羊水のぬるみは母の体温である。 母の心臓の鼓動、母の肺を出入りする風の音 母の消化管の活動や母の性の躍動、全身で感じながら、 私は時の流れに身を任せていた。 そして、空気中に私は躍り出た。 うたをうたった。全身で。力を込め。 しばらくして、力込めぬ唄もあることを知る。 力まず、しなやかに、人から人へ伝えられてきた思いこもる唄。 思いが声にのって、さらさらと身に沁みこんでくる唄。 --人間が本源的に持っている「唄」の衝動は幾つかあるそうだが、その一つは子守唄であると言われている-- 天てぃんからの恵みぐみ 受きて此くぬ世界しけーに 生んまりたる産し子なしぐわ 我わー身ぬ守むい育すだてぃ イラヨーヘイ イラヨーホイ イラヨー愛かなし思い産子うみーなしぐわ 泣くなヨーや ヘイヨーヘイヨー 太陽てぃーだぬ光受きて ゆういりヨーや ヘイヨーヘイヨー 勝まささあてぃ給たぼーり (天からの恵み 受けてこの世界に 生まれたわが子よ 私が守り育てるよ 愛しいわが子よ 太陽の光を受けて 命の加護を十分にいただいて) 新しい生命が現れいでることは、そのこと自体がもう奇跡と言える。新しい生命は、それ自体が「性の仕組み」を得て「母」を通って現出したのであって「性の仕組み」や「母」がそれを作り出したのではない。 ああ、こうやって「生」を文字で書くとは何とももどかしいこと。 前号(クイパラ通信58)で市原千佳子さんが引用されていた立花隆の表現は実にいい、孫引きさせていただく。 (生とは)根源的宇宙エネルギーが分割分有されること その通り、やはり童は神、それ以外ではあり得ない。 しかし、ああ、もどかしい。 やはり、唄は唄として、スゴイんだから、ああだのこうだのいうことは程々にして、皆さん唄いましょう、 てぃーんからーぬーみーぐーみー うーきてぃくーぬーしーけーにー んーまりたーるー なーしーぐわー〜 私がここで赤ん坊にこの歌を聴かせている--つまり、この唄声は私の心と身体を発して、この世界のちょっとの距離を通過し、まだ唄(言葉)の何たるかを知らぬ童神の心と身体に沁み込んでいくのだ。 四 四上 中 工 五 七 工 ○ 五 七 工 中 中 上四 上 ○ 五音の音階(西洋風に言うとドレミソラ)、呂やら律やらと呼ばれるものである。そしてこれをAとすれば、続くA’、Bのあとでは、 四 七七 六 工 五 中 工 中 と、オクターブ上昇というダイナミックな動き! そしてその直後に、哀愁を醸し出す「六=シ」が登場だ。 半音のない五音音階に半音の下降で、さりげなく変化を醸し出すのだ。 ここで、話はもう一つの「オクターブ×哀愁」に移ります。 懐なちかしアルバムめくり かふーしどーんでぃ言葉くとぅばかき 何時いちん何時迄までぃん胸の中 心くくる掛きゅるあぬ人ゆ (涙なだそうそう、作詞 森山良子 訳詞 新城俊昭) この歌も 合 乙四 合 乙四 四 上四 中 ○ と、五音音階(呂あるい律)で始まり、その後、 乙 四上 合工〜 と、ここでオクターブ上昇が出てきます。直後、 尺中 上(乙)〜 と、「ファ=尺」(第四音)が登場、音階が変化をきたし西洋の長音階となってこれまでと異質の「ヨーロッパ的哀愁」を帯びて旋律はやはり下降。続いて、 (上)乙 四上 上 ○ でA旋律終了、繰り返すA’ではオクターブ上昇後の締めくくりにもう一つの「西洋長音階風」の「シ=老」が登場です。 乙 四上 合工 尺中 上乙 老四 四 ○ サビの後の最終部分は、同型で、 乙 四上 合工 尺中 上乙 老四 四 ○ (思うむいや 勝まさ てぃ 涙なだ そう そう ) 生誕という宿命的な出会いと、涙そうそうの別れ。どちらも最近、夏川りみがカバーして話題の曲。その上、噂によると「童神」は(もと「赤い鳥」の)山本潤子のカバーで「みんなのうた」で流れているとか。 まあ、皆さんは聴くより唄う、でいきましょうね! |
【参考】 CD 童神 古謝美佐子 97年 DM001 DISK MILK 「童神」は 作詞 古謝美佐子 作曲 佐原一哉 CD 於茂登岳男 ビギンの島唄 00年 TECH20647 「涙そうそう」は 作詞 森山良子 作曲 ビギン |
![]() |
![]() |
← 感じたこと 考えたこと お伝え下さい |