■ 羊

ぼくの好きなうた 61


 いい正月そーぐわちでーびる

 新年である。この通信が皆さんの手に渡る頃は太陰暦で も新年、癸未年みづのとひつじとなっていることでしょう。皆さん、一つ歳を取りましたな。壬午みづのえうま大晦おおみそかを越されたのですから。過去に向かっておめでとう。また、新しい歳の収穫の予祝と しても、おめでとう。 

 が、ちょいと見回すとたちまち此処彼処ここかしこから妙な焦臭さが漂ってくる御時世。年を越してなお前の見えない幾つもの気がかり。

 宮古の廃棄物処理場はどうなったのだろう。

 西表の巨大開発(=自然破壊)工事が進んでいるのか。

(宮古も八重山も市町村合併の話題と絡んで焦臭い)

 そして大浦湾は? 泡瀬は? 

 いずれも大規模施設に関連している。大規模施設と言うことはすなわち大勢の人の利害と関わらざるを得ず、従って、地元の人々(少数の者)に何らかのしわ寄せが訪れる。その皺の襞襞ひだひだの全てに大なり小なり金が絡んでいる。金は常に数字で計られる。

 そう、数量で比べられない金などと言うものはあり得ないのだった。

 私の好きなものは「うた」である。唄は数量とは縁遠い。その縁遠さ持つの喜びと、縁遠さから来る強みを、今年も書きつづることになるでしょう。

 年頭の御挨拶がだらだら続いてしまった。ここで紙面に精神を吹き込むべく、山之口貘やまのぐちばく(1903〜1963)の「羊」から少々。多分四周り前のひつじ年、55年の正月の作品と思われる。貘さん数えで53歳。

ところが地球の上には
死んでも食いたくないものがあって
それがぼくの顔みたいな
原子爆弾だの水素爆弾なのだ
こんな現代をよそに
羊は年が明けても相変らずで
角はあってもそれは渦巻にして
紙など食って
やさしい眼をして
地球の上を生きているのだ
  (「羊」より、終わりの部分)
  

 最近私に届いた知人の手紙に「今米国の保有している核爆弾は広島型に換算すると二百万発分です。二百発ではありません」とあった。あらら、また数字の世界に呼び寄せらた。くわばらくわばら、早く唄の世界に戻らなくては。

 「全ての武器を楽器に」と言うスローガンは比較的好きだ。「羊の角に見習おう」も良い言い回しじゃないかと思うが、皆さんいかがです。

 事のついでだ、貘さんの核爆弾の詩をもう少し。

ところがその夜ぼくは夢を見た
飢えた大きなバクがのっそりあらわれて
この世に悪夢があったとばかりに
原子爆弾をぺろっと食べてしまい
水素爆弾をぺろっと食ったかとおもうと
ぱっと地球が明るくなったのだ
  (「貘」より、終わりの部分)
地球の上はみんな鮪なのだ
鮪は原爆を憎み
水爆にはまた脅かされて
腹立ちまぎれに現代を生きているのだ
ある日ぼくは食膳をのぞいて
ビキニの灰をかぶっていると言った
女房は箸を逆さに持ちかえると
焦げた鰯のその頭をこづいて
火鉢の灰だとつぶやいたのだ
  (「鮪に鰯」より、終わりの部分)

いずれも詩集「鮪に鰯」に、相前後して載せられている。

 ビキニ環礁付近で第五福竜丸が死の灰を浴びたのが54年。(そのことから考えて先程「羊」は55年作と推定したのです)。今年は山口重三郎(山之口貘)生誕百年である。その一世紀の時間は「二十世紀」とおおよそ重なるのだが、世紀後半の五十年に我等が経験した戦争・軍事の歴史を振り返りつつ「羊に角を見習う」精神を語りたいものだ。

 そして地球だ。今回引用のどの作品にも「地球」が出ている。貘さんの「地球」はたくさんあって、そして一つだ。
「九月一日の/地球がゆれていた」(その日その時)の大地であり、
「こんな景色のなかに/神のバトンが落ちてゐる/血に染まった地球が落ちている」(喪のある景色)現世であり、
「すったもんだのこの世の中から/地球をどこかへ/さらって行きたいじゃないか」(船)救われるべき社会である。

 二十歳で首里を離れ、そんなに長くとどまるつもりではなかったであろう東京で彼は震災に遭う。大杉栄おおすぎさかえはその半月後に虐殺されるが、彼の無政府主義思想は重三郎の胸の中にも残ったとらふては信じる。大正・昭和の四十年を東京(と疎開先の茨城で)暮らした貘さんは何時も琉球・沖縄を想い、「日本」を想い「世界」を思っていたのだが、彼の視点は世界を客観的に眺めるべく地上から飛び立ち、その愛すべき想いの対象は「地球」となることが多かった。

 さて、ある時期「一匹の詩人」は「紙の上にゐて/群れ飛ぶ日の丸を見上げては/だだ/だだ と叫んでゐ」た。

「『戦争』がいへ」なくて「だだ/だだ と叫んでゐ」た。

 戦後、貘さんが熱弁(?)ふるう様を娘の泉さん(1944〜)が綴っている。その引用で今回を締めくくることにする。自分の遊び友達が詩人年表を作るべく貘を訪ねたときで、彼女は四年生か五年生だったという記憶、やはり54年の前後。

 〜やっと現代詩に辿たどり着いた。と、ほっとする間もなく、軍国主義と戦争について、彼女が脅えてたじたじとなるほど激しく語り、それらが人々の精神と言論の自由を如何に妨げねじ曲げていったか、如何に人々が時勢に勝てなかったか、何と多くの詩人達が戦争礼賛の詩を書いたか、と嘆き、しかる後にようやく、話は《現在》になった。 (「沖縄県と父・など」山之口泉、より)


 【参考】
  鰯に鮪 山之口貘 64年原書房
  山之口貘詩集   88年思潮社


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