最近の文章(らふていさを)【5】
もうす かま かに やま |
漲水ぱるみずの船着きに、中村十作が、やってきた。真珠を求めて八重山に行くつもりだったのだが。越後出身、東京の学校を退き新時代の産業で一旗揚げようと言う目論見か。何かの縁で那覇から精糖技師として宮古に派遣されていた城間ぐすくま正安と出会う。 まだ、「明治」も二十余年。「琉球処分」で沖縄県が設置されてから十数年しかたっていない。清帝国と大日本帝国は琉球を挟はさんで睨にらみ合っている。 悪名高き人頭税じんとうぜいに苦しめられてきた庶民は、時代の動きの中にあって意志と力を蓄えつつあった。人民のパトスは時代を作る。 …という場面から、「島燃ゆ」は始まる。当時の状況と人々の思いを実に雄弁に語っている漫画である。さすがは新里堅進、筆の力が語る力に直結している。読まれた方も多いことでしょう。 私が、長らく本棚においたままだったこの本を手に取ったのは、漲水クイチャーを全身全霊で踊りたい、と言う気になっているからである。 ちょっと覗いて見るつもりがじっくり読み始めてしまった。一ページ一ページがぐいぐい迫ってくる。中村十作の視点から物語に誘い込まれ、十作と正安が、真珠採取(あるいは養殖)や精糖産業よりも、義を心に留めるありさまがよく分かってくる。すると、次により深く心動かされるのは、後に登場する四人の宮古人だ。 まずは、二人とともに那覇経由で東京の帝国議会に陳情に行くことになる宮古人民の代表、保良ぶら真牛もうすと西里蒲かま。 保良真牛が沖縄上ぬぶりまば 宮古みゃーく皆んなぬ三十原みずばらぬ男達びきりゃたや ぴらとらぬ金かにうさぬ富貴そば (保良真牛がアヤグ) そして彼らが那覇に滞在中、資金の不足をなんとか補うために上納品の粟を盗んだ、砂川うるかー番所ぶんみゃーの倉庫番人の砂川金かにと池村山である。 言うまでもなく、この四人の名前がこうやって百年も後の私を元気づけるその後ろには、名前の伝わっていない数百数千、いやそれ以上の宮古の人民のパトスの実在がある。義に沸き立つ意志の力がある。不義に屈しない行動の力である。 その辺りのことを、こちらはしょっちゅう開いている「琉球・沖縄史(高校用の教科書)」で見てみる。 かれら(農民集団のこと)は各村で毎晩のように会合を重ね、全農民の意志を決定すると、砂川間切保良村の平良ぴさら真牛と同間切福里村の西里蒲を農民代表に選んだ。 かれらの出発を阻止しようと漲水港につめかけた士族と、かれらを送り出そうとする農民との間に挟まれ、一触即発の緊張した雰囲気の中を乗船した。 かれらの旅費と運動資金は、貧しい農民からの拠出金と、それぞれの資財をなげうってつくりだしたものであったが、それでもなお足りなかった。12月に開かれる帝国議会にまにあわせるため、とにかく宮古をたち、那覇で残りの基金が送られてくるのを待つという見切り発車だったのである。 「砂川金と池村山の決意」と題したコラムにこう書いてある。 かれらはその職権を利用して〜捕らえられたら大変な処罰が待っている。だが、ここで運動を挫折させるわけにはいかない。 もちろん〜二人は捕らえられ、厳しい取り調べを受けた。しかし、彼らは生活が苦しく、妻子を養うため、止むに止まれず盗難を働いた、と言い張り、警察の厳しい拷問にも一切口を割らなかった。働き手を失った二人の家族もどん底の苦しみを味わうことになったが、農民たちの援助でどうにか暮らすことができた。 個人の突出した行動の後ろには農民集団の継続的な闘争力がある、帝国議会は人頭税を廃止(地租条例を宮古八重山に施行)したのだ! と感動しつつ、二冊をよく読んでみると金と山はどうも拷問死=虐殺された、ということのようだ。上の引用部分もそう読むのが自然だろう。件のコラムは次のように締めくくっている。 農民たちも資金が無事、那覇にいる一行に届けられたことを確認すると、砂川と池村の手引きで運び出した粟の弁償をしたのである。 漫画の力を信奉するらふてとしては「島燃ゆ」の当該場面をもう一度見見直してみました。なるほど。「ヤマ、カニ許してくれ」(農民総代達の祈りの声、落涙し合掌している)と「そうかカニとヤマが… お前たちの真心決して無にしないぞ」(那覇にいる城間正安も落涙)。この二つに挟まれたコマでは、打ちのめされ地に倒れた二人がボロボロの姿ではあるが「へへへ」と笑っている。 「決意」という見出しをつけた「琉球・沖縄史」の筆者の含意をくみつつ、人頭税廃止の喜びに沸き立った宮古人の踊る漲水クイチャーと一緒に、さあ、皆さんも、ニノヨイサッサイ! 漲水の港に四人を乗せた舟が帰ってきましたよ! 皆さん! 漲水ぬ舟着ぬ 白しるむなぐぬよ 粟んななり米くみんななり 上りくばよ 宮古皆ぬ三十原ぬ 男びきりゃー達たーやよ 〓(←金偏に避のしんにゅうを取ったもの) ぴらとらだ金や押さだ ゆからでだらよ 大神后うふがんぐすふぢ並び 折波小ぶりなむがまよ 糸いちゅーんななりかしんななり 上がりくばよ 島皆の三十原の 姉小あにがま達たーやよ 苧ぶーや績んまだ綛かしやかきだ ゆからでだらよ 海の彼方から富が訪れ、米や粟、糸や布の物納から解放される日に焦がれた予祝の唄。それが一部分とは言え現実となった人頭税廃止の喜びを、百年の時代を超えて、私たちの唄と踊りにいたしましょう。 西暦1902年は、宮古八重山の人頭税廃止に向けて明治政府による「土地整理」が終わり、それに関連して徴兵制度が適用された年でもある。これをそのまま人民の喜びととらえて良いのかどうか…… 大日本帝国の近代帝国主義国家としての制度は、次第次第に整っていくのであった。 |
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【参考】 「島燃ゆ(宮古島人頭税物語)」 新里堅進 (株)クリエイティブ21 96年 (作者の後書きに仲本光正氏への謝辞がある) 「高等学校 琉球・沖縄史」97年 沖縄歴史教育研究会 新城俊昭 西原民謡集 CD「伊良部トーガニー」国吉源次 02年 ビクター 宮古民謡工工四 国吉源次 01年 【宮古民謡の第一人者、国吉源次が長年構想してきた工工四を完成! 全ての歌詞の右脇に大和口訳を付してあり、意味が明解! 巻末に、幾つかの唄の由来、伝承を詳述!3000円 】 |
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