこう問うのだ。
「もしや、宴会で『戦友』を唄いませんでしたか」
 被害者たち、
「唄いましたが、それが何か?」
 刑事が言うには、同世代が興に乗ると軍歌が出ることは多い、賊は宴会場に出入りする人間が居なくなる好機を窺っている。歌にも色々あるものだが、「戦友」が出てくるのを賊は心待ちにしているのだ、とのこと。
 らふてが整理して説明しよう、つまり「戦友」は、

1 長い。十四番まである。
2 長い。テンポが遅いから。(らふて今しみじみ歌ってみたら1番に35秒かかった)
3 人を惹きつける。詞が物語りだから。皆が筋を追う。
4 人を惹きつける。詞が物語で、情景が連続して展開 するから。

 詰まるところ人々はお手洗いにも行かず、唄に酔うことになる。その時間は、35秒×14番+α(唄の後の余韻に浸ったり、誰かが話し始める物語に耳をそばだてる時間)で、短くても八分、長ければ20分〜30分。
 賊は悠々と仕事を終え、闇に消えて行く。

 唄は危険な力を持つ。死んだ戦友の魂との交感の場、後生と現世を繋ぐ危険な時間を作ってしまう唄者、嘉手苅林昌はライブで「戦友」を唄った直後には(直後でなければその危険な時間はますます持続し、本人の手には負えなくなるのだ、そこで)「南無阿弥陀仏」やら「終わり!」やらの言葉でその時空を異化しようとする。それをちょっとした驚きとともに受け止めた聴衆が、クスクスッと笑うことでこそ、その場に居る人々の安全が取り戻せるのだということを、彼は熟知している。

 気付かずにいる人々を狙うのは得体の知れない「魔」ばかりではなく、現世的な金品に惹きつけられる賊だったりもするわけである。
 ああ、こわい。

 鱒二の言わんとしたことはこれだ、と言いがたい所こそが、鱒二らしさと言えるだろう。「戦友」という唄の力、のおこぼれにあずかるコソ泥の哀れ、や刑事の口から唄を聴かれる場面の持つ「ずれた」感じ、等々。それらも鱒二らしさの一端なのかも知れない。
 コソ泥が仕事中にいつの間にか「戦友」を口ずさんでいたり、警察が「戦友に御用心」なんて標語を掲げたりする、ちょっと面白い短編映画を撮ってみたい、などと思った私です。

 さて、居間の棚の端に「CDブック・戦争と流行歌」があります。久々に手にとったら、曲目索引で「戦友」は再頻の6回!
 以前私がまとめた以上に詳しいので一部引用します。

〜(日露)戦争のさ中に民間から生まれたのが「戦友」であった。この歌は、1905年(明治38)当時、京都師範附属小学校の先生だった明星派詩人真下飛泉が学芸会で行った児童劇のために作ったもので、作曲を当時京都の中学校教諭だった三善和気(後、宝塚少女歌劇学校講師、宝塚歌劇団作曲家)に依頼したもの。05年9月『学校及家庭用言文一致叙事唱歌』第三篇として、 〜 出版されたが、この『叙事唱歌』は全部で十二篇、一人の兵士が出征して負傷し、帰郷して村長に選ばれるまでの物語で 〜 
 もともとは小学校児童に歌わせ演じさせるためのもので、関西地方の多くの小学校で歌われていたが、口語体の歌詞で歌いやすく、楽譜が出てから演歌師によって全国に伝えられて大人も歌う流行歌になっていった。 〜 
 “厭戦的”な軍歌として、昭和の軍国主義全盛期には歌うことが禁じられたのである。第二次大戦が終わって18年目の1963年(昭和38)大阪労音の例会でアイ・ジョージが「戦友」を歌い、賛否両論が湧き起こった。 〜 

 正月の恒例として父方の親戚の集まりに行くと、必ず、祖母(1900生まれ)は「戦友」を唄った。丁度そのアイ・ジョージの頃である。
 祖母は唄いながら微笑んでいるようにさえ見えたのだが、十人程の孫達の中の一人は、あなたが愛した厭戦家の甥(「学徒出陣」で召集され、一年余りの後に沖縄へ向かう輸送船もろともに撃沈された--1945・3・24歿)の名を戴いた私でした。名付けたのは他でもない貴方でした。孫の世代でそれを知っていたものは当時は一人もいなかった。どうして、私は貴方の微笑みをこんなに印象的に覚えているのでしょうか。

   やはり、やはり、畏るべし、「戦友」

 
【参考】 戦争と流行歌(社会評論社 95年 CDブック)

嘉手苅林昌 唄と語り
(もしもしちょいと林昌さんわたしゃアナタにホーレン草) ビデオ ビィーライン

日本軍歌大全集 長田暁二 全音楽譜出版社

日本唱歌集 堀内敬三・井上武士、編 岩波文庫


【ルビ】

野末     のずえ
山椒魚    さんしょううお
井伏鱒二   いぶせますじ
窺って    うかがって
惹きつける  ひきつける
浸ったり   にたったり
悠々と    ゆうゆうと
後生     ぐそう
繋ぐ     つなぐ
嘉手苅林昌  かでぃかるりんしょう
狙う     ねらう
真下飛泉   ましもひせん
三善和気   みよしかずおき
厭戦的    えんせんてき
湧(ママ)き起こる  わきおこる
微笑んで   ほほえんで
甥      おい
戴いた    いただいた
貴方     あなた
畏る     おそる



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