■替え唄 続くよ どこまでも【その1】


                   ぼくの好きなうた(連載第55回)  らふて いさを                   



(ゆったりと始めて終わりは早弾きで、どうぞ)
【うたもち(三下げ)】
 八 七 五 ○ 工 中 四 ○ (繰り返し)


 ドは「どなん」のド
 ミは「耳皮(みみがー)」のミ
 ファは「あふぁ」のファ
   ソは「ソーキ」のソ
 シは「臣下(しんか)ぬ人(ちゃー)
 サー唄いましょう サー踊りましょう
 サー唄いましょう サー踊りましょう

  *注 あふぁ=不真面目に茶化す(者、こと)

 私が仲間と共作した「ドミファの唄」である。お察しの通り、文句も旋律も「替え歌」なのである。替え歌礼賛主義をこれまでの連載で貫いてきたらふて、文字で書くという都合上、どうしても歌詞に着目してきたわけだが、皆さん、今回は歌詞以外にも目を付けて「替え歌」を楽しみましょうね。
 この戯(ざ)れ唄、数名の友人と楽器を持って遊んでいるうちにこの世に現れた唄であります。三下げの指使いが身に染み込んできた頃のことでして、最後のリフレインの部分は(早弾きの場合)、

(四五 中七)八四 七八 五工 中工
 五七 工中(四五 中七)

  *注 括弧の部分は重なります。

の繰り返しです。どうです、替え歌は肉体から溢れてくるものですねえ。自然と早弾きになり、当然踊りたくなるフレーズ。
 ははは、らふて得意の自画自賛になってきましたね。三線触ってわずか一二年でこんなして遊んでいたのですよ!という自慢話です。
 自慢ついでにもう少し。この唄の終わりの部分の三線は、

(工七)八  七八 五  中工 五  工中 四
   *注 括弧の中が「さー」の部分です。

 解説しましょう。この唄、唄いはじめのド()からミ、ファ、ソ、シ、と上行する旋律が一オクターブ上のド()に達したところでこのように下降してはじめのド()に戻るのです。文章冒頭の工工四を正直に心の三線で鳴らしていた人は既にお気づきでしょうが、前奏はこのリフをなぞっただけだったのです。元歌が上行しっぱなしで(「さぁうーたーいーまーしょう」のところ)取り繕うように器楽伴奏だけが下降する(ドドシラソファミレド)と比較すると唄の部分の完成度がずっと高いでしょう? 上がって下がって上がって下がって……この唄の旋律は無限の循環、世界の摂理(せつり)です。

 もう一つ自画自賛。唄の内容、イメージです。
 元歌は「ドーナツ」「レモン」と食い物で始まったと思ったら、「みんな」「ファイト」と運動部の練習になって、そうかバレー部がカロリー補って枸櫞酸(くえんさん)を摂取(せっしゅ)していたのかと判った積もりになった途端に、「青い空」「ラッパ」「幸せ」でイメージが拡散しっぱなしの無秩序にいたる、一種のダダイズムのつもりかい、これは。
 比べてこちらの替え歌には明確な主題があるのだ。

 飲め、食え、遊べ、食え、皆で、唄え、踊れ。 以上。

 明快でしょう。元歌には「踊れ」がないって所も不自然極まりないやね。替え歌は常に元歌をしのいでいくものよ。

 あららん、そういえば元歌は英語の歌だったか。私の知っているのは日本語訳の、つまりは既に「替え歌」だった。ううむ、元祖は「雌の鹿」とかが出てくる奴だったな。いやいや「雌の鹿」というような唄い出しだけで、何やら妙な思惑(おもわく)が連想されるぞ。英語を母語としない緊張気味の誰かに対して、したり顔の先生が標準語としての英語を標準的な発音で仕込んでいる場面。胡散(うさん)臭さが漂って来るなあ。
 しかし、御免、読者諸君、らふて調査が不足していた、英語の元歌についてはいずれ稿を改めて御料理することにいたしましょうね、今回はお許しを。

 本題に戻します。
 「旋律を変える替え歌」でした。言ってみれば盗作すれすれのお楽しみ(否、盗作なんて言う概念は最近になってからのもの。いや、さらに否、琉球の歌をはじめとして地球上で現在唄っている人々の何割が著作権とか盗作なんてことを気にしているだろう)。
 以前NHKで放映した「日本の歌」(おお題名が気に食わん!)では、明治の西欧礼賛鹿鳴館(ろくめいかん)イズム歌も踊りも欧化主義時代の陸軍お抱え音楽家、フランス人のシャルル=ルルー(これ本名ですよ、らふての出鱈目(でたらめ)スキャットではありません)が作曲した元祖軍歌「抜刀隊(ばっとうたい)」(1885年発表)の旋律は実はビゼーの「カルメン」(1875年初演)の中の「アルカラの竜騎兵(りゅうきへい)」の替え歌。盗作という批判をかわすためにか本国はパリでの楽譜出版、この曲だけが外してあるという曰(いわ)く付き。実に面白い。

 我は官軍我が敵は 天地容(い)れざる朝敵(てうてき)
 敵の大将たるものは 古今無双(むさう)の英雄で
 これに従う強者(つはもの)は ともに慓悍(へうかん)決死の士(し)

  *注 これでまだ一番の半分に満たない、この後イ短調からハ長調そしてイ長調に転調して一番が終わる、そして六番まである
  (外山正一 作詞  ルルー 作曲)

 さらに「抜刀隊」のはじめの部分は巷(ちまた)の演歌師によって「ノルマントン号沈没の歌」という替え歌になる。(英国船が紀伊半島沖で遭難、日本人乗客が救助を後回しにされ死んだという差別事件、1886年)

 岸打つ波の音高く 夜半(よは)の嵐に夢覚めて
 青海原(あをうなばら)を眺めつつ 我が同胞(はらから)はいずこぞと

  *注 これで一番、だが、59番まであるらしい

 次にこの曲、短調から長調に、さらに節回しも独特な面白味を加えて添田亞蝉坊(そえだあぜんぼう)が替え歌にしたのが御存じ「ラッパ節」。こいつは爆発的に都市を中心に広がっていき、世の演歌師達は「○○ラッパ節」「××ラッパ節」と言った具合に替え歌を増やしている。歌詞は当然のこと曲調や節回しも変わらないわけがない。

 これはこれは、「カルメン」「抜刀隊」「ノ号」「ラ節」まで来ましたが、実はこの後、皆さんがいつかどこかで聞いたはずの「陸軍の分列行進曲」(1902年制定、替え歌と言っても歌詞はありませんがね)あるいはもしかすると「十九の春」まで続くのです。いえいえ「まで」ではありませんでした。「十九の春」の替え歌なら、今ここを生きる私たちの替え歌として未来に向かって無限の可能性を秘めて続いているのですから。

 歌と踊りを、まさに今、現世で楽しんでいる皆さん。まさか楽譜通り、お手本通りだけで満足してはいませんよね。古今東西、人々は自分の母語で歌詞をつくり、それに相応の節回しを付け演出たっぷりに唄い踊っているのですよ。楽しいこと限りなし、著作権など吹き飛ばせ、サー唄いましょう、サー踊りましょう!

 でもって、【替え唄 続くよどこまでも】のどこまで続くかも知れない、その第二回は「水平主義者チンドン礼賛」となるか、「重苦の春は呪い節」となるか、、、、寮歌、軍歌に革命歌、あるいは愛憎恨み節、ああ混沌の中でとりあえず今回はおしまい。次号にご期待あれ!
                     2002年 7月

【参考】
「日本軍歌大全集」 長田暁二   全音楽譜出版社96年

「日本の歌」 NHKBSの番組  97年放映

   

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