■ 全生園ぜんしょうえんの花、シ合わせの花

ぼくの好きなうた 64


 ご近所、野川沿いの桜が満開だ。今日は方々の学校で入学式だと聞いている。小学校一年の春を思い出す。

 64年。滋賀県の農村で小学校に入学。田圃たんぼ小径こみちを毎日通った。一時間近く歩いて。菜の花のむせるように甘い香りと新品のランドセルの牛革の匂い。蓮華れんげの鮮やかな赤とその蜜のほのかな甘さ。小川の目高めだか小海老こえび

 思い出したきっかけは昨日の散歩。東村山にある多磨全生園たまぜんしょうえんの桜が目的だった。「自由に枝を伸ばしている桜の大木は他の場所では見られない、是非見においで」と知り合いの踊りの先生に誘われ、三線を肩に掛けて出かけたのだが、見事な桜色の下には大人の背丈ほどの菜の花がこれまた満開で、なんとも素晴らしかったのだ。菜の花から漂う独特の香りが私を六歳の少年に戻した。いやいや菜の花のせいだけではない。その場所の「気」とでもいうべきものが幼時の記憶を刺激したのだ。

 あいにく当の先生にはお目にかかれなかったが、この「気」に触れた仕合わせは何にも代え難い。

 樹齢五十年、自由奔放に育った桜達と対を為して、入念に手入れされた花や木も沢山あって、全生園ぜんしょうえんは全体がさながら一つの庭園を為している。それを創り維持してきたのは、過った(悪意に満ちた)国政によって、あるいは無責任な偏見によって差別され、隔離されてきた人々の「手」なのであった。その佇まいに触れて私は、野放図に「発展」してきた都市の風景の対極に癒されたわけだ。

 こういう特別な感慨はじわりじわりと私の中に醸し出されるものであり、それが低速度である分私の中から失われる可能性も低い。「気」の力とはそう言うものでもあるだろう。

 まことによい散歩の締めくくりは資料館の見学であった。ハンセン氏病(らい菌による感染症)に対する政策のあやまりや差別の歴史を静かに物語っている展示館だ。館を出て再び花々や宿舎のなす景色に入り込み、一人ゆったりとその空間を通過しながら、歴史の時間を感覚的に反芻はんすうする。

 梅林の脇を通って、ひいらぎの垣を横切るとそこは外界である。当地の地名は東村山市青葉町。青葉の季節はすぐそこだ。小さな停留所で久米川駅行きのバスを待ちながら思うのは、地球の未来のイメージだった。

 未来と言えば、海の向こう、アジアの果ての人々の未来である。58年前の東京の焦土を想像しつつ、今日の、明日の、明後日のバグダッドを想像する。砂漠の国境地帯を想像する。

 バスに乗る。三線を肩から外し腰を掛け深呼吸。新しい空気を吸った私は、今度は数日前の自分の演奏を思い出す。

 四月四日。「死に死を重ねる日」を、「仕合わせの日」と読み替える替え歌を私は作って唄った。

ドはドーナツてるんだぃ、ジョージ=ブッシュ!
ミはみっともないぜ、小泉純一郎!
ファイトが好きで
空には戦闘機
死を重ねていく------
もう、そんなこたぁ、お止めなさい、
その代わり、唄いましょう
 
ドミミ、ミソソ、ミファファ、ソシシ、----
ソ、ド、シ、ファ、ミ、ド、シ
ソ、ド、ソ、シ、ド、シ、ド〜

どんな時にも、みんな集い、
ファイトは止して、空を仰いで、
シ合わせの唄、
さあ、唄いましょう、さあ踊りましょう
さあ、唄いましょう、さあ踊りましょう

(「ドレミの唄」を「ドミファの唄」にしたのが十年ほど前【http://homepage3.nifty.com/i-sa-wo/uta-odo1.htmlで視聴できます!http://homepage3.nifty.com/i-sa-wo/sub41.html/#pもお読み下さい。】、今回はその替え歌。)

 ライブ企画者ホーテン氏の発した NO WAR! NO CHARGE!の掛け声よろしく木戸銭無しの満員御礼、アロハイサイ。反戦の意思表示としての「NO WARウェーブ」では見事に人々の手が波になって、会場の空気を前後に送る。これまたひとつの「気」を為した。

 アンコール曲は「花」。

 昌吉の花は散る花ではなくいつの日か咲かせようと祈る花。昌吉も含め今年になってからイラクを訪問した沖縄人うちなーんちゅーも多い。新聞などでも盛んに報道されていた。思い出しつつ演奏している私の頭の上を戦闘機が飛んでいる。

 その日の演奏者、全員のセッション。

泣きなさい、笑いなさい、
いつの日か、いつの日か
花を咲かそうよ

 ナチブー(井上ともやす+チルーのユニット)は「泣き虫」の意。二人笑顔で唄っているが、心の中は泣いている。ウクレレブラザースの電気ウクレレも泣いている。フラの踊りも泣いている。顔ではみんな微笑んで、当地はその名も、アラ、「恵比寿」。お客もみんな恵比寿顔。アロハイサイの夜は更けて仕合わせの日は過ぎて行く。

 楽器片付け店を出ると、冷たい雨が降っていた。

 濡れた恵比寿の街を抜け、深夜の多摩へと帰って行った。

(恵比寿にも、東村山にも、多摩にもお別れ。移住を目前に、今回やや感傷的ならふてでありました。)


【参考】
http://www.hosp.go.jp/~zenshoen/【国立療養所多磨全生園
nachi-boo
ウクレレブラザース



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