■新年、新しき世を乞う

  西表の伝統と今【その1】

ぼくの好きなうた(連載第58回) 
            らふて いさを
                   

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 名を知らぬ鳥の声で目覚める。まだ外は明け切っていない。民宿の相部屋、ぐっすり眠り込んでいる男達を起こさぬように外へ。
 空気が柔らかい。光が増してくる。空気と光に馴染んだ身体を海辺に動かしていく。低い防潮堤を越えて前泊浜まいだりに出る。干潮だ。
 鏡のよう、と言う形容があるが、その通り。明るい水色になった空にある秋めいた薄い雲を水面が映している。波が全くない。姿勢を正して一歩を踏み込むと私の行為が波紋になる。一定の速度で波は同心円状に水面を広がっていく。二歩、三歩。一番外側の円は、円弧を為している湾の曲線を辿たどるように広がっていく。ここに来るまでは池や沼にしかあり得ないと思いこんでいた景色がここでは海にもあるのだ。左手数百メートル、浜に沿う道が与那田ゆなだ川を越える橋の所を円弧為す私の漣さざなみが過ぎていく。運動場の脇を通ってそろそろ祖納すね小中学校のあたりまで行ったようだ。
 鳥の声が遠くからも響く。これも名を知らぬ異境の鳥。ここは声がよく響く浜だったと去年の夏の夜を思い出す。浜で唄うと唄三線が自分自身によく聞こえてきて驚いた記憶。海に関する何もかもが私の育ってきたクニの海とは全く異質。
 砂と水の境の円弧を定速で辿っていく私の分身はもう祖納公民館の脇を通過しているだろう。

 干立ふたでの浜からは岬の形に見える祖納を眺めつつ昨日を思い出す。

 年の夜とぅしぬゆるーも更け、明ければ世乞いゆーくいだ、と報せる銅鑼どらが小道をゆく。ゆっくりと数回鳴らし、また間隔を置いて鳴らし、干立御願ふたでうがんの方に歩んで行く様子、それがうとうとしている私の枕元を跨いで過ぎていくようにも感じられる。ここに来ると自分の五感が澄んでくるようだ。と、朝になった。気持ちの良い「元旦」だ。新生の感覚。馴染みの道をぺたぺた歩いて祖納公民館へ。弥勒起こしみりくうくしを見に行くのだ。
 海からの風が公民館の中を吹き渡る。中央の椅子には弥勒の面と日の丸の団扇うちわが置かれている。、赤と黄色の縞模様の杖つえも見える。祈りの儀式のあと黄色い着物に黄色い帯、白い手袋の男が入って来て、介添人の指示で腰掛けた。頭に手拭いを巻いている。49歳のN氏と紹介される。今年選ばれた弥勒役だ。この衣装は染織家石垣昭子さんが数年前に復元、作成したもの。絹を福木と八重山青木で染めてこの輝く陽光の色を出したのだ。以前は化繊の布で済ませていたと聞いた。この染織家の熱い思いが私の目から心に届く。
 「五百年の伝統」と説明する司会の言葉に反応したN氏の緊張も直接私の胸に届く。面を着ける。装束を整える。弥勒に成る。(これからN氏に戻るまでは言葉を発せず、飲み食いせず、排泄もしないんだった)と活字からの知識が私の脳裏を滑って消えた。三線が響き渡る。

(二揚げ)工  五七 工  四中 工  五七 工  四中

大国たいぐくぬ弥勒みりく 我が島にいもり
今年くとぅしから我が島 世果報ゆがふでむぬ 世果報でむぬ
さぁさぁ世ゆーやさぁ すりさぁさぁ

この島の大きさを遙かに超越したあの世に住まう弥勒が私たちの島においでになった。
今日この日に始まるこの年、この島は豊かに栄えることになるのだ。


(笛、太鼓、銅鑼も入っている。太鼓は、右の各行を八拍とすると七拍目を二つ打って、9回×3行で一節になる。太鼓は人数も多いのでどうしてもその七拍目で速くなってしまう。人々の手拍子もそう。しかし、さすがに三線や笛は厳粛にテンポを保っている。)

米作まいちくらばん稔らし 甘藷作んむちくらばん稔らし
来年やいぬ世やめひん 勝まさらし給ぼり 勝らし給ぼり
さぁさぁ世やさぁ すりさぁさぁ

米を作ればじゅうぶんに稔り、芋を作ればじゅうぶんに稔り
来年の世もさらにさらに豊かさに勝るようにしてください。



 五穀豊穣の神、弥勒はゆっくりと扇を振りながら立ち上がった。右手の振りを大きくしながら舞台をおり、幣ぬさの様なものを持った共とぅむ(子供達)と、外へ。弥勒は子孫繁栄の神でもある。太鼓(女性)や三線と笛、そして舟子(男性)達は三番旗を担いで行列に続き、その後ろにアンガマ行列が続く。舟子の藍型えーがたタナシ(型染めの打ち掛け、苧麻ちょまを琉球藍で染める)も昭子さんの復元。被り物は以前はよくある唐草の風呂敷だったが今は裏表二枚の布を合わせた紅型びんがた風呂敷うちくい。復元によって間に合わせが消えたのだ。
 弥勒行列に続くのは、良く知られた真っ黒い布を笠の上からかぶったフチダミ(二人)、その後ろに白いカカンの上に黒い服を着け水色の鉢巻きを背に垂らし紅白の布の着いた、やはり幣のようなものを振って歩くアンガマ(女性達)。二列数十人の行列は辻々を廻って前泊浜まいどんに向かう。
 村の歴史と同じ長さでこの祭りは続いてきたのだ。石垣金星さんや昭子さんを中心とした「文化の掘り起こし」によって一時の間に合わせから本道へ立ち戻り、新しい伝統が生きる。地球が太陽の周りを一周するごとに、スリズ(公民館)に弥勒が降り立ち、村を練り歩き浜に開かれた座に登り、村人全員で世を乞うのだ。

今年世や弥勒 来年の世や世果報
再来年みてぃぬ世やめひん 勝らし給ぼり 勝らし給ぼり
さぁさぁ世やさぁ すりさぁさぁ


今年の世は弥勒の世 来年の世も世果報
再来年の世もさらにさらに豊かさを勝らしてください。

 前泊浜には二旗が立ち並び、二艘の舟も準備され、いやそれより前に前泊御願での儀式も滞り無く済んでいるのだろう、私は見てはいないのだが。離れたところから眺めているので、弥勒節は小さく、周りの蝉の声が賑やかだ。晴れ晴れとしたその場に三番旗が立つところで会場の拡声器に電気が通じたらしい。一度に音量が跳ね上がる。やふぬ手てぃーという舟や舟漕ぎを象徴した集団の舞いが舞われ、その後、浜を歩んで弥勒行列が再開。唄三線もマイクで拾われるので蝉の声など聞こえなくなる。見えるものは遠いのに音が近い。違和感。当人達にはどう感じられるのだろう。舟元ぬ御座に一同が登る。ひとしきり優雅に弥勒が舞う。

西表村いりむてぃむらきり村 年々とぅしどぅしぬ今日きゅー
御許うゆるしゆみそり 踊ぶどぅり遊ば 踊り遊ば
さぁさぁ世やさぁ すりさぁさぁ


西表村は豊の村 年の変わり目の今日は
上のお許しを乞うて踊り遊ぼうではないか


 私の知っていた弥勒節は東京で聴くスタンダード版だから、祖納の本物は歌詞も節回しも違って、それが自分に新鮮だ。
 弥勒行列のあとアンガマ行列が舞いながら入場。その後、奉納芸能の合間などに、長々と挨拶、これがまた意外にも日本語で行われる。テント、拡声器という装置と一緒になっているから、小学生のころの運動会、来賓挨拶の無聊を思い出してしまって、らふては一人興冷める。手持ちぶさたのビデオは絶景とも言うべき丸間盆山まるまぶんさんとその向こうの外離島ふかぱなり、内離島うちぱなり、近辺の内海の距離によって微妙に変化する青や緑の色を撮っていた。幼児達が波打ち際で海と戯れ始めたのにズーム。程なく子供達は全身で海の感触を味わい始めた。その画像を知って、取って置きのBGM、でもあるまいに会場のスピーカーから流れ出したのは、

(本調子)工  中七 工  中七 工  尺中 四

僕が生まれたこの島の空を 僕はどれくらい知っているんだろう
輝く星も流れる雲も 名前を聞かれても分からない


 どうしてビギン? サービス? 誰に? すぐにカメラを止めて耳を疑っているとりんけんバンド、ネーネーズまで。いよいよ興冷めてしてしまったが時間が来て再び弥勒の舞のあと世乞いの中心とでも言うべき舟漕ぎが始まる。らふての気分やっと持ち直してくる。

   と言うところで紙面がつきた。祖納の世乞いのハイライトシーンは次回です。ところで、らふてがこの稿書きつつ頭から離れないのは、とぅどぅまり(浦内川河口「月が浜」)の大リゾート開発。銭じんに目がくらんだのか竹富町が誘致、東京に本社を置くU社が進出という筋書き。テント、拡声器までは許すから、それ以上の異物を島に持ち込む愚行は即座に中止すべし。コンクリの塊も防潮堤や橋くらいまでにしよう!






【参考】

神々の古層 世を漕ぎ寄せるシチ[西表島] 比嘉康雄 91年ニライ社
  (石垣昭子さんや民宿「南の風」のYさんも写っている)

ヤマナ カーラ スナ ピトゥ(西表島エコツーリズム・ガイドブック)
  94年西表島エコツーリズム協会
(石垣金星、石垣昭子も執筆)

『西表祖納のシチ祭とソール盆行事〜祖霊信仰と来訪神をめぐって』竹尾茂樹
  02年3月「国際学研究」(明治学院大学国際学部紀要)

【らふてが参考にした、リゾート開発問題についてのサイト】
 http://homepage3.nifty.com/blackbisi/

   

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