■生まれたことと唄うこと

                

           ぼくの好きなうた(連載第50回)  らふて いさを                   




羊水のぬるみは母の体温である。
母の心臓の鼓動、母の肺を出入りする風の音
母の消化管の活動や母の性の躍動、全身で感じながら、
私は時の流れに身を任せていた。

そして、空気中に私は躍り出た。
うたをうたった。全身で。力を込め。

しばらくして、力込めぬ唄もあることを知る。
力まず、しなやかに、人から人へ伝えられてきた思いこもる唄。
思いが声にのって、さらさらと身に沁みこんでくる唄。

--人間が本源的に持っている「唄」の衝動は幾つかあるそうだが、その一つは子守唄であると言われている--

てぃんからの恵みぐみ 受きて此ぬ世界しけー
まりたる産し子なしぐわ 我わー身ぬ守い育すだてぃ
 イラヨーヘイ イラヨーホイ
  イラヨー愛かなし思い産子うみーなしぐわ
 泣くなヨーや ヘイヨーヘイヨー
  太陽てぃーだぬ光受きて
 ゆういりヨーや ヘイヨーヘイヨー
  勝まささあてぃ給たぼー

(天からの恵み 受けてこの世界に 生まれたわが子よ 私が守り育てるよ
 愛しいわが子よ 太陽の光を受けて 命の加護を十分にいただいて)


 新しい生命が現れいでることは、そのこと自体がもう奇跡と言える。新しい生命は、それ自体が「性の仕組み」を得て「母」を通って現出したのであって「性の仕組み」や「母」がそれを作り出したのではない。
 ああ、こうやって「生」を文字で書くとは何とももどかしいこと。

 前号(クイパラ通信58)で市原千佳子さんが引用されていた立花隆の表現は実にいい、孫引きさせていただく。

(生とは)根源的宇宙エネルギーが分割分有されること

 その通り、やはり童は神、それ以外ではあり得ない。
 しかし、ああ、もどかしい。
 やはり、唄は唄として、スゴイんだから、ああだのこうだのいうことは程々にして、皆さん唄いましょう、

てぃーんからーぬーみーぐーみー
  うーきてぃくーぬーしーけーにー
んーまりたーるー なーしーぐわー〜

 私がここで赤ん坊にこの歌を聴かせている--つまり、この唄声は私の心と身体を発して、この世界のちょっとの距離を通過し、まだ唄(言葉)の何たるかを知らぬ童神の心と身体に沁み込んでいくのだ。

  四  四上 中  工  五  七  工  ○
  五  七  工  中  中  上四 上  ○

 五音の音階(西洋風に言うとドレミソラ)、呂やら律やらと呼ばれるものである。そしてこれをAとすれば、続くA’、Bのあとでは、

  四  七七 六  工  五  中  工  中

 と、オクターブ上昇というダイナミックな動き!
  そしてその直後に、哀愁を醸し出す「六=シ」が登場だ。
半音のない五音音階に半音の下降で、さりげなく変化を醸し出すのだ。

 ここで、話はもう一つの「オクターブ×哀愁」に移ります。

 懐なちかしアルバムめくり かふーしどーんでぃ言葉くとぅばかき
 何時いちん何時迄までぃん胸の中 心くくる掛きゅるあぬ人ゆ
  (涙なだそうそう、作詞 森山良子 訳詞 新城俊昭)

 この歌も

  合  乙四 合  乙四 四  上四 中  ○

と、五音音階(呂あるい律)で始まり、その後、

  乙  四上 合工〜

と、ここでオクターブ上昇が出てきます。直後、

  尺中 上(乙)〜

と、「ファ=尺」(第四音)が登場、音階が変化をきたし西洋の長音階となってこれまでと異質の「ヨーロッパ的哀愁」を帯びて旋律はやはり下降。続いて、

  (上)乙 四上 上  ○

でA旋律終了、繰り返すA’ではオクターブ上昇後の締めくくりにもう一つの「西洋長音階風」の「シ=老」が登場です。

  乙 四上 合工 尺中 上乙 老四 四 ○

 サビの後の最終部分は、同型で、

  乙 四上 合工 尺中 上乙 老四 四 ○
 (思うむいや 勝まさ てぃ 涙なだ そう そう )

 生誕という宿命的な出会いと、涙そうそうの別れ。どちらも最近、夏川りみがカバーして話題の曲。その上、噂によると「童神」は(もと「赤い鳥」の)山本潤子のカバーで「みんなのうた」で流れているとか。
 まあ、皆さんは聴くより唄う、でいきましょうね!


【参考】

CD 童神 古謝美佐子
    97年 DM001 DISK MILK
 「童神」は 作詞 古謝美佐子 作曲 佐原一哉

CD 於茂登岳男 ビギンの島唄
  00年 TECH20647
 「涙そうそう」は 作詞 森山良子 作曲 ビギン

   


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