2000年1月27日に急逝した、どんとの死亡広告を新聞で見たときの驚き、悲しみは忘れられない。

 ■ずっと好きでいるからね(あるいは、残された者として)


            ぼくの好きなうた(連載第26回)  らふて いさを                      



 めでたい。こうしてここにいること。
 めでたい。こんなふうにして命がつづくこと。


 これは前回(「お月様今年も有難う」)の書き出し、「ここにいなくなること」が起こりうるからこそ、ここで新しい年を迎えるめでたさがあるのだった--------

 どんと(久富隆司(くどみたかし))よ。

 新年(陰暦)を迎える七日前に逝ってしまったあなたに、何を書こう。

 大垣、京都、東京、ニューオルリンズ、沖縄、・・・
 ローザルクセンブルグ、ボ・ガンボス、どんげんショー、・・・

 僕は特に親交があったわけでもないし、熱狂的なファンでもない。ただ、あの日、四年前の一月四日(陰暦)木曜日の「島唄楽園ライブ・イン・クアトロ」(東京・渋谷)のあなたを忘れることはできない。
 ベースとパーカッションの演奏に乗せて三線を弾きまくり踊りまくり汗と唾を飛ばして叫び唄ったあなたは、長身に緑色の着物をまとい赤い花束を口にくわえ、客を十分に酔わせた。
 続いて前川守賢(まえかわしゅけん)を加えてからのステージはワタブーショーならぬどんげんショー。いつ果てるともしれぬ「ちょんちょんきじむなー」(八分近くの演奏)、セミアコギターを弾きまくり、真南風(まふぇー)と中野律紀(なかのりっき)を加えてフィナーレ「かなさんどー」では三番でソロを取ったときに即興で、

 ずっと好きでいるからね
 すっと好きでいてよね
 不思議なくらいこんなにも
 あなたがとても好きだから
  忘(わし)んなよーや 忘んなよー
  我(わ)ね思(うむ)とんどー 愛(かな)さんどー


 一人大和口(やまとぅぐち)で朗々と唄い四番の律紀に引き継ぐ。最後に舞台上の全員のリードを取って、

 清(ちゅ)らさる花の 散りるとん
 二人(たい)し咲かする 花でむぬ
 たとい嵐の吹ちやてん
 可愛(かな)さし行かやー 我ったー二人

  (かなさんどー 前川守賢)
  
 プログラム最後のこの曲の終わりをギターの和音で締めくくるとき、多分前に演奏した「きじむなー」と勘違いしたのでしょう、12フレットのポジションでEmを弾いてしまい、しまったー、と言うお茶目な表情でベースのさちほさんに目配せをしてからもう一度Eで締め直し、おまけにサービスか手癖か、一寸だけ「魚ごっこ」のイントロに似たフレーズを弾いていましたね。
 着流しの長身にクリーム色のセミアコを抱いた姿が、今再び僕の滲んだ目に浮かびます。
 アンコールでは再び三線に持ち変えて「遊び庭(あしびなー)」「豊年音頭」「唐船(とーしん)どーい」。汗一杯の冬の夜。
 打ち上げは六本木島唄楽園でした。開店祝いの宴会であなたが演奏してからまだ数か月しかたっていなかった。偶然正面の席に座った僕がまず驚いたのは、あなたがアルコールを一滴も受け付けないと言うこと。以前からの勝手な印象で演奏中も素面(しらふ)ではあるまいと考えていた僕はびっくり。さちほさんとの鴛鴦(おしどり)ぶりにもあてられました。舞台から下りたあなたは一回り小さく、それでも顔と体は大きく、人当たりは丸く温かな感じの青年でした。

 大和(やまとぅ)に生まれ育ち、海の向こうからやってきた音楽にさらされ、それに惚れ込み、その営みの中に自分を創造しようとし、海を渡って各地の音楽家と交わり、唄うこと弾くことこそがそのまま人生という旅なのだ、とその旅を生きて駆け抜けたあなた。
 唄の伝統のほとんどを失っているこの百年ほどの大和の歴史の中に生まれてしまった僕もつまり同類。
 今僕は、大和人である何人かの友人を思い浮かべている。ある者はブラジル音楽に、ある者はアイルランド民謡に、ある者はニューオルリンズ音楽に、ある者はニューヨークのジャズに、あるものは西欧近代の音楽に、そしてある者は琉球の唄に----同期する自分の身体を乗せ、同調する自分の思いを展開して見せようとしている。たとえて言えばそれぞれの大和人は異郷の言葉で自分の詩を綴っているのだ。
 世の中には器用な者もいれば不器用な者もいる。
 どんと、あなたは決して器用ではなかった。一つ一つの思いを少しも曲げずに音楽の時間の流れに打ち込んで音やリズムを拓いていく人だった。
 唄を愛し、唄に愛され、ビートに合わせて体を動かし、若い頃からギターをいじり、三十前後から三線を持った同時代の大和人の似たもの同士の一人として、僕はあなたを忘れることはない。

 沖縄に移住する大和人の新しい道を拓くべくあなたは、自宅録音のCD作りとライブ活動に専念していた。作詞、作曲、ジャケットイラストやデザイン全てに自分らしさを探り「ディープサウス」に飛び込んでまた新しい自分を作っていこうとしたこの輝ける時間を残った僕たちは行ってしまったあなたの「晩年」と呼ばなければならなくなったのですね。

 ここまで書いていて、やっと深い息がつけるようになりました。  朝日の朝刊の「名護にジュゴンの楽園--辺野古(ひぬく)沖数十頭か」、ヘリから撮影したジュゴンのカラー写真も鮮やかな社会面を見ながら、午前中に仕上げる予定だった原稿の内容にその「楽園」のことを絡めようかと考えていたときでした(「島唄楽園」のことも書こうとしていたのです)。同じ紙面にあなたの訃報(ふほう)を見てしまってから半日、まだしばらくはあなたを思うだけです。

 ハワイは暖かいのでしょうか。
 そろそろ火葬されている頃なのでしょうか。
 魂は地球上のどこを旅していることでしょう。
 神々の世から僕たちを眺めていて下さい。さようなら。

                      (00/01/31-月)



【参考資料】

島唄楽園  6、7、8号(95-96年) パワーハウス

朝日新聞   00/01/31 朝刊

沖縄タイムス 00/01/29 夕刊

ボガンボス時代のビデオクリップ
 魚ごっこ / なまずでポルカ / BO&GUMBO DISCO / 絶体絶命 / THAT'S ALL RIGHT / SHAKE /
 MARDI GRAS IN NEW ORLEANS / ブクブクマンボ

島唄楽園ライブインクアトロの記録(私個人の記録ビデオ)
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