前泊浜には二旗が立ち並び、二艘の舟も準備され、いやそれより前に前泊御願での儀式も滞り無く済んでいるのだろう、私は見てはいないのだが。離れたところから眺めているので、弥勒節は小さく、周りの蝉の声が賑やかだ。晴れ晴れとしたその場に三番旗が立つところで会場の拡声器に電気が通じたらしい。一度に音量が跳ね上がる。やふぬ手てぃーという舟や舟漕ぎを象徴した集団の舞いが舞われ、その後、浜を歩んで弥勒行列が再開。唄三線もマイクで拾われるので蝉の声など聞こえなくなる。見えるものは遠いのに音が近い。違和感。当人達にはどう感じられるのだろう。舟元ぬ御座に一同が登る。ひとしきり優雅に弥勒が舞う。
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西表村いりむてぃむらきり村 年々とぅしどぅしぬ今日きゅーや
御許うゆるしゆみそり 踊ぶどぅり遊ば 踊り遊ば
さぁさぁ世やさぁ すりさぁさぁ
西表村は豊の村 年の変わり目の今日は
上のお許しを乞うて踊り遊ぼうではないか
私の知っていた弥勒節は東京で聴くスタンダード版だから、祖納の本物は歌詞も節回しも違って、それが自分に新鮮だ。
弥勒行列のあとアンガマ行列が舞いながら入場。その後、奉納芸能の合間などに、長々と挨拶、これがまた意外にも日本語で行われる。テント、拡声器という装置と一緒になっているから、小学生のころの運動会、来賓挨拶の無聊を思い出してしまって、らふては一人興冷める。手持ちぶさたのビデオは絶景とも言うべき丸間盆山まるまぶんさんとその向こうの外離島ふかぱなり、内離島うちぱなり、近辺の内海の距離によって微妙に変化する青や緑の色を撮っていた。幼児達が波打ち際で海と戯れ始めたのにズーム。程なく子供達は全身で海の感触を味わい始めた。その画像を知って、取って置きのBGM、でもあるまいに会場のスピーカーから流れ出したのは、
(本調子)工 中七 工 中七 工 尺中 四
僕が生まれたこの島の空を 僕はどれくらい知っているんだろう
輝く星も流れる雲も 名前を聞かれても分からない
どうしてビギン? サービス? 誰に? すぐにカメラを止めて耳を疑っているとりんけんバンド、ネーネーズまで。いよいよ興冷めてしてしまったが時間が来て再び弥勒の舞のあと世乞いの中心とでも言うべき舟漕ぎが始まる。らふての気分やっと持ち直してくる。
と言うところで紙面がつきた。祖納の世乞いのハイライトシーンは次回です。ところで、らふてがこの稿書きつつ頭から離れないのは、とぅどぅまり(浦内川河口「月が浜」)の大リゾート開発。銭じんに目がくらんだのか竹富町が誘致、東京に本社を置くU社が進出という筋書き。テント、拡声器までは許すから、それ以上の異物を島に持ち込む愚行は即座に中止すべし。コンクリの塊も防潮堤や橋くらいまでにしよう!
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【参考】
神々の古層 世を漕ぎ寄せるシチ[西表島] 比嘉康雄 91年ニライ社
(石垣昭子さんや民宿「南の風」のYさんも写っている)
ヤマナ カーラ スナ ピトゥ(西表島エコツーリズム・ガイドブック)
94年西表島エコツーリズム協会(石垣金星、石垣昭子も執筆)
『西表祖納のシチ祭とソール盆行事〜祖霊信仰と来訪神をめぐって』竹尾茂樹
02年3月「国際学研究」(明治学院大学国際学部紀要)
【らふてが参考にした、リゾート開発問題についてのサイト】
http://homepage3.nifty.com/blackbisi/
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