昨年(2001)「沖縄への修学旅行中止」に保護者として巻き込まれた私の文章('01年11月)です。



その後「クイパラ通信」に書いた【加害者はどこに?〔基地被害も風評被害も根は一つ〕】と合わせてご覧下さい。
↑ここをクリック

【2002年秋から翌春の物語】もご覧下さい。
掲示板「沖縄への新たな旅を作りましょう」を、時間の流れにそってまとめたものです。

春にその旅が行われるまでの経過がわかります。




娘とその友人達の手で、同級生(不特定多数)に配ったもの------------


都立Z高等学校の二年生の皆さん、保護者の皆さん、そして「沖縄修学旅行」に関わる皆さんへ (Edition2-2)
    2001.11.14(水)     いさを(二年八組保護者)MLD08680@nifty.com

沖縄への旅を企画しましょう! 「沖縄修学旅行」への思いを引き継いで。

 先週の月・火の二日間、沖縄に行ってきました。民謡を聞き、佐喜眞さん(美術館館長)と語り、また玉城村の祭でも友人達と会ってきました。これで今年は20日以上を沖縄で過ごしたことになります(今年はほぼ毎月訪れています)。仕事(私立中学校の修学旅行など)と趣味(民謡ほか)で。--沖縄は私の第二の故郷ともいうべき大切な場所なのです。

 さて、その沖縄に対してZ高校は一つの態度を表明しました。「沖縄修学旅行」の中止です。私は日頃、Z高校の教育に敬意を表していますし、感謝してもいます。修学旅行にも期待してきました。念入りな準備の末、学校として初の沖縄修学旅行は目前でした。
 そもそも、旅には不安がつきものでしょう。行き先を沖縄へ決定した時点で、保護者も不安は十分承知していたはず(軍事基地の集中している場所へ航空機で往復する、という不安です)。合衆国でのテロ攻撃や報復軍事行動から起きた日本国内の風評に動かされた人々に、私は言いたい−そもそも同じ国内でありながら心理的に距離感のある場所(沖縄)に軍事基地を集中させておき、「安全」と感じる時期は「平和学習」と称してその場所を利用するが、「非常時」にはその場所から身を遠ざける--あまりにも身勝手ではありませんか?と。
 沖縄では、今も変わらず人々の日常生活があります。たとえば、日本政府や合衆国軍の指示で(あるいは自主的判断で)、基地の島からの避難(疎開)が始まるなどといった気配は、微塵もありません。
 また、他の道府県立高校や一部の都立高校、私立学校が予定通り旅行を実施していることも広く報じられています(当のZ高のお知らせにも「安全性は確保されている」と明言してありました)。海外から沖縄へと旅行先を変更した私立高校も少なからずあると聞きます。
 こんな状況を総合的に考えると、一層、Z高校の下した判断には納得がいきません。沖縄への修学旅行を断行すべきだったのにと残念でたまりません。しかし、決定を覆すことは無理でしょう、保護者会の場でも私は「学校の判断は尊重する」と申し上げました。

 そこで私は、自分のできる限りのことをして「中止」というマイナスを小さくしたい、と考えました。私と似た考えの人は少なくないと信じます。そんな生徒の皆さん、保護者、先生(そして関係する人々)の力を合わせて、新たな「沖縄への旅」を企画しましょう。沖縄にいる私の知人たちもきっと喜んで協力してくれるでしょう。
 具体的な旅程は、「Z高校の果たせなかった沖縄修学旅行計画」を土台にして考えていくのがよいと考えます。それに手を加えて、今回限りの特別な「旅」を作り上げるのがいいと思うのです。関わる人々の「思い」が有機的に作用することで、世に二つとない素敵な旅ができることでしょう。「中止」というマイナスが大きなプラスを生むかもしれません。時期は冬休みか、春休みにしましょう。私は引率者(保護者/責任者)として万全を期すつもりです。
 「思い」を大事にしながら、あくまで「理」の通った旅をぜひとも実現したいものです。

 11月4−5日の沖縄旅行で私は、那覇、玉城、知念、佐敷、南風原、コザ、宜野湾、などをレンタカーで回りました。町でも村でも海辺でも基地周辺でも、人々は以前と変わらぬ様子でした。もっとも、空港は閑散としていて、客待ちのタクシーは溢れていましたし、レンタカー屋はがらがら。そして各基地のゲートには、日本から動員されたのでしょう、警官が増えたな、という印象はありましたが。

 この十年間に私が仕事や趣味で蓄えた「知識」や「知人」という「財産」を、皆で「新たな沖縄への旅」を作るという「未来」に役立てたいのです。こんな時にこそ、力を合わせましょう。

掲示板「ぽてと」に同じ文章を載せました。【http://poteto.itits.co.jp/の「沖縄への旅」】どしどし宣伝して下さい。
FAX 0424-41-××××


-------------風評の奥に潜むもの  沖縄タイムスに投稿したが没!残念

                         大池 いさを

 十月十八日木曜。帰宅した娘が東京都立Z高校の「お知らせ」を鞄から出した。「旅行中止は全く意外。うちの学校は行けると先生が言ってたし、都立B高に通ってる近所の友達は無事に沖縄から帰ったばっかり」と興奮気味に話しながら。
 通知には「『安全』の確保がなされていることは認識している」と明言した上で「生徒及び保護者の中で沖縄修学旅行に対する『不安』が広がっており」「『不参加者』が多数出ることが予想される修学旅行の実施を進めることはできない」とある。私は娘以上に興奮していた。
 以前から予定されていた二学年全体の保護者会は土曜。急いで質問状を書き上げて金曜にファックスした。有意義な会を願ってのことである。
 「沖縄への旅行の中止は残念至極。沖縄を特別扱いすべきでない。安保条約の産む不利益を不本意に押しつけられて来た沖縄に対しての新たなる差別につながらないか憂慮する。『安全』な時には沖縄を訪れ『平和のための学習』をし、このような時期には『不安』を理由に沖縄を遠ざけるような態度を私は取りたくない。娘にも取らせたくない。風評に流されぬ理性的な説明を望む」と。二千字以上になっていた。
 土曜。会で校長と担当教諭は説明した。「米英の空爆、アルカイダスポークスマンの声明なるものが報道され修学旅行をめぐる状況は一変した。近くの四、五校の都立高校が次々と中止を決めていき、またその頃に保護者からの『不安』の声が学校に電話で寄せられた。」
 私は「そもそも旅に不安はつきもの。基地の島、沖縄への旅行を計画し始めた時から不安は覚悟していたはず、何のために学習を重ねてきたのか。今もフェンス脇での学校生活があり、人々は飛行機を利用している。論理的な説明を」と述べた。
 担当教諭が辛そうに言う。「こういう時こそ有意義な旅行ができる、と生徒も教師も意気込んで事前学習を続けて来た。学年会ではつかみかかる寸前の激しい議論をした。」
 何とか行けないものか、という発言が相次いだが、中止決定を歓迎する旨の短い発言に座席から数名の拍手が起こる場面も。
 「納得しがたいが決定は尊重する。生徒達とともに沖縄旅行を計画したい、冬休みか春休みに。個人の責任で。」と私。
 一週間が経った。感情を押さえ繰り返し繰り返し考えてみる。沖縄に対して距離感を抱く人が東京にいる。不安が風評を生み、それがまた不安を拡大する悪循環--人の心に潜むものが、うっすらと透けて見えてくる…二十七度線という言葉が甦る…沖縄の友人知人の顔が浮かんで私の胸は熱くなる…名護、読谷、嘉手納、コザ、宜野湾、那覇、豊見城、南風原、知念、玉城、…今すぐにでも飛んで行って会いたい…
 私の勤務する学校では以前から組毎に修学旅行を実施、十五年程前から沖縄へ行く組もある。現二年の六組中、二組が沖縄への計画を進めている。
 沖縄の方々の協力を得て、実り多い旅行となることを強く願っている。 (東京都、私立中学校教諭)



掲示板〔沖縄への新たな旅を作りましょう〕を見る
↑比較的初期のページにリンクします。
一番下にある「前頁」や「次頁」をクリックしながら、時間を追ってご覧下さい

その掲示板の全ての書込を整理した
【2002年秋から翌春の物語】へ行く

関連ページ〔加害者はどこにいる?【基地被害も風評被害も根は一つ】へ行く




[BBS] へ行く

00 表紙のページに戻る

← 感じたこと 考えたこと お伝え下さい