あなたの「海」はどんな海?  

02/04撮影
 私のとっておきの海は、沖縄島にあります。春の真夜中、静まり返った水面に手を入れたら水の動いた所だけキラキラ光るのです。夜光虫なのでしょう。宝物を見つけた思いでした。真夏の満月も素晴らしい。まだ明るい空に月が登り始めます。そのうち私と月の間にある海面が月光を反射し始めます。空の藍が深くなり月の輪郭がはっきりしてくると海面の光も強くなる。その移ろいがその場の時間そのものでした。幸せの実感。海と空に感謝、地球に感謝。
 最近東京で、その海岸の村で育った人と会う機会があり、話してみました。すると、いつもより一層澄んだ目をしてこう言うのです「若い頃、夕方浜にいるとね、月光に煌めく海の道を横切るものがあるんだ。漁から戻ってきたサバニ(手漕ぎの舟)さ」
 私の「とっておきの海」に、彼の記憶の景色も加わりました。言葉のやり取りが私達の幸せをふくらませてくれたのです。


無念の死を引き受ける  
 

故郷と疎開先を往還した、東支那海
 彼には九州への疎開経験があります。一緒に那覇港を出た疎開船の一隻は魚雷で沈められた対馬丸です。辛い辛い海の記憶。戦後、故郷に戻ったら激戦のため海岸や丘の形までが変わっていたそうです。沖縄人は四人に一人が戦争でなくなったと言われます。彼はまさしく生き残り。今は沖縄戦研究の第一人者です。小説やシナリオも書いています。言葉の力を信じる人間の一人であるといえましょう。


無念の死を引き受ける  

平和の礎 静岡県 部分
 沖縄戦の始まる直前の三月二十四日、多くの兵隊を乗せ那覇に向かっていた船団が空襲で撃沈されました。死んだ一人の学徒兵の叔母(母親代わり)は、彼が戦争そのものを嫌っていたことをよく知っていました。残された者の思いの表れでしょう、彼女は自分の孫の一人にその甥と同じ名を付けました。それが私です。私は今四十四歳になっていますが、彼が殺されたのは二十二歳の誕生日の直前のことでした。
 沖縄戦の戦死者を刻んだ平和の礎には彼の名もあります。春、沖縄にいるときには、私は必ず摩文仁を訪れます。「生き残り」の一人として。平和の礎にはいつも海からの風が吹き渡っているように感じます。

 言葉の力を信じましょう。言葉あっての人生です。




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